G-0C41NE8DJB 『私の個人主義』夏目漱石 — 自分の物差しから離れて|亀吉の呟き
亀吉の書評

『私の個人主義』夏目漱石 — 自分の物差しから離れて

『私の個人主義』夏目漱石 — 自分の物差しは、少し淋しい
yoshiomi

1914年の11月、夏目漱石は学習院に招かれて壇上に立った。聴いていたのは、いずれ国の権力や富を担う側にまわる若者たちだった。演題は「私の個人主義」。ところが漱石は、立派な主義主張をぶつ代わりに、自分の来歴を語りはじめる。若いころ、いかに行き詰まっていたか。その行き詰まりを、どんな一語で抜け出したか。抽象論ではなく、自分がくぐった穴の話をする、と最初に断るのだ。

漱石はこのとき、小説家として世に知られていた。だが壇上で語られるのは、成功者の自慢話ではない。むしろ、長いあいだ霧の中にいた人間の、うまくいかなかった時期の話だ。その正直さが、この講演を百年以上も生きのびさせた理由の一つだと思える。

時代は第一次世界大戦が始まった年だった。国家主義の声が強まり、個人よりも国を先に立てる空気が広がっていた。そんななかで個人主義を説くのは、いくらか危ういことでもあった。漱石はその危うさを承知のうえで、聴衆にこの言葉を渡そうとした。国を担う若者にこそ、自分の頭で理非を決める構えを持ってほしかったのだろう。

いま「自分らしく生きよう」「個性を大切に」という言葉は、あちこちで聞く。励ましのはずのその言葉に、かえって少し息苦しくなる人もいる。もっと個性的であれ、もっと自分を出せ。そう急かされるほど、自分には出すべき個性などないのではないかと、心細くなる。漱石が壇上で渡そうとしたのは、それとは色合いの違う言葉だった。個性を飾り立てる話ではなく、自分の頭で考えて決める、という地味な話である。

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借りものの物差し

若い漱石は英文学を学んでいた。熱心に本を読み、批評家の説を覚えた。けれど、肝心の「文学とは何か」が、いくら読んでもつかめない。手がかりに西洋の学者の意見を借りてきて、それらしく振る舞う。人の言葉で武装して、互いに褒め合う。その空しさに、漱石は気づいていた。

自分の判断のもとが、どこにもない。よその国の偉い人がこう言った、だから正しい。その借りものの物差しで、文学も自分も測っていた。漱石はのちにこれを「他人本位」と呼ぶ。他人を軸にして、自分の立つ位置を決めてしまう状態のことだ。

漱石が正直だったのは、他人本位を外側の問題にしなかったところだ。悪いのは西洋でも、批評家でもない。借りものの物差しを疑わずに握っていた自分のほうを、まず問うた。誰かの説を覚えて並べれば、その場は格好がつく。褒められもする。けれど、覚えた言葉と自分の実感のあいだには、いつも埋まらない隙間が残っていた。その隙間を見ないふりで、借りものを積み重ねていく。積むほどに、足元は借り物ばかりになっていった。

借りものの物差しの厄介なところは、それが借りものだと気づきにくい点にある。生まれたときから周りにあった価値観は、空気のように自然で、疑う対象にすらのぼらない。みんなが良いと言うものを良いと信じ、みんなが下だと見るものを下だと感じる。その目盛りを、自分で選んだつもりでいる。漱石が問うたのは、その気づきにくさそのものだった。

考えてみれば、これは百年前の英文学青年だけの話ではない。誰かの評価、世間の尺度、みんなが良いと言うもの。それを借りて自分を測り、足りないと焦る。借りものの物差しは、いつもいつだって自分に合わない。合わないまま、その目盛りで自分を裁いてしまう。他人本位というのは、遠い昔の言葉ではない。いまも多くの人が立っている場所なのである。

ロンドンの霧

三十代のはじめ、漱石は国費でロンドンに送られる。本場で英文学を究めてこい、というわけだ。ところが現地で待っていたのは、いっそう深い行き詰まりだった。体つきも語学も引けを取ると感じ、下宿にこもる。本を積み上げて読んでも、霧の中にいるようで出口が見えない。袋のなかに閉じ込められて、どこから出ればいいのかわからない。漱石はそのころの心持ちを、そんなふうに振り返っている。

留学のあいだ、漱石は神経をすり減らした。うまくいかない自分を責め、なぜつかめないのかと問い続ける。この暗がりのなかで、ふと一つのことに思い当たる。西洋の批評家が言うことを、なぜ自分はそのまま呑み込んできたのか。彼らと自分とでは、風俗も人情も習慣も、そもそも育った国が違う。ならば、彼らの尺度をそっくり借りるのではなく、その違いのもとから自分の頭で判断すべきではないか。

この気づきが、漱石を穴から引き上げた。借りものをやめて、自分を土台に据える。ここではじめて、本当の意味での英文学研究が動き出したという。行き詰まりが解けたのは、新しい知識を足したからではない。物を測る道具を、他人のものから自分のものに取り替えたからだった。読んだ本の量が変わったのではなく、読む自分の立ち位置が変わったのだ。

のちに漱石は、ロンドンで送った日々を人生でもっとも不愉快な歳月だったと振り返っている。周囲からは神経を病んだと噂され、留学を早く切り上げるよう気遣われもした。だが、この不愉快な歳月がなければ、自己本位という語は生まれなかった。行き詰まりの底まで沈んだからこそ、そこを蹴って浮かび上がる一語が要ったのだ。楽な留学であったなら、借りものの物差しを握ったまま帰ってきたかもしれない。

自己本位という言葉

漱石はこの立脚点を「自己本位」と名づけた。自分を本位にする、つまり自分の頭で理非を決める。言葉だけ取り出すと、わがままな響きに聞こえるかもしれない。だが漱石の言う自己本位は、好き勝手に振る舞うことではない。借りものの権威に寄りかからず、自分で確かめ、自分で判断する責任を引き受けることだ。

この一語が、漱石にとって命綱になった。以後、何かに迷ったとき、この語に立ち返ると足元が固まる。自信の根が、外からの評価ではなく、自分の内側にできた。他人がどう言おうと、まず自分が理非を明らめる。その並びが、彼のなかで定まった。

暗がりから抜けたときの安堵を、漱石は繰り返し語っている。それまでは、いくら努力しても手応えのない不安のなかにいた。自分の立つ地面が、借りものだったからだ。自分を本位にすると決めてはじめて、努力の向かう先が定まった。同じだけ本を読んでも、読む意味がまるで違ってくる。自分の立ち位置が定まると、世界の見え方まで変わるのだ。

ここには、いまよく聞く「本当の自分を見つけよう」という話とは違う響きがある。自己本位は、内側に隠れた特別な自分を掘り当てる話ではない。自分の頭で考えて決める、その姿勢のことだ。見つけて終わるものというより、日々引き受けていくものに近い。

わがままではない

講演の後半で、漱石は自己本位を「個人主義」という言葉へ広げていく。ただしすぐに釘を刺す。自分の言う個人主義は、ただの利己主義とは違う、と念を押すのだ。自分を尊ぶなら、同じだけ他人も尊ぶ。そこが抜け落ちたら、個人主義はわがままに堕ちる。

漱石はそれを、三つの筋道で示した。自分の個性を伸ばしたいと思うなら、同じように他人の個性も尊重しなければならない。自分の持つ権力を使おうとするなら、それに伴う義務を心得なければならない。自分の金の力を示したいなら、それに応じた責任を負わなければならない。個性も、権力も、金も、人格の裏打ちがなければ、他人を押しのけ、力を濫用し、世の中を腐らせていく。

三つの筋道に通うのは、力を持つ者ほど、その力に見合う人格を問われるという考えだ。個性の強い人間が人格を欠けば、まわりを踏みにじる。権力を持つ人間が人格を欠けば、それを濫用する。金を持つ人間が人格を欠けば、世の中を買い叩く。力そのものが悪いのではない。力を導く内側が育っていないと、力は害に転じる。漱石は聴衆に、力を持つ前に、まずその内側を育てよと説いていた。

いま「個性を伸ばせ」という掛け声は、しばしば個人主義とひとくくりにされる。だが漱石の個人主義は、自分の個性を伸ばすことと、他人の個性を認めることを、切り離さなかった。自分が伸びたいなら、隣の人が伸びることも同じだけ願う。その対等さが抜け落ちると、個性はただ他人を押しのける道具になる。伸びることと重んじること、この二つを一組にしたのが漱石の個人主義だった。

自由には、いつも同じ重さの義務がついてくる。漱石が壇上の若者たちに念を押したのは、この一点だった。君たちはこれから力や富を手にする側にまわる。その自由を使うなら、他人の自由も同じだけ重んじよ。義務と責任を欠いた自由は、ただの横暴になる。個人主義は、勝手放題の別名ではない。むしろ、自分に課す約束のことだった。自由の分だけ、背負うものが増える。漱石の個人主義は、そういう重さを持った言葉だ。

個人主義の淋しさ

ここまでなら、立派な道徳論として聞き流せたかもしれない。漱石の凄みは、その先にある。個人主義には淋しさがついてくる、と正直に認めるところだ。

「そこが個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです」。多数がどちらを向いているかで態度を決めるのではない。正しいか間違っているかを自分で見極めてから、進むか退くかを決める。だから、みんなと同じ側に立てないときがある。群れから外れて、一人になる。

これは、他人本位の裏返しだ。他人を軸にすれば、少なくとも一人にはならずに済む。同じ尺度を持つ仲間に囲まれて、暖かい。けれど、自分の物差しで理非を決めると決めた瞬間から、その暖かさの外に出る覚悟がいる。自由と引き換えに、漱石は淋しさを差し出した。都合のいい話にしなかった。個性を持てば輝ける、といった甘い約束を並べなかった。そこに、この講演のいちばんの誠実さがある。

淋しさと孤独は、似ているようで同じではない。誰にも相手にされずに取り残される孤独と、自分で理非を決めた末に群れから外れる淋しさとは、質が違う。前者は避けたいものだが、後者は自分で選び取ったものだ。漱石の言う淋しさには、選んだ者の背筋の伸びがある。惨めさではなく、自分の判断で立っている者の心細さなのだ。

淋しさを認めるというのは、勇気のいることだ。人を励ますなら、いいことだけ言うほうが楽だろう。だが漱石は、自分が実際に一人ぼっちになった心持ちを知っていた。だからごまかせなかった。自己本位で立つと、時に群れから外れる。その代償まで含めて、彼は差し出したのだ。

国家という大きな声

漱石が壇上に立った時代、日本には「国家、国家」と唱える大きな声があった。個人主義は、その声のなかでは危ない思想と見なされた。漱石はそこにも踏み込む。国家が危急のときには、誰もが国家を第一に考える。それは自然なことだ。けれど、平穏な日々に朝から晩まで国家を叫び続ける必要があるだろうか、と問い返す。

さらに漱石は、国と国のあいだの道徳は、個人と個人のあいだの道徳より段が低いことすらある、と言ってのける。国家の名のもとでは、平気で駆け引きも欺きも行われる。その尺度をそのまま個人に当てれば、人は自分の道徳を下げることになる。だからこそ、平時には個人の倫理を高いところに保っておきたい。個人主義は国家と敵対する思想ではなく、大きな声に呑まれずに自分で理非を決める、その構えのことだった。

漱石は国を否定したのではない。危急のときに国家を第一に思うのは当然だと、はっきり認めている。彼が退けたのは、平時にまで国家の名で個人の判断を封じる空気のほうだった。大きな声に合わせておけば、責められることはない。反対に、一人で理非を決めれば、時に後ろ指をさされることもある。それでも自分の頭で考える姿勢を手放すな。漱石が若者に望んだのは、その一線だった。

この距離の取り方は、いまの世にも通じている。世間、空気、多数派、みんながそう言っている、という圧。大きな声はいつの時代にもある。その声に合わせれば楽だし、一人にならずに済む。漱石が示したのは、その声と自分のあいだに、一歩分の距離をとる勇気だった。呑まれないために、まず自分で理非を明らめる。個人主義の淋しさは、この距離の別名でもある。

おわりに

自己本位という言葉を、漱石は自慢げには語らなかった。それは行き詰まった一人の人間が、暗がりのなかでようやく拾い上げたよりどころだった。自分の物差しを持つことは、自由と自信を連れてくる。同時に、群れの暖かさから一歩外に出る淋しさと、自由に見合う義務を連れてくる。漱石はそのどちらも隠さなかった。

百年たっても、借りものの物差しで自分を測る癖は、少しも古びていない。誰かの評価、世間の目、みんなが正しいと言うもの。それで自分を裁いて、足りないと焦る。漱石の講演は、その物差しを一度手放して、自分の頭で理非を決めてみよ、と静かに勧める。

漱石の講演が励ましと違うのは、いいことだけを約束しない点にある。自分の物差しを持てば、自由になれる。それは本当だ。だが同時に、群れの暖かさを離れ、義務を負い、時に一人になる。その全部を引き受けてはじめて、自由は自分のものになる。半分だけ切り取って甘く語らなかったところに、この講演の芯がある。

その先に待っているのは、明るいだけの自由ではない。一人で決めることの、少しの淋しさだ。けれど本書を読んだ後では、その淋しさの見え方が変わってくる。淋しいのは、まだ誰かの物差しを借りていないからだ。一人になれるということは、自分の足で立っている、その証でもある。淋しさは弱さの印ではなく、自分の物差しをまだ手放していない印なのだ。

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こんにちは。亀吉です。 仕事の合間にブログを書いています。 このブログは、どこまでも個人的で恣意的な思想の表明です。思うままに・・・ 映画と本が好きです。その他音楽や登山など。
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