『努力論』幸田露伴 — 努力を、努力と感じないところまで
「努力論」という題名だけで、少し身構えてしまう人は多いと思う。歯を食いしばれ、根性で押し切れ、と背中を叩かれる本だろう、という予想が先に立つ。ところが、幸田露伴がこの本で説く努力は、その身構えとは、ずいぶんちがうところにある。
幸田露伴が『努力論』をまとめたのは1912年、明治四十五年のことだ。小説『五重塔』などで知られた露伴が、四十代のなかばで、人の幸と不幸をさまざまな角度からながめ、どうすれば明るくのびやかな心持ちで生きられるかを書きつづった、随想の一冊だった。1867年に江戸の名残るまちに生まれ、1947年に世を去るまで、露伴は小説家であり、随筆家であり、古い書物を深く読みこむ考証の人でもあった。その露伴が「努力」という、いかにも汗くさい言葉を選びながら、力むことをむしろ戒めている。ここに、この本のいちばんおもしろいねじれがある。
頑張っても報われない、と感じて、努力そのものに疲れてしまうことがある。もっとやらなければ、まだ足りない、と自分を追い立てて、息が上がっている。そういう人にとって、努力を説く本ほど、読むのがつらいものはない。けれども露伴の努力論は、その追い立てを強める側ではなく、ゆるめる側にある。頑張れ、と急かす本ではない。頑張っている、という力みそのものを問い直す本なのだ。努力が足りない、と自分を責めてきた人にこそ、露伴の言葉は、思いがけないほど優しく届く。
二種類の努力
露伴は、努力をひとくくりにしない。はじめに、努力には二つの種類がある、と分けてみせる。
一つは「直接の努力」。事に当たって、そのときそのときを精いっぱい力を尽くすことだ。目の前の仕事に取りくみ、いま為すべきことに身を投じる。ふつう努力と聞いて思いうかべるのは、こちらのほうだろう。締め切りに追われて机に向かう、試験のために夜おそくまで机を離れない、そういう当面の頑張りだ。
もう一つが「間接の努力」だ。これは、事に当たるより前の、準備の努力を指す。基礎となり、源泉となる努力と言ってもいい。畑にたとえるなら、直接の努力が種をまき水をやる働きなら、間接の努力は、その前に土を耕し、肥やしを入れ、石を除いておく働きにあたる。芽が出てからの世話ではなく、芽が出る前の、地面をととのえる仕事だ。
露伴が重んじるのは、この間接の努力のほうだ。人はどうしても、目に見える成果に直結する頑張りばかりを努力だと思いこむ。けれど、その頑張りを実らせる土壌は、もっと手前でつくられている。日ごろの読書、身体をととのえること、心をならすこと。すぐには何の役にも立たないように見えて、いざというときに事を支えるのは、その手前の備えのほうだと露伴は言う。目の前の一事に力む前に、その一事が根を張れるだけの地面を、こつこつと耕しておくこと。努力とは、力を出すことだけを指すのではない。力を出せる自分を、あらかじめ用意しておくことでもある。
そう考えると、努力の風景が少し変わる。何かに間に合わせようと駆け出す前に、もう努力ははじまっている。あわてて頑張らなくても、耕された地面のうえでなら、力は自然に働く。露伴の努力論は、この間接の努力を土台に置くことで、努力を、切羽つまった駆け足から、日々の暮らしのなかへと引きもどしていく。
努力を忘れて努力する
さらに露伴は、この本の序の言葉で、もう一段おくへ踏みこむ。ここが、努力論という題名から受ける印象を、根もとからくつがえすところだ。
露伴が理想として説くのは、努力していること、努力しようとしていること、それすらも忘れて、為すことがおのずと努力になっている、そういう境地だ。露伴はそれを、努力の真諦、努力の醍醐味と呼ぶ。歯を食いしばって頑張る努力ではない。頑張っている、という意識さえ消えて、ただ為していることが、そのまま努力になっている。露伴が届こうとするのは、その先だ。
つまり、努力している、と力んで意識しているうちは、まだ努力の入口にすぎない。呼吸をするとき、私たちはいちいち肺を動かそうと力んだりしない。歩くとき、右足の次に左足を、と念じたりもしない。それと同じように、努力が身になじみ、暮らしにとけこんで、本人はもう努力とも思っていない。そこまで行って、はじめて本物だ、と露伴は考える。
これは、疲れている人には、ふしぎな救いになる。頑張っている、と自分に言い聞かせているあいだは、じつはまだ、努力が苦しいのだ。力んでいるから、疲れる。数えているから、足りなさばかりが目につく。露伴の言う本物の努力は、数えることをやめたところにある。今日はこれだけやった、まだこれしかできていない、という勘定から降りて、ただ目の前のことに手が動いている。その勘定を手放したとき、努力ははじめて、重荷であることをやめる。
努力を、努力と感じないところまで。露伴が指さすのは、頑張りの量をふやすことではなく、頑張っている、という感覚のほうを、薄めて消していくことだった。努力を勲章のように握りしめて、その重さで自分を測っている人に、露伴は、その手をほどいていいのだ、と告げている。
もっとも、そこへ一足飛びに行けるわけではない。忘れて為すほど身になじませるには、その手前の、間接の努力の積み重ねがいる。土がやわらかく耕されているからこそ、種は力まずに根を張れる。日々のならしがあってはじめて、努力は意識の外へと沈んでいく。力を抜くこと自体を、露伴はまた一つの鍛錬として見ていた。ゆるめるためにこそ、地道に備える。そのつながりが、この本を、たんなる脱力のすすめから遠ざけている。
運命と人力のあいだ
『努力論』は、運命と人の力の関わりを問う一篇から始まる。人の一生には、自分の力ではどうにもならない巡り合わせがある。生まれた時代も、生まれた家も、思いがけない不運も、みずから選んだものではない。では、努力などしても無駄なのか。露伴は、そうは考えない。
運命に、ただ流されてしまうのでもなく、すべてを人の力でねじ伏せられると驕るのでもない。露伴が示すのは、その二つのあいだの構えだ。どうにもならない部分は、どうにもならないものとして受けとめる。そのうえで、自分の力の及ぶところを、こつこつと尽くしていく。運命を敵として組み伏せるのではなく、運命という大きな流れのなかで、自分にできることを地道に積む。うまくいかないのは頑張りが足りないからだ、と、露伴はけっして言わない。
これは、間接の努力の考えとも、惜福の心とも、地つづきになっている。土を耕して待つように、福を天に預けて待つように、人は、自分の力ではどうにもならないものに対して、力ずくではなく、備えと控えめさで向き合う。頑張れば何でも思いどおりになる、という思いこみを、露伴はやんわりとしりぞける。だからこそ、報われない努力に疲れた人のそばに、この本は寄り添える。全部を自分の力で背負わなくていい、と、肩の荷をいくらか天にあずけさせてくれる。
使い切らないという豊かさ
『努力論』には、もう一つ大きな柱がある。露伴が「幸福三説」と呼んだ、幸福をめぐる三つの考えだ。惜福、分福、植福。努力して手に入れた果実を、そのあとどう扱うか。露伴の答えが、この三つに込められている。
一つ目は、惜福。福を惜しむ、と書く。自分に与えられた福を、取り尽くさず、使い尽くさず、いくらか天に預けておくことだ。手にした幸運を、根こそぎ使いきってしまわない。実った木の実を、一つ残らずもぎ取るのではなく、いくつかは枝に残しておく。そういう心のことを、露伴は惜福と呼ぶ。
これは、けちや節約とはちがう。お金を貯めこむ話ではない。福を使いきらずに残しておく、その控えめさが、めぐりめぐって、また運にめぐり合う機会を残す、と露伴は考えた。すべてを一度に取り尽くしてしまう人のところには、次が回ってこない。使い切らずに、いくらか天のあずかりとして残しておく人のところに、また福はやってくる。取り尽くさないことが、じつは尽きないことにつながっている。
露伴は、惜福の心がある人と、ない人とを見くらべてもいる。福を惜しむ人は、目立たないが、どこか落ちついていて、めぐりがいい。福を惜しまず取り尽くす人は、いっとき派手に栄えても、続かない。運がいいか悪いかは、生まれつきの巡り合わせだけで決まるのではない。与えられた福をどう扱うか、その心がけによっても変わってくる。惜福とは、運を待つ受け身の姿勢ではなく、運を長もちさせる、日々の身の処し方なのだ。
いまの暮らしは、この逆をいく。手に入れたらすぐに使う、成果はその場で回収する、余りがあるのはもったいない。そう急かされている。惜福は、その急ぎに、そっと待ったをかける。全部を今日のうちに使いきらなくていい。少し残しておくことが、明日の自分や、まだ見えない誰かのための、ゆとりになる。使い切らないことのなかにある豊かさ。露伴が百年余り前に書いたこの一節は、消費を急ぐいまの心に、いちばんよく届く。
分けるほど返ってくる
二つ目は、分福。福を分ける、と書く。得た福を、自分だけのものにせず、人に分かち合うことだ。惜福が福を天に預ける心なら、分福は、福を隣の人へ手わたす心にあたる。
露伴は、人の世を時計の振子にたとえた。振子が右に振れれば、次は左へ返ってくる。自分から福を分け与えれば、その福は、めぐって相手からもまた分けられて返ってくる。西瓜を一片、隣の人に差し出すような、ささやかなやりとりのなかに、幸福はふくらんでいく。分ければ減る、というのが、ふつうの勘定だ。けれど福にかぎっては、分けるほど、めぐって増える。露伴は、そう見た。
これも、努力の果実をどう扱うかという問いへの、一つの答えだ。苦労して手に入れたものを、独り占めしたくなるのが人情だろう。自分ひとりで稼いだのだから、自分ひとりのものだ、という理屈も立つ。けれど露伴は、その手をひらいて、分けてみよ、と言う。分けた福は消えてなくなるのではなく、人と人のあいだをめぐって、いつか形を変えて返ってくる。ひとりで抱えこんだ福は、そこで止まる。分けた福だけが、めぐりはじめる。
まだ見ぬ人のために蒔く
三つ目が、植福。福を植える、と書く。これから先の幸福のために、いまから福の種をまき、育てておくことだ。露伴の幸福三説の、いちばん奥にある考えでもある。
惜福が福を残す心、分福が福を分ける心なら、植福は、まだ生まれていない後の世のために、福そのものを新しくつくり出し、育てておく心だ。木を植える人のことを思えばいい。植えた木がやがて大きな木陰をつくるころ、その木陰で憩うのは、植えた本人ではないかもしれない。それでも人は木を植える。自分が刈り取れなくてもかまわない、まだ見ぬ誰かのために、いま種をまいておく。露伴は、知識も、思慮も、行いも、そのようにして社会のなかに植えておけば、後の世の人の幸福を、少しずつ増やし、育てていくと考えた。
植福が惜福や分福とちがうのは、いまある福を残したり分けたりするだけでなく、まだこの世にない福を、新しくつくり出す点にある。学問を深めることも、よい仕事を残すことも、人にものを教えることも、露伴の目には、みな福を植える行いだった。それは、いますぐ実る種類の努力ではない。何年、何十年、あるいは自分の一生を越えた先で、ようやく芽吹く。すぐに回収できないからこそ、植福は、いちばん遠くまで届く努力の形になる。
努力を、成果をあげて自分が回収するためのものだと思っているうちは、植福の考えはなかなか腑に落ちない。まいた種を自分で刈れないのなら、まく意味がない、と感じてしまうからだ。けれど露伴の努力論は、そもそも、努力を自分の得のために積むものとして描いていない。使い切らず、独り占めせず、先へ渡す。惜福も、分福も、植福も、どれも、手にしたものをそこで終わりにしない態度だ。成果を回収して幕を引くのではなく、まだ会わない誰かのほうへ、そっと手わたしていく。それが、露伴の考える幸福の形だった。
おわりに
1867年に生まれ、1947年に世を去るまで、幸田露伴が書き残したものは、小説も随筆も考証も、ずいぶんな量にのぼる。その露伴の娘、幸田文もまた、父ゆずりの目と言葉で、すぐれた随筆をいくつも残した随筆家になった。露伴が娘にきびしく仕込んだ暮らしの作法は、のちに文自身の文章となって、また別の読者のもとへ渡っていった。福の種は、こうして代をまたいで芽を出す。植福とは、遠いどこかの話ではなく、たとえばこういうことなのだと思う。
努力を、努力と感じないところまで、という露伴の言葉と、まだ見ぬ人のために福を植える、という言葉は、どこか奥でつながっている。どちらも、いま握っているものを、握りしめたままにしない。種をまいた人は、やがて、まいたことも忘れていく。忘れたころに、思いがけない場所で、芽が出る。努力もそれと同じで、忘れられるほど身にしみたものだけが、いつか、おのずと実をつける。
頑張りの量で、自分の値打ちを測ってしまうときがある。予定が詰まっているほど、必要とされている気がして、疲れているのに、どこか手放せない。露伴は、その握った手を、一本ずつほどいていく。力を抜いていい。使い切らなくていい。全部を今日のうちに回収しなくていい。手のなかのいくらかは、まだ会わない誰かのために、種としてまいておけばいい。そうやって露伴が百年余り前にまいた種が、娘の言葉になり、こうして読む者の胸のなかにも、小さく芽をのぞかせている。
