フランク・ロイド・ライト — 「落水荘」と有機的建築、近代建築の三大巨匠
はじめに
滝の上に、水平のテラスが何枚も張り出している。ペンシルベニアの森の奥に建つ落水荘の写真は、一度見ると忘れにくい。滝を眺める家ではなく、滝の上に乗った家である。あれを設計したのが、フランク・ロイド・ライトだ。
フランク・ロイド・ライトは、1867年にアメリカのウィスコンシン州で生まれた建築家である。70年を超える活動のなかで千件近い設計を残し、そのうち五百件ほどが実際に建った。ヨーロッパの様式を輸入してつくられていた当時のアメリカの住宅に対して、この土地から立ち上がる建築を探しつづけた人だった。
ただ、数を並べても芯には届かない。この人の建築は、土地に逆らわないところから始まる。地面の線に沿って低く伸び、内側へ光を導く。その考え方と代表作を、順にたどっていきたい。

- 本名|フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)
- 生没|1867年6月8日、ウィスコンシン州リッチランドセンター生/1959年4月9日、アリゾナ州フェニックスにて没。91歳
- 出自|父ウィリアム・キャリー・ライトは音楽家で説教師も務め、のちに弁護士資格を得た。母アンナは教師。母方はウェールズ系のロイド・ジョーンズ家で、一族はウィスコンシンの谷に集まって暮らしていた
- 学び|1886年、ウィスコンシン大学マディソン校に特別学生として在籍し土木工学を学ぶが、学位は取らずに学校を離れた(1955年に同大学から名誉博士号)。その後シルスビー事務所を経て、アドラー&サリヴァン事務所へ(〜1893年)
- 事務所|1893年、シカゴのシラー・ビル最上階で独立。1898年、オークパークの自邸に隣接してスタジオを構えた
- 受賞|1941年、RIBAゴールドメダル/1949年、AIAゴールドメダル/2019年、ユネスコ世界遺産「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」(8件)
- 様式|有機的建築。草原様式(プレーリースタイル)とユソニアン住宅

有機的建築と、水平に伸びる線
ライトは、ウィスコンシンの農村で育った。母方のロイド・ジョーンズ家の親族が谷に集まって暮らす、農作業と日曜礼拝の土地である。少年期には伯父の農場で夏を過ごし、地面と天候のそばで時間を重ねた。1886年にウィスコンシン大学マディソン校へ特別学生として入り、土木工学を学ぶが、学位を取らないまま学校を離れてシカゴへ出る。
シカゴでは、まずシルスビーの事務所に入り、続いてアドラー&サリヴァンへ移った。ルイス・サリヴァンのもとで住宅の設計を任され、1893年に独立する。当時のアメリカの住宅は、ヨーロッパの様式を切り貼りした装飾的なものが主流だった。ライトが探したのは、その反対側にあるものである。何を手がかりにしたのかを、三つに分けて見ていきたい。
有機的建築
サリヴァンは「形は機能に従う」と言った。ライトはそれを受け継ぎながら、形と機能は一つのものだと言い換える。建物を土地の上に置くのではなく、土地から生えてきたように建てる。建築を、その場所の続きとして考える態度である。
落水荘であれば、滝を眺めるための家ではなく、滝の上に乗る家になる。敷地の岩を削り取らずに、そのまま床や暖炉のなかへ引き入れる。地形を敷地条件として処理せず、設計の出発点そのものに据えた。
草原様式
1900年前後、シカゴ郊外で固まっていった住宅の型である。中西部のプレーリー、つまり大草原の地平線に呼応して、水平の線を強く出す。屋根の勾配をゆるくして低く伸ばし、軒を深く出し、窓を横につなげて帯のように並べる。垂直に高く見せる西洋の住宅とは、正反対の方向だ。
内部では壁を減らした。当時の住宅は小さな部屋が箱のように連なるつくりだったが、ライトは仕切りを抜き、暖炉を中心に居間と食堂をつなげる。家の中心に火を置き、そこから空間が広がっていく。のちにオープンプランと呼ばれる考え方が、ここで形になった。
光と素材
窓を、外を見るための穴ではなく、光を扱う装置として設計した。幾何学的な意匠を組んだアート・ガラスを窓にはめ、外の緑を透かしながら光を分ける。日が動けば、床に落ちる模様も動いていく。
素材は塗り隠さない。木は木目のまま、石は石肌のまま、コンクリートは打ったままの面で見せる。材料をごまかさずに使うことが、そのまま装飾の代わりになるという判断である。ここまでの三つが、生涯を通してほとんど変わらなかった。
代表作をたどる
考え方が、どんな建物になったのか。住宅から美術館まで、四つをたどる。
落水荘

1935年の設計、1937年の完成。ペンシルベニア州ベアランの森に建つ、カウフマン家の週末住宅である。施主は滝を見下ろす場所に家を望んだが、ライトは滝の真上に建てた。岩盤に鉄筋コンクリートの床を差し込み、支えのない状態で水平に張り出させている。
暖炉の周りには、敷地の岩がそのまま顔を出したままになっている。居間から階段を下りれば、そこはもう渓流の水面である。1966年に国定歴史建造物、2019年には世界遺産に登録された。
ロビー邸

設計は1908年から1909年、完成は1910年。シカゴのハイドパークに建つ住宅で、草原様式の到達点とされる。細長い煉瓦を横目地だけ深く彫って積み、建物全体が地面と平行に走って見えるようにした。
深く出した軒が、夏の高い日射しを遮り、冬の低い光は室内へ通す。屋根の下の帯のような窓には、アート・ガラスがはめられている。現在はシカゴ大学が管理し、世界遺産に登録された8件のうちの一つである。
ジェイコブス邸

1937年、ウィスコンシン州マディソン。ユソニアン住宅と呼ばれる一連の低価格住宅の、第一作にあたる。大恐慌のあとのアメリカで、中流の家庭が手の届く家を建てるという課題に、ライトは省くことで応えた。
地下室と屋根裏をなくし、装飾も削る。床はコンクリートの板とし、その下に配管を通して暖房とした。台所を家の中心に寄せ、L字の平面の内側に庭を抱かせる。車を置く場所は壁のない片流れの屋根だけで済ませ、カーポートと名づけた。以後の郊外住宅に、この形は広く残っている。
グッゲンハイム美術館

1959年10月開館、ニューヨークの五番街。設計から開館まで16年がかかっている。石造りの建物が並ぶ通りに、白い逆円錐が一つだけ据えられた。上へいくほど太くなる姿は、周囲のどれとも似ていない。
内部は、床を積み重ねた階ではなく、一本のらせんのスロープでできている。来館者はエレベーターで最上階へ上がり、緩やかに下りながら絵を見ていく。天井のガラスドームから落ちる光が、吹き抜けの底まで届く。ライトは同じ年の4月に亡くなっており、開いた日を見ていない。
おわりに
落水荘のテラスは、滝の流れと同じ向きに、水平に伸びている。あの一枚の写真を思い浮かべると、ライトのやってきたことが一つの像に集まってくる。
土地に建物を置くのではなく、土地の続きとして建てる。地平線と同じ向きに線を引き、素材はそのまま見せ、光は窓で分ける。ウィスコンシンの谷で見ていた地面の線が、そのまま建築の文法になった。晩年にらせんを立ち上げたときも、その線は消えていない。
