『君たちはどう生きるか』吉野源三郎 — 答えではなく問いを君に手渡す
はじめに
一冊の本が、読者に向かって「君はどう生きるか」と問いかけて終わる。答えを添えずに、問いだけを残して。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、その題のとおり、最後まで答えを言わない本だ。
書かれたのは一九三七年(昭和十二年)。日中戦争が始まった年で、軍国主義と言論の統制が、日ごとに強まっていた。その年に、大人が少年へ向けて、道徳を言い渡すこともできたはずだ。正しさとは何か、こう生きよ、という調子で。けれどこの本は、そうしなかった。物語のわきで、おじさんという若い大人がノートを書く。少年を観察し、考え方の手本だけを見せて、最後の問いは本人へ返す。
いまこの本は、羽賀翔一の漫画版をきっかけに、ふたたび多くの人に読まれている。宮崎駿が同じ題の映画をつくったことも、その名を広く知らせた(映画は、この本とは別の物語だ)。読み返してみると、これは道徳のお手本でも、生き方の答え合わせでもない。自分の頭で考える、その考え方そのものを手渡そうとした本だ。
書いたのは吉野源三郎。編集者であり、ジャーナリストであり、戦後は雑誌『世界』の初代編集長をつとめた人物である。この本は、山本有三が中心になって編んだ『日本少国民文庫』という叢書の一冊として世に出た。もともとは山本有三自身が書く予定だったが、病にたおれ、代わりに吉野が筆をとった。子ども向けの読み物という体裁をとりながら、そこに込められたのは、人間の尊厳と、自由にものを考える力への、深い信頼だった。
コペル君という名前
主人公の少年は、本田潤一という。友だちにも大人にも、コペル君と呼ばれている。おかしなあだ名だが、その由来をたどると、この本が何を伝えようとしているかが見えてくる。
ある雨の日、コペル君はおじさんと銀座のデパートの屋上にのぼった。手すりから下を見おろすと、往来を行きかう大勢の人が、雨のなかで小さくうごめいている。傘の波、豆粒のような頭。そのとき少年の胸に、奇妙な感じがわいた。人間は、こんなにも小さい。そして自分も、あの見おろされる一人にすぎない。この街には、名前も顔も知らない人が、数えきれないほどいて、めいめいに生きている——。
その話を聞いたおじさんは、ノートにこう書いた。人は誰でも、はじめは自分を世界の中心に置いて考える。太陽が自分のまわりを回っていると思う、天動説のように。けれどコペルニクスは、地球のほうが動いているのだと見方を変えた。きみが屋上で感じたのは、それに近い。自分を中心から外して、大きな関係のなかの一つとして自分を見る、その入り口に立ったのだ、と書きそえた。だからおじさんは、少年をコペル君と呼ぶことにした。
あだ名ひとつに、ずいぶん大げさな話に聞こえるかもしれない。けれど吉野は、この視点の入れかえを、本のいちばんの土台に置いた。自分を中心にして世界を眺めるか、大きな関係のなかに自分を見るか。そのわずかなちがいが、人の生き方を大きく分けていく。大人でも、なかなかできない見方の転換を、この本は少年の素直な驚きから始めてみせる。
網目の中の自分
見方を変えると、身のまわりのものが、急にちがって見える。コペル君は、一つの発見をノートに書く。それは、粉ミルクの缶をめぐる考えだった。
赤ん坊が飲む粉ミルクの一缶が、自分の手もとに届くまでを、たどってみる。遠い国で牛を飼う人がいて、乳をしぼる人がいて、缶をつくる人がいて、船で運ぶ人がいて、店に並べる人がいる。会ったこともない大勢の人の手が、一つの缶の背後で、見えない糸のように結ばれている。コペル君はこれを「人間分子の関係」「網目の法則」と名づけた。世界は、たがいに知らないままつながりあった、大きな網の目でできている。
おじさんは、その発見をほめる。そして少し先まで考えを進める。網の目のなかで、自分は何を受け取り、何を返しているのか。多くを受け取るばかりで、まだ何も返していない子どももいる。それでいい、いまはまだ。ただ、自分がその網の一部だと知った人は、もう以前のようには生きられない。受け取ったものに、いつか自分なりの返し方を見つけていく。生き方を考えるとは、この網目のなかで自分の本当の位置を知ることから始まるのだと、おじさんは書く。
この見方は、たんなる理屈ではない。自分が食べるもの、着るもの、住む家のすべてが、顔も知らない誰かの働きに支えられている。そう気づくと、世の中を上から見おろすような目つきは、自然とやわらいでいく。自分は、自分ひとりの力で生きているのではない。会ったこともない大勢の働きの上に、いまの暮らしが成り立っている。網目のなかで自分がどこに立っているかを知ることは、これまで受け取ってきたものの大きさに気づくことであり、その分、自分もいつか何かを返していく側にいるのだと知ることでもあった。
油揚げの弁当
考えは、頭のなかだけのことではない。網目は、教室のなかにもある。コペル君の学校に、浦川君という子がいた。豆腐屋の子で、家は貧しく、弁当のおかずは、いつも油揚げばかりだった。
ある日、その油揚げを、同級生の一人がからかった。貧しさを笑いものにする、たちの悪いからかい方だった。まわりが黙って見ているなかで、一人だけ前に出た子がいる。北見君、みんなにガッチンと呼ばれる、小柄だが正義感の強い少年だ。北見君は、からかった相手にまっすぐ立ち向かった。この一件をきっかけに、コペル君は北見君や浦川君と親しくなっていく。そこへ、クラスで人望のある水谷君も加わり、四人はいつもいっしょにいる仲になった。
貧しさを笑う声に、北見君はひるまなかった。弱い者をかばうのに、理屈はいらない。まちがっていることは、まちがっている。その単純な強さが、四人を結びつけた。コペル君は、頭のなかで世界の網目を発見し、教室では、その網目の下のほうで生きる友の姿を、目のあたりにする。考えることと、生きることが、少年のなかで少しずつ重なりはじめる。
浦川君は、貧しくても卑屈ではなかった。店の手伝いをし、豆腐づくりのことを生き生きと語る。コペル君は、貧しさと立派さが別のことなのだと、この友から学ぶ。網目のなかで、下のほうから世の中を支えている大勢の人がいる。その人たちを見おろすのでなく、同じ目の高さで見る。それを、コペル君は本からでなく、教室での友だちとのやりとりのなかで知っていった。油揚げの弁当は、その入り口にすぎない。
動けなかった雪の日
四人は、あるとき約束をした。上級生が北見君にきつく当たっているという。もし上級生が手を出してきたら、四人でいっしょに立ち向かおう。コペル君も、その約束にうなずいた。
雪の降る日、それは起きた。校庭の雪合戦のさなか、上級生たちが北見君をつかまえ、制裁を加えようとする。水谷君が、浦川君が、身を挺してかばいに走った。約束のとおりに。ところがコペル君は、動けなかった。足がすくみ、声も出ず、雪のなかで、ただ立ちつくしていた。恐ろしさに負けて、友を見捨てたのだ。
その日から、コペル君は自分を責めつづけた。卑怯者だ、と自分を呼んだ。約束を破り、いちばん大事なときに、いちばん大事な友を見捨てた。熱を出して寝こみ、学校へも行けなくなる。取り返しのつかないことをした、という思いが、少年の胸をふさいでいた。友の顔を、もう二度とまともに見られない気がした。道徳の教科書なら、主人公はここで勇気をふりしぼり、友を助けにいくのだろう。だがコペル君は動けなかった。正しいと頭でわかっていることと、いざというとき体が動くこととのあいだには、埋めがたい隔たりがある。その隔たりが、雪の重みとともに、少年にのしかかる。
立ち直る手紙
寝こんだコペル君に、おじさんはノートを差し向ける。責めるためではない。おじさんは書く。もし人間が、もともと正しいことを知る力を持たず、その力で自分の行いを決められないのなら、過ちを悔いることにも意味はないはずだ。きみがこんなに苦しんでいるのは、きみが正しさを知っているからだ、とおじさんは書きつける。
過ちを悔いる痛みは、正しさを知る力の裏返しなのだ。だから苦しみは、恥ではない。そこからやり直せる、という証しでもある。おじさんは、答えを言い渡さない。どうすべきかを命じもしない。ただ、その痛みの意味を照らし、あとの一歩は、コペル君自身に返す。
人は、正しいと知っていることを、いつも行えるわけではない。恐れや弱さが、体を縛ることがある。おじさんは、その弱さをなかったことにしない。弱さを責めもしない。ただ、悔いという痛みそのものが、きみのなかに正しさへの物差しがある証拠なのだと、少年に気づかせる。うしろめたさは、人間がまっとうな生きものであることの、いちばん確かなしるしなのだ。
長く迷ったすえに、コペル君は決める。三人の友に、正直に謝る手紙を書こう。うまくいくかはわからない。許してもらえないかもしれない。それでも、自分のしたことを、自分の言葉で認めるほかに、やり直す道はない。手紙は届き、友だちは、あっさりと彼を迎え入れた。何ごともなかったように。約束を破ったことが赦されたのは、立派な償いによってではなかった。過ちを、過ちとまっすぐ認めた、その一歩によってだった。
英雄の偉さ
正月、四人は水谷君の家に集まった。りっぱな屋敷で、水谷君の姉のかつ子が、少年たちにナポレオンの話をする。かつ子は、ナポレオンの英雄的な精神を、熱をこめて語った。ワグラムの戦いでの果断。エルバ島に流されてもなお、くじけなかった気力——。
少年たちは、その勇壮な生き方に心を躍らせる。けれど、この話はそこで終わらない。おじさんはノートで、もう一段深く問う。ナポレオンは、たしかに並はずれた力を持っていた。だが、力の大きさと、偉さとは、同じことだろうか。多くの人を動かし、多くの人を死なせもした。その力は、人間をより良いほうへ進めるために使われたのか。おじさんの考えでは、本当に偉いといえるのは、人間の進歩に沿って、自分の力を使った人だけだ。
英雄にあこがれる少年の胸の高鳴りを、おじさんは頭ごなしにしりぞけない。あこがれは、まっすぐな心の動きだ。ただ、その高鳴りの向きを、少しだけずらしてみせる。大きいものが偉いのではない。人びとの幸福のほうへ向かう力こそ、偉いのだと。ここでも、答えは押しつけられない。考える手がかりだけが、少年の手もとに残される。
かつ子の語りは、少年たちの背筋を伸ばさせた。強い者、勝つ者への素朴なあこがれは、誰の胸にもある。おじさんは、そのあこがれ自体を悪いものとはしない。ただ、あこがれの矢を、どこへ向けるか。武力や名声の大きさへ向けるのか、それとも、人びとの暮らしをより良くする働きへ向けるのか。同じ情熱でも、向かう先で、まるでちがうものになる。英雄という言葉の、まぶしさの奥を見るまなざしを、おじさんは少年に手渡す。
答えを言わない大人
この本の変わったところは、物語の合間に、おじさんのノートが挟まっていることだ。コペル君の日々があり、それを受けて、おじさんが書いたノートが差し込まれる。物語と考察が、交互に進んでいく。ひとりの少年が育っていく道のりを描く教養小説であり、同時に、生き方をめぐる思索の書でもある。
そのノートは、最後まで、答えを言い渡さない。ものの見方、人間の結びつき、貧しさと立派さ、偉さとは何か、過ちからの立ち直り——どの話でも、おじさんは考え方の道筋を示すだけで、結論を少年に手渡さない。結論は、コペル君が自分でつかむしかない。おじさんは、上から教えを垂れる大人ではない。少年の隣にすわり、いっしょに考え、最後の一歩だけを本人にゆだねる人物である。
これは、ずいぶん勇気のいる書き方だ。答えを示せば、本はわかりやすくなり、読者はひとまず落ちつく。それをせず、問いのまま手渡すのは、読者を信じていなければできないことだ。きみは自分の頭で考えられる、と信じること。その信頼が、この本のあたたかさをつくっている。
自己啓発の生き方の手引きとして読むのも、少し違うだろう。ここには、こうすれば成功する、という段取りはない。あるのは、問いの立て方である。書かれた一九三七年、軍国主義が声を高め、一つの正しさへ国中が向かっていく時代に、少年へ「自分の頭で考えろ」と手渡すこと——それは、声高でない、しかしはっきりとした抵抗だった。吉野源三郎が少年に残したかったのは、決まった答えではない。答えを自分で探しつづける力だった。
おわりに
物語の終わり近く、おじさんのノートは、コペル君にひとつの問いを返す。これまで、たくさんのことをいっしょに考えてきたね。では、きみはこれから、どう生きるか——。その問いは、本のいちばん最後で、コペル君の手をはなれ、こちらへ向き直る。
答えは、書いてない。吉野源三郎は、それを書かなかった。書けなかったのではない。書かないことが、この本のいちばんの誠実だった。網目の一つひとつの結び目に、私たちはいる。受け取ってばかりの結び目もあれば、少しずつ返しはじめた結び目もある。どの結び目も、自分がどう結ばれ、これから何を返していくかを、自分で決めるほかない。吉野はそれを、コペル君の日々に託した。
問いを手渡された者は、少し落ちつかない。答えをもらえれば楽になれたのに、宿題だけを預けられた気分になる。けれど、その落ちつかなさこそ、生きて考えている証しなのだろう。答えは一つに定まらず、暮らしのなかで、そのつど確かめ直すしかない。だからこの問いは、一度きりで済むものではなく、生きているあいだ、くり返し立ち返る場所になる。
八十年あまり前の少年に向けられた問いは、時代を越えて、いまこの本を開いた者のほうへ、まっすぐ向き直ってくる。誰かに答えをもらうのではなく、自分の頭で考えはじめること。吉野源三郎が最後に手渡したのは、その一つの問いだけだった。
では、君は——これから、どう生きるか。
