G-0C41NE8DJB 『禅と日本文化』鈴木大拙 — 言葉にしないことで、伝わるもの|亀吉の呟き
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『禅と日本文化』鈴木大拙 — 言葉にしないことで、伝わるもの

『禅と日本文化』鈴木大拙 — 言葉にしないことで、伝わるもの
yoshiomi

鈴木大拙が『禅と日本文化』のもとになる講演を行ったのは、禅を外側から眺める欧米の聴衆に向けてだった。原著は英文で、”Zen Buddhism and Its Influence on Japanese Culture”、1938年に京都の東方仏教徒協会から刊行されている。禅とは何かという予備の知識から説き起こし、それが日本の美術、武士、剣術、茶道、俳句、そして自然への親しみにどう及んできたかを、具体的な事例を挙げて解いていく一冊だ。禅という経験のありようを、言葉の届きにくい相手へ、それでも言葉で伝えようとした試みでもある。

その本全体を貫く主張は、少し意外なところにある。禅は文字や理屈で説明しきれない、という一点だ。膨大な言葉を費やして書かれた一冊が、言葉で言い尽くせないものについて語っている。矛盾のようで、そうではない。鈴木大拙が伝えようとしたのは、説明できない核があるからこそ、それは説明を超えて深く伝わってきた、という逆説だった。言葉にしないことは、伝えないことではない。この本は、その一行を一冊かけて説いたものだと言ってもいい。

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言葉にしきれない核

禅には「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がある。真髄は文字や言葉では言い表しきれず、概念や理屈ではなく、実践と体験で直に体得するしかない、という意味だ。経典に記された教義よりも、じかの経験を重んじる。悟りを開いた人から人へ、灯から灯へ移すように伝えられてきた、と禅は考える。

これを「言葉は無意味だ」「知性など要らない」という話に受け取ってしまうと、行き先を誤る。鈴木大拙自身が百冊を超える著作を残し、禅を英語圏へ伝えるために生涯を言葉に費やした人だった。言葉を否定したのではない。言葉で言い尽くせない何かが確かにある、と言ったのだ。地図をどれほど精密に描いても、その土地を歩いた実感そのものにはならない。レモンの酸っぱさを、まだ口にしたことのない人へ、言葉だけで渡すことはできない。説明は説明であって、経験の代わりを務めることはできない。だからこそ、禅は説明をあきらめない代わりに、経験そのものへ人を向かわせようとする。

禅の修行に、公案(こうあん)と呼ばれる問いがある。理屈では解けない問いをあえて弟子に与え、考えて考えて、その考えが行き詰まったところで、頭の働きとは別の見え方をひらかせる。片手で打つ音を聞け、という類の問いは、論理の階段を一段ずつ上っていっても答えに届かない。答えは知識として渡せるものではない。行き詰まりの先で、当人がじかに掴むものだからだ。ここにも、言葉で言い尽くせない核へ人を向かわせる、禅のやり方が表れている。言葉は、言葉の外へ人を運ぶための舟のように使われる。

鈴木大拙が生まれたのは1870年、金沢でのことだ。号の「大拙」は、参禅した鎌倉円覚寺の師・釈宗演から授かった。大いなる拙(せつ)、大きな不器用さ、飾らなさ、という含みがある。言葉で器用に片づけない構えが、そのまま名前になっている。同じ1870年に生まれ、生涯の親友となった哲学者の西田幾多郎とは、若い頃から思想を交わし続けた。二人はそれぞれのやり方で、言葉になる手前にある経験を見つめていた。大拙はその経験を、東洋の外の人々へ手渡す言葉を探すことに、長い年月を注いだ。妻ビアトリス・レインとともに英文の仏教誌を営み、欧米で講義を重ね、禅という言葉になりにくいものを、別の言語圏の人々の胸へ届けようとし続けた人だった。

眼がひらくということ

大拙は「悟り」を、遠い神秘体験としては語らない。坐禅や工夫を通して、知性や妄想に曇らされていない自己の本性を見究めること。もっと言えば、日々の暮らしの経験に新しい意味を見つける眼のひらけ、として説く。

朝、水を汲む。庭を掃く。飯を炊く。その一つひとつは昨日と同じ動作でありながら、あるとき今までとは違って見えてくる。遠いどこかに答えが隠されているのではなく、いつもの暮らしのただ中で、見え方のほうが変わる。悟りとは、世界を離れて別の世界へ行くことではなく、同じ世界をもう一度、初めて見るように見ることだった。窓の外の木は昨日と同じ木で、けれど、その緑がふいに新しく届く。何かを足したわけではない。曇りが取れただけだ。

大拙が悟りをうっとりとした忘我の陶酔として語らないのも、この見方と地続きだ。日常を忘れて別世界へ飛ぶ話ではない。むしろ日常のただ中へ、深く立ち返る。飛び上がる代わりに、足の下の地面に、あらためて気づく。だから禅の悟りは、いつまでも続く恍惚とは違う。洗った茶碗を棚へ戻し、また次の用事へ向かう、その当たり前の続きのなかにある。特別な高みへ抜け出す解放でもない。ありふれた一日を、はじめて出会うものとして生き直す力だと言っていい。

だからこの本の禅は、暮らしから切り離された修行者だけのものではない。飯を炊くという当たり前の行いのなかにも、眼のひらける契機がある、と大拙は見る。遠くの特別な場所へ出かける必要はない。いま立っているここが、すでにその場だった。禅の問答が、しばしば「ごはんは食べたか」「では茶碗を洗いなさい」といった何気ないやりとりに落ちていくのも、そのためだ。悟りは日常の外にあるのではなく、日常の見方の内側にある。

はからいを手放したところに

禅がいう「無」や「空(くう)」は、何もない空虚とは違う。大拙はそれを、あらゆるものを孕んだ創造の母胎として語る。心を空(むな)しくし、はからいを手放したところに、かえって澄んだ働きと強さが生まれる。

考えすぎて手が動かなくなる、という経験は誰にでもある。うまくやろう、失敗すまい、と心が先回りするほど、体はこわばる。自転車に乗れるようになった日を思い返せば、乗ろうと力んでいるあいだは倒れ、力を抜いた瞬間に進んでいた。人前で話すときも、言葉を選びすぎると舌がもつれ、相手のほうへ気持ちが向いた途端に、言いたいことがするすると出てくる。無心とは、その先回りをやめることだ。何も考えない鈍さとは違う。はからいが消えて、必要な働きだけがまっすぐ通る澄み方をいう。うまくやろうという自分への気づかいが薄れるほど、目の前のことへ心が明け渡される。

空っぽであることが、むしろ満ちている、という言い方を大拙はする。器は、中が空であることによって、水を注げる。部屋は、何もない広がりがあることによって、人を入れられる。詰まっていない、ということが働きを生む。禅の「無」は、欠けや不足ではなく、これから何にでもなれる余白として捉えられている。心を空しくするとは、自分を消すのではない。はからいの詰まりを取り払って、世界をまっすぐ通すことだった。

墨で字を書く人が、うまく書こうと身構えるほど筆先が濁り、力みが抜けたときにかえって伸びやかな線が引ける、という話とも通じる。無心は、投げやりとは違う。それどころか、稽古を積み、技を体に入れきった果てにようやく訪れる澄み方だ。何もしないことでもない。むしろ、はからいだけが抜けて、身につけた働きがそのまま出てくる。だから禅は、坐禅や工夫という地道な積み重ねを軽んじない。積み重ねた末に、その積み重ねを意識しなくなる。そこに大拙のいう強さがある。

剣の一太刀に

大拙が禅と日本文化のつながりを説くとき、繰り返し引くのが剣の道だ。剣の極意を、彼は「空の心」「無心」「妙」として語る。柳生但馬守の「神妙剣」などが例に挙げられる。斬ろうと構えた心が、相手より一瞬遅れる。生きようとしがみつく心が、体を縛る。だから、はからいを手放した無心の一太刀こそが、かえって澄んで速い、と説かれる。技術の上達の話であると同時に、心のありようの話でもある。

ここで大拙は、武士たちに読み継がれた『葉隠』の一句にも触れる。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」。この句は『葉隠』のものであって大拙自身の言葉ではないが、彼はこれを、死に急ぐ勇ましさとしてではなく、生死のはからいから離れた無心の構えとして読み解く。死を覚悟することは、いのちを粗末にすることではない。生きたい死にたくないという迷いが消えたところに、まっすぐな働きが戻ってくる、という逆説だ。恐れをなくすのではなく、恐れに支配されない心の置きどころを、剣は問う。

大拙が剣を通して語ろうとしたのは、平常の心のことでもある。危機を前にして波立たない心とは、感じることをやめた鈍い心ではない。むしろ、恐れも高ぶりも通り抜けさせて、次の一動作を曇らせない心だ。動じないのは、固まっているからではない。こだわりが引っかからずに流れていくからだ。剣の道が禅と深く結びついたのは、勝ち負けの技術としてより、この心の置きどころを鍛える道として受け止められたからだった。

そして大切なのは、剣がここで言葉を必要としない、ということだ。師から弟子へ、極意は説明として渡されるのではなく、向き合い方の型として、体から体へ移っていく。稽古を重ねた者の体が、考えるより先に動く。教本を何冊読んでも、その一瞬の働きは身につかない。言葉にしきれない核が、剣という形をとって受け継がれてきた。まさに不立文字が、生きて働いている場面だと言っていい。

茶の一滴と俳句の一音

同じことが、茶にも句にも言える。茶道の一滴に、俳句の一音に、禅は潜んでいる、と大拙は見る。わずかなもの、簡素なものに、全体を宿す感受性。茶室の質素なしつらえ、湯の沸く音、一碗を差し出す手の動き。そこには、言葉で説明を尽くすのとは逆の方向がある。削って、削って、最小のものに、最大を託す。芭蕉の句が、一瞬の光景をたった十七音に切り詰めて、その先の広がりを読む人にあずけるのと同じだ。

侘びや簡素を、かっこいいミニマリズムの美学として受け取るのは早い。簡素は結果であって、根には無心と悟りの経験がある。飾りを削ぎ落とすこと自体が目的ではない。はからいを手放した先に、おのずと簡素な形が残る。順番が逆なのだ。見た目を真似て物を減らしても、そこに無心がなければ、ただの殺風景になる。

茶の湯には、一期一会という言葉がある。同じ人と同じ茶を囲む時間は、二度と同じようには巡ってこない。その一度きりを取りこぼさないために、器や所作から余計を削り、目の前の一碗に心を集める。豪華さを競うのではなく、乏しさのなかに満ちるものを見る。これも、言葉で価値を説き立てる方向とは逆だ。少なさが、かえって多くを呼ぶ。大拙が茶に禅を見たのは、この逆向きの感受性が、無心や悟りと同じ根から伸びていると考えたからだった。

日本人が古くから抱いてきた自然への親しみも、大拙は禅の真如、つまりありのままの実在に通じるものとして語る。花を咲かせ、葉を散らす自然は、何ひとつ説明しない。ただそうあることで、すべてを見せている。人がそれを美しいと感じるとき、言葉より先に、何かがすでに伝わっている。四季の移ろいに心を寄せる感受性は、教わって身につくものというより、暮らしのなかで型として受け継がれてきたものだ。ここで大拙が説くのは、日本が特別に優れているという自慢ではない。禅という経験が、この土地の暮らしと芸のなかへ、どんな形で根を下ろしたか、という一つの見取り図だった。

おわりに

鈴木大拙が『禅と日本文化』で説いたのは、つまるところ、言葉にしないことは伝えないことではない、ということだった。剣も茶も句も、教義として言葉で手渡されたのではなく、向き合い方の型として、無言のまま受け継がれてきた。説明できないものは価値がない、と急かされる世の中で、この逆説はなかなか信じにくい。けれど、説明を尽くせないものほど深く残る、という経験を、私たちは案外知っている。

この本を貫いているのは、「型」という一語だ。型とは、意味を説明ぬきに次の世代へ渡す器だ。剣の構え、茶の所作、句の調べ。理由を言葉で言い尽くせないまま、体でなぞるうちに、いつしかその奥にあるものが移ってくる。理屈で教えれば早いように見えて、言葉にした瞬間にこぼれ落ちるものがある。だから禅は、説明ではなく型を選んだ。急いで結論を言い当てるより、時間をかけて手渡すほうが、遠くまで届くことがある。効率のものさしからは外れて見えるこのやり方を、大拙は日本文化のあちこちに読み取っていった。

湯を注ぐとき、その音に耳をすます一瞬がある。戸を閉めるとき、最後に力をゆるめるひと呼吸がある。靴を脱ぐとき、いつのまにか向きをそろえている。それらは言葉になっていない。けれど、確かに何かが伝わっている。手が、そして体が、言葉より先に覚えている。

大拙は1966年に世を去った。残した百冊を超える言葉は、言葉で言い尽くせないものを指さすために費やされた。禅には、月を指す指の喩えがある。指は月ではない。指ばかり見ていては、月を見落とす。それでも、指がなければ、月を見上げる人もいない。彼の膨大な言葉は、言葉の外にあるものへ、指を向け続けている。言葉を尽くして、言葉の限界を示す。その一見あべこべな仕事に、生涯をかけた人だった。だからこの本は、禅の答えを教える本ではなく、答えのある方向へ顔を上げさせる本として読める。

そう思って読み進めると、思い当たることがあるかもしれない。自分の何気ないひと呼吸に、ひと所作に、言葉にならないまま宿っている型が、もうそこにあることに。それは説明を待っているのではない。ただ、気づかれるのを待っている。

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