G-0C41NE8DJB 『自由論』J.S.ミル — 自由とは、間違う権利のこと|亀吉の呟き
亀吉の書評

『自由論』J.S.ミル — 自由とは、間違う権利のこと

『自由論』J.S.ミル — 自由とは、間違う権利のこと
yoshiomi

1859年に世へ出た一冊の本の冒頭には、亡くなった妻ハリエット・テイラーへの長い献辞が掲げられている。著者はイギリスの哲学者、J.S.ミル。本の題は『自由論』という。分厚い体系書ではない。訳しても二百ページに満たない、率直な本だ。そのなかでミルは、たった一つの問いを立てつづけた。社会は、どこまで個人に口を出していいのか。

多数派は、たいてい善意で個人を正そうとする。よかれと思って、間違った生き方をしている人の袖を引く。J.S.ミルが引いた一本の線は、その善意のほうを押し返す。他人を傷つけないかぎり、たとえ間違っていても、自分の生き方を選ぶのは本人だ。自由とは、つきつめれば、間違う権利のことだった。

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考える機械として育てられて

ミルの自由へのこだわりには、彼自身の育ちが影を落としている。父ジェームズ・ミルは、息子を功利主義の改革を担う人間に仕立てようと、常識はずれの英才教育をほどこした。ギリシア語を教わったのは三歳のとき。同じ年ごろの子どもと遊ぶことも、ほとんど許されなかった。感情を育てるより、理屈を鍛えることが、何よりも優先された。J.S.ミルは、いわば考える機械として組み立てられていった。

その機械が、二十歳のころに止まる。ミルは深いうつに落ち込んだ。ある日、彼は自分にこう問うてみたのだという。もし自分の目指す社会の改革がすべて実現したとして、そのとき自分は幸福だろうか。心のなかの声は、否と答えた。目標をすべて達成しても、少しも心が動かない。理屈だけで組み上げられた人間の、行き止まりだった。

彼を救ったのは、論理ではなく、詩だった。ワーズワースの詩を読むうちに、鍛え損ねていた感情が、少しずつ戻ってきた。人には、理屈で割り切れない内面があり、それを自分の手で育てていくことに意味がある。この痛みをくぐり抜けた経験が、のちの『自由論』の底を流れている。個性を守れというミルの主張は、机の上でこしらえた理屈ではなかった。自分の生き方を自分で選べなかった人間が、選べることの大切さを、身をもって知っていた。

「本人のため」という干渉

ミルの原理は、そっけないほど単純だ。個人であれ集団であれ、誰かの行動の自由に踏み込むことが許されるのは、ただ一つの場合しかない。他人への危害を防ぐときだ。本人自身の幸福のため、健康のため、道徳のため。そうした「本人のためだ」という理由は、その人を力で従わせる十分な根拠にはならない。ミルはこの線引きを、危害原理と呼んだ。

ミルは、この原理に一つ、ただし書きをつけている。これが当てはまるのは、判断する力の十分に育った大人だけだ。まだ自分で自分を守れない子どもや、他人の世話を必要とする人は、この線の内側では考えられていない。間違う権利は、自分の間違いの重みを引き受けられる者にこそ許される。放りっぱなしの自由ではなく、責任と対になった自由だった。

言い分は、分かる。目の前で誰かが自分を損なう選び方をしていれば、止めたくなるのが人情だ。忠告することはできる。説得し、頼み、道理を説くこともできる。だが、そこから先が違う。力で押さえつけたり、世間の圧力で締め上げたりしていいのは、その行いが他人に害を及ぼすときだけだ。自分にしか関わらないことについては、個人はその領域の主権者である。体と心は、本人のものだ。

ただし、ミルは、周りの人間に何もできないと言ったのではない。ある人の生き方が愚かに見えるなら、そう思うのは自由だし、その人を避けることも、忠告することも、他の人に気をつけるよううながすこともできる。禁じられているのは、罰を与えることだ。法の力や世論の力で、生き方そのものを罰してはいけない。感想を持つことと、罰することのあいだに、ミルははっきりと線を引いた。

この線は、冷たく聞こえるかもしれない。放っておくことが、薄情に見えることもある。けれどミルは、人が人を「その人自身のために」支配しはじめたとき、そこから何が起きるかをよく知っていた。善意は、際限を持たない。相手のためを思う気持ちは、どこまでも踏み込んでいく理由になる。だからこそ、踏み込んでいい場所の手前に、あらかじめ杭を打っておく必要があった。

多数がつくるもう一つの専制

なぜミルは、これほど個人の側に踏みとどまったのか。彼が恐れていたのは、王や独裁者の専制だけではなかった。民主主義が広がっていく社会には、もう一つの、もっと逃げ場のない専制がある。多数者の専制だ。

法律で人を縛るのは、まだ分かりやすい。目に見えるし、抵抗する相手もはっきりしている。だが、世論や慣習が人を縛るとき、鎖は見えなくなる。「みんなそうしている」「普通はこうだ」という空気が、少数派の生き方を、じわじわと締めつけていく。牢に入れられるわけではない。ただ、変わり者として扱われ、白い目で見られ、少しずつ居場所を削られていく。この圧力には、政治権力のような境目がない。日々の暮らしのすみずみに染み込み、人の心の内側にまで入り込んで、そこから支配してくる。

多数派は、しばしば自分たちの好みを、道徳そのものと取り違える。自分たちが心地よいと感じることを、社会全体が従うべき掟だと思い込む。そして、そこからはみ出す者を、悪や未熟の印として裁く。数が多いことは、正しさの保証にはならない。ミルが危害原理という防壁をわざわざ立てたのは、この多数の善意から、たった一人の生き方を守るためだった。彼はそのことを、繰り返し書いている。

この心配は、古びていない。世論はいまや、以前よりも速く、広く行き渡る。声の大きい多数の感じ方が、一日のうちに世間の常識になり、それに逆らう少数の声は、たやすくかき消される。数の力が一人の生き方をのみ込もうとするその場面で、ミルの引いた一本の線は、まだ意味を失っていない。

沈黙させてはいけない一人

ミルがとりわけ力を込めたのが、思想と言論の自由だ。彼はこう書いている。かりに一人を除く全人類が同じ意見を持ち、そのたった一人だけが反対していたとしても、その一人を黙らせる権利は、誰にもない。逆に、その一人が力を持って全人類を黙らせるのが許されないのと、まったく同じように。

なぜ、間違っているかもしれない意見を、わざわざ残しておくのか。ミルは三つの理由を挙げる。

一つ目。黙らせようとしているその意見が、じつは正しいのかもしれないから。人間は誤りうる存在だ。歴史をふり返れば、多数が確信していたことが、後の時代にことごとく覆されてきた。かつてアテナイの市民たちは、投票によってソクラテスを死刑にした。彼らは、自分たちが正しいと信じきっていた。自分たちだけは絶対に間違えない、と決めてかかること。それは、人が間違いを犯しうるということを、まるごと忘れる態度だ。

二つ目。反対意見が誤っていたとしても、そこには、たいてい一部の真理が含まれているから。完全に正しい意見も、完全に間違った意見も、めったにない。異なる声をぶつけ合ってはじめて、どちらか一方には埋もれていた半分の真理が、拾い上げられる。

三つ目。これが、ミルのいちばん深いところだ。かりに自分たちの意見が丸ごと正しかったとしても、反対する声にさらされないまま信じられている真理は、生きた真理ではなくなる。誰もその中身を本気で問い返さなくなり、ただ口先で唱えられるだけの、死んだドグマに変わっていく。反対する声は、真理をすり減らすものではない。それを研ぎ直し、生かしつづけるものだ。

ミルは、こうも言い添えている。自分の意見の側からしか物事を知らない人間は、その意見についても、じつはよく知らない。反対する側がどんな理由でそう考えるのかを知らなければ、自分がなぜ正しいのかも、本当のところは分かっていない。相手の言い分を、いちばん強い形で言えるようになってはじめて、人は自分の考えを手にしたと言える。だから議論は、勝ち負けを決めるためだけのものではなかった。互いの考えを、鍛え合うためのものだ。

だから、間違った意見にも居場所がいる。間違う権利は、間違えるかもしれない一人のためだけにあるのではなかった。正しさの側が、その正しさを生きたまま保つためにも、要るものだった。

慣習という主人

ミルがもう一つ恐れたのは、慣習という、顔の見えない主人だった。彼の見るところ、その時代の人びとの危うさは、反抗しすぎることではなく、むしろ従いすぎることにあった。多くの人は、自分が本当は何を望んでいるのかを、いつのまにか問わなくなる。まわりが望ましいとするものを望み、まわりが選ぶものを選ぶ。そうして、自分で選ぶという力そのものが、使われないまま錆びついていく。

選ぶ力は、筋肉に似ている。使わなければ衰える。慣習をなぞってばかりいると、やがて人は、なぞる以外のやり方を思いつけなくなる。ミルはこれを、人類の進歩をはばむ、根深い壁だと考えた。世間の平均から外れることが、それだけで怪しいこととして扱われる社会。誰もが少しずつ、当たり障りのない真ん中へ寄せられていく社会。ミルが案じたのは、そういう、誰も自分自身であろうとしなくなった世界のほうだった。

人は鋳型ではなく樹木

自由が守るのは、意見だけではない。生き方そのものだ。ミルは、人間を機械にたとえることを嫌った。人は、設計図どおりに部品を並べて組み立てる機械ではない。内側の力にしたがって、それぞれの方向へ枝を広げていく樹木のようなものだ、と彼は書いた。

慣習に従うだけの生き方は、それがどれほど無難で立派に見えても、選択とは呼べない。ただ、まわりと同じ型をなぞっているだけだ。人が自分の生き方を自分で選ぶとき、迷い、試し、ときに間違えながら選ぶとき、はじめてその人だけの力が育っていく。どう生きるかを自分で決めるという営みそのものが、人を一人の人間にしていく。それは本人の幸福であるだけでなく、社会にとっての活力にもなる。

天才や独創は、多様さの許される空気のなかでしか育たない、とミルは考えていた。誰もが同じ型にはまり込んだ社会では、一歩はみ出す者が、ただの奇人として押しつぶされる。少数の変わり者が、慣習の外側で、自分の生き方を試してみせること。その多様な実例こそが、まだ誰も気づいていない真理や、よりよい暮らし方を、社会に教えてくれる。画一は、進歩を止める。互いに違っていていいという許しが、文明をゆっくり前へ押し出していく。

人には、それぞれ、育つのに合った土がある。同じ日当たり、同じ水やりが、すべての木にとっての最善とはかぎらない。ある人をのびのびと伸ばす暮らし方が、別の人には窮屈な型でしかないこともある。だからミルは、生き方に一つだけの正解を押しつけることを警戒した。誰もが同じ幸福の形に収まろうとする社会は、見た目には整っていても、内側からやせ細っていく。

どこまでが自分だけのことか

もちろん、自由は、何をしてもいいという意味ではない。ここを取り違えると、ミルの議論は、わがままの言い訳にすり替わってしまう。彼が擁護したのは、放埒ではなかった。

間違う権利が及ぶのは、あくまで、自分自身にしか関わらない領域だ。他人に危害を加える行い、果たすべき義務を投げ出す行いは、この自由の外にある。だから問題は、どこまでが本人だけに関わることで、どこからが他人に及ぶことなのか、その境目をどう引くかへ移っていく。これが、この本のいちばん難しい問いだ。

そして、その境目は、いつもくっきり引けるわけではない。一人の酒の飲み方は、本人の勝手かもしれない。だが、その人に養われる家族がいれば、酔いは他人の暮らしにまで及んでいく。ミル自身、この境目に、割り切った答えを与えたわけではなかった。ただ、迷ったときにどちらへ重心を寄せるかを、はっきりさせた。疑わしいときは、干渉する側にではなく、個人の自由の側に寄せる。間違う余地を、できるだけ残しておく。それが、多数の善意が一人をのみ込んでいくのを食い止める、最後の歯止めだった。

おわりに

『自由論』が世へ出たのは1859年、ミルが妻ハリエット・テイラーを失った直後だった。二人で長い時間をかけて育ててきた考えを、彼は一人になってから書物にして送り出した。冒頭の献辞は、その共同の証しでもある。ミルは1806年に生まれ、1873年にこの世を去るまで、思想の自由と、それを支える仕組みのことを考えつづけた。

読み返して残るのは、答えのそろった本ではない。危害原理という一本の線は、引こうとするたびに、どこに引くべきか分からなくなる。自分だけに関わることと、他人に及ぶこと。その境目は、時代によっても、人によっても揺れつづける。ミルは、その揺れを消してはくれない。

ミルが求めているのは、他人の間違いに口をつぐんで、無関心でいることではない。むしろ逆だ。意見を交わし、説得を試み、正しいと思うことは正しいと言えばいい。ただ、その先で、相手の生き方そのものを力で捻じ曲げないこと。言葉は尽くしても、最後の一線は越えないこと。関わることと、支配することは、違う。

それでも、この本が手渡してくるものは小さくない。誰かの生き方が、自分の目には間違って映るとき。よかれと思って、その袖を引きたくなるとき。ミルは、ほんの少しだけ手を止めることを求める。その人の間違いは、その人のものだ。そして、いつか間違えるのは、自分のほうかもしれない。

自由とは、正しさを手放すことではなかった。間違えるかもしれない誰かのために、席を一つ空けておくこと。その誰かのなかには、いつかの自分自身も含まれている。

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