G-0C41NE8DJB 『銀河鉄道の夜』宮沢賢治 — 隣に座っていた親友は、その旅のあいだに死んでいた|亀吉の呟き
亀吉の書評

『銀河鉄道の夜』宮沢賢治 — 隣に座っていた親友は、その旅のあいだに死んでいた

『銀河鉄道の夜』宮沢賢治 — 隣に座っていた親友は、その旅のあいだに死んでいた
yoshiomi
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はじめに

『銀河鉄道の夜』と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、夜空をどこまでも走っていく列車のイメージではないだろうか。青く光る天の川、窓の外を流れる星々、二人の少年。アニメーションになり、絵本になり、プラネタリウムの定番になって、いつのまにか「やさしく美しい星空のファンタジー」として記憶されている。学校で名前だけ習った、という人も多い。

けれど、この物語のほんとうの中心は、星のきらめきのほうにはない。

隣の座席に座っていた親友カムパネルラが、その旅のあいだに、死んでいく——それがこの物語だ。銀河鉄道に乗り合わせている客の多くは、すでに死んだ人たちだった。そして主人公のジョバンニだけが、途中の駅で列車を降ろされ、丘の草の上で目を覚まし、生きたまま地上に戻される。戻った先で彼が知らされるのは、親友がほんとうに溺れて死んだ、という事実だった。

美しい星空の話として読むこともできる。けれど一度、隣の親友がその旅のあいだに死んでいくのだと知って読みかえすと、同じ星空がまるで違って見えてくる。

1. 宮沢賢治という人——花巻の農学校教師、生前に出した本は二冊

宮沢賢治は、1896年、岩手県花巻の裕福な質屋・古着商の家に生まれた。亡くなったのは1933年、享年37。長く肺結核を患い、最後は急性肺炎で世を去っている。詩人であり、童話作家であり、農芸化学者であり、農業の指導者でもあった。肩書きがいくつも並ぶのは、宮沢が一つの職業におさまらない生き方をしたからだ。

盛岡高等農林学校で農芸化学を学び、1921年からは県立花巻農学校の教諭をおよそ四年つとめた。教師を辞めたあとは羅須地人協会という集まりをつくり、近隣の農民に稲作の指導や肥料の設計をしながら、芸術や宇宙の話を説いてまわった。土に手を入れる人であり、星の話をする人でもあった。

ここで見落とせないのは、宮沢が生きているあいだに世に出した本が、たった二冊だったということだ。詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』、どちらも1924年。どちらもほとんど売れず、世間的にはほぼ無名のまま亡くなっている。いま国民的な作家として知られているのは、没後に草野心平たちが草稿を掘り起こし、全集を編んでいったからだ。生きていたころの宮沢は、花巻の元・農学校教師という以上の存在ではなかった。

信仰の面でも、宮沢はやさしい童話のおじさんという像には収まらない。実家は浄土真宗の篤い家だったが、十八歳のころに法華経に強く帰依し、のちに国柱会という団体に入った。この信仰をめぐって、父との間には長く対立があったと伝えられる。聖人のように無垢な人として神格化してしまうと、宮沢が家族と信仰でぶつかり、農村の指導でも理想どおりにはいかず、本も売れなかったことが、見えなくなってしまう。

もう一人、宮沢の生涯を語るうえで欠かせないのが、二つ下の妹のトシだ。トシは、兄の書くものをだれよりもよく理解する人だった。けれど1922年の十一月、肺結核のため、二十四歳の若さで亡くなっている。妹を看取った日のことを、宮沢は『永訣の朝』という痛切な詩に書きつけた。この喪失は、その後の作品に深い影を落としたと言われる。『銀河鉄道の夜』も、しばしばこのトシの死と重ねて読まれることがある。ただし、この物語が直接トシを書いたものだと言い切ることはできない。死んでいく者と、あとに残される者という構図が、兄妹のあいだに起きたことと響き合って見える。

2. 完成しなかった物語——未定稿、第四次稿、自分で消した「夢の枠」

『銀河鉄道の夜』には、じつは「完成版」が存在しない。

宮沢賢治はこの作品を1924年ごろに書きはじめ、1931年ごろまで何度も書き直しつづけた。そして、最後まで完成稿を残さないまま、未定稿——つまり書きかけの草稿のまま、1933年に亡くなっている。いま私たちが読んでいるのは、死後にその草稿から編まれたものだ。生前には一度も発表されていない。

しかも、書き直しの過程で物語の骨格そのものが大きく変わっている。初期の稿(第三次稿まで)には「ブルカニロ博士」という人物が出てきて、銀河鉄道の旅はじつは博士の実験で、ジョバンニが見せられていた夢だった、という種明かしの枠があった。誰がなぜこの旅を見せたのか、という説明が、ちゃんと用意されていたのだ。

ところが最終形(第四次稿)で、宮沢はそのブルカニロ博士も、夢の実験という枠も、自分の手ですべて削ってしまう。残ったのは、なぜこの旅があったのかを説明しない、むき出しの物語だった。種明かしを消すというのは、作家にとってかなり勇気のいる選択だ。説明があれば、物語は安全な額縁におさまる。それを宮沢は、わざわざ取り払った。

だから、いま手にしている文庫が唯一の『銀河鉄道の夜』だと思わないほうがいい。草稿は何種類も残っていて、もっとも広く読まれている最終形でさえ、作者が仕上げきる前に途切れている。つまり私たちは、作者自身が完成させられなかった物語を読んでいる。そしてこの未完成は、欠点ではなく、この作品の核心に関わっている。

3. ジョバンニの孤独——貧困、父の不在、祭りの夜に一人で丘へ

主人公のジョバンニは、孤独な少年だ。

家は貧しい。母は病気で臥せっていて、ジョバンニは早朝に新聞を配り、放課後は活版所で活字を一本ずつ拾う仕事をして、家計を助けている。父は北の海へ漁に出ている、と本人は信じているが、同級生たちは「あいつの父さんはラッコを密猟して牢に入っている」と噂し、ジョバンニを「ラッコの上着が来るよ」とからかう。父はそこにいない。いないだけでなく、その不在が嘲笑の種にされている。

物語の冒頭は、午後の教室から始まる。先生が、天の川はほんとうは何なのかと問いかける。真っ先に手をあげたのは、隣の席のカムパネルラだった。続いて四、五人。ジョバンニも手をあげかけて、急いでやめてしまう。ほんとうは、その答えを知っていた。前にカムパネルラの父である博士の家で、二人で一緒に読んだ雑誌に書いてあったからだ。けれどこのごろのジョバンニは、毎日教室でも眠く、本を読む暇も読む本もなくて、いざとなると言葉が出てこない。

先生はジョバンニを名指しする。立ちあがっても、もう答えられない。先生は次にカムパネルラを指す。すると、あんなに元気に手をあげたカムパネルラが、もじもじ立ったまま、やはり答えない。ジョバンニにはわかっていた——カムパネルラは、ほんとうは知っている。それでも黙ったのは、このごろ塞ぎこんで友だちとも口をきかなくなった自分を、気の毒がってわざと答えなかったのだ。だからこの沈黙は、友をかばう優しさだった。何もかも対照的な少年だが、たった一人の親友だった。

その晩は、町をあげてのケンタウル祭——星祭りの夜だった。みんなが祭りに浮き立つなか、ジョバンニはまたザネリたちにからかわれ、ひとり町外れの丘へのぼっていく。みんなが集まる場所から、彼だけがはずれていく。そして丘の上の「天気輪の柱」のそばで、草に身を横たえる。

「ほんとうの幸いとは何だろう」というこの物語の問いは、きらきらした場所からではなく、この、貧しくて、からかわれて、一人で祭りから離れていく少年の孤独の底から立ちのぼってくる。

4. 乗っているのは誰か——死者たちの列車と、たった一人の生者

丘で横になっていると、どこからか「銀河ステーション」という声と、まばゆい光が射してくる。気がつくと、ジョバンニは軽便鉄道のような列車の座席に座っていた。そして、すぐ隣に——カムパネルラがいる。

このとき、カムパネルラが着ているのは、ぬれたようにまっ黒な上着だ。

列車は天の川に沿って進んでいく。白鳥の停車場では、プリオシン海岸で百二十万年前の獣の化石を掘り出している人々を見る。車内では、雁や鷺を捕まえて菓子のように売る陽気な鳥捕りと出会い、しばらくして彼は消える。やがて、若い家庭教師の青年と、かおる・タダシという幼い姉弟が乗りこんでくる。

この青年と姉弟が、何者なのかが、静かに明かされる。彼らは、乗っていた客船が氷山にぶつかって沈んだとき、限られた助かる席を他の人に譲って、海で亡くなった人たちだった。タイタニックの沈没を思わせる挿話だ。彼らは死者として、この列車に乗っている。賛美歌をうたいながら。

ここで、銀河鉄道という列車の正体が見えてくる。乗り合わせている客の多くは、すでに死んだ人たちなのだ。だからこの列車は、しばしば「死者を運ぶ列車」と読まれてきた。生きているジョバンニのほうが、むしろこの車内では例外だった。

そう考えると、最初からぬれたように黒かったカムパネルラの上着の意味が、ぞっとするほど近づいてくる。隣に座っていた親友は、この旅のあいだ、現実の世界ではもう川に落ちていた——だからあの上着はぬれたように見えたのだ、とも読める。作者がそうはっきり書いているわけではない。けれど、ぬれたようにまっ黒だったその上着を思い返すと、その読みは自然に浮かびあがってくる。

なお、この物語には賛美歌や十字架といったキリスト教ふうの意匠が出てくる。けれど、宮沢の信仰の根が法華経にあったことを思うと、これを一神教の救済の物語として読み切ってしまうのはためらわれる。キリスト教の意匠と仏教的な世界観の両方が溶け合っている、という見方のほうが、この作品には合っているだろう。

5. さそりの火と「ほんとうの幸い」——自己犠牲を、美しいで終わらせない

旅の途中、灯台守が乗客にりんごを配る場面のあと、川原で赤く燃える火の話が出てくる。「さそりの火」だ。

むかし、一匹の蠍がいたちに追われていた。逃げて逃げて、井戸に落ちてしまう。溺れて死んでいくその間際に、蠍はこう祈る。これまで自分はたくさんの命を奪って生きてきたのに、いざ自分が食べられそうになると、こんなに必死で逃げてしまった。こんなにむなしく命を捨てるくらいなら、どうかこの体を、ほんとうにみんなの幸いのために使ってください——と。すると蠍の体は真っ赤な美しい火になって燃えあがり、いまも夜空を照らしている。

この話を聞いたあと、カムパネルラがこう言う。

「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

ここを「自己犠牲は尊い」という教訓として受け取ってしまうと、大事なところを取りこぼす。さそりの火の話には、その前提に「むなしさ」がある。蠍は最初から立派だったわけではない。逃げて、後悔して、もう死ぬという土壇場で、せめてこの命を無駄にしないでくれと祈った。誇らしい献身ではなく、追いつめられた者の、ぎりぎりの願いなのだ。

宮沢は、この物語のなかで自己犠牲を何度も出してくる。ボートの席を譲った遭難者たち、さそり、そしてこのあとのカムパネルラ。けれど、それを「美しいことだ」と単純に言い切ってはいない。みんなの幸いのために、と願うその心と、その願いを実行した者が現実にどうなるか、という冷たい事実とを、両方とも作品のなかに置いている。だからこの場面は、美しい祈りに見えて、その奥に、追いつめられた者のむなしさを隠し持っている。

やがて列車は、南十字(サウザンクロス)の駅に近づく。青年と姉弟をはじめ、多くの乗客が、それぞれの信じる天上へ向かって、ここで降りていく。車内に残るのは、ジョバンニとカムパネルラの二人だけになる。

6. 空席——カムパネルラが消え、ジョバンニだけが地上へ戻される

天の川の一角に、ぽっかりと黒く穴のあいた場所がある。「石炭袋」と呼ばれる暗黒星雲だ。そのそばで、ジョバンニはカムパネルラに、これからもどこまでも一緒に行こう、と語りかける。さそりのように、みんなの幸いのために。

そして、ふと隣を見る。

カムパネルラの座席は、空っぽになっていた。

「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ」と叫んでも、もうそこに姿はない。さっきまで確かに隣にいた親友が、いつのまにか消えている。気づいたときには、もういない。

次の瞬間、ジョバンニは丘の草の上で目を覚ます。頬には涙が流れている。夢のような旅は終わり、彼は一人、現実の夜に戻されている。

町へ駆け下りていくと、川にかかる橋に人だかりができていた。ケンタウル祭の夜、ザネリ——いつもジョバンニをからかっていた、あのザネリが、川に落ちた。そして、それを助けようと川に飛びこんだカムパネルラが、流されて、行方が分からなくなっていた。

川岸には、カムパネルラの父が立っている。手にした時計を見て、彼はこう言う。

「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」

ここに、泣き叫ぶ声はない。父はただ時計を見て時間を計り、息子がもう助からないことを、報告のように告げる。四十五分。その数字の即物的な冷たさが、かえって、この死がどういうものなのかを伝えてくる。

カムパネルラは、自分をからかっていた側の同級生を助けようとして、溺れた。そして遺体も上がらないまま、行方不明になる。みんなの幸いのために、という誓いを、彼は文字どおり実行してしまった。けれど、助けた本人は死に、助けられたほうは生き、残されたジョバンニには親友を失った穴だけが残る。この非対称を、物語は埋めない。カムパネルラがほんとうに「幸い」だったのかどうかも、言ってはくれない。

ぬれたように黒い上着で隣にいた少年は、その旅のあいだ、現実ではもう川に沈んでいた。銀河鉄道の旅と、カムパネルラがあの世へ渡っていく時間は、ぴたりと重なっていた。

おわりに

この物語が最後に残すのは、二つの具体的なものだ。

一つは、気づいたときには空になっていた、カムパネルラの座席。もう一つは、旅の最初からぬれたように黒かった、その上着だ。きらびやかな星々でも、感動的な別れの言葉でもなく、この二つが、物語の最後に残る。

ジョバンニは、夢から醒めて、生きて地上に戻された。けれど、戻された先で彼が手にしたのは、救いでも答えでもない。親友はもういない。「ほんとうの幸いとは何だろう」というこの物語の問いは、きれいな解決として差し出されるのではなく、取り残された一人の少年が、これから一人で抱えていく宿題になる。

そして、その問いに答えを出さなかったのは、ジョバンニだけではない。宮沢賢治もまた、この物語に完成稿を残さなかった。初期の稿にはあった「これは博士が見せた夢でした」という種明かしの枠を、最終形では自分の手で消し、なぜこの旅があったのかを説明しないまま、書きかけの草稿のまま世を去っている。

答えを用意して、それを手渡すこともできたはずだ。でも宮沢は、それをしなかった。種明かしを消し、物語を書きかけのまま途切れさせて、「ほんとうの幸いとは何だろう」という問いだけを、未完のかたちで残していった。空っぽの座席と、ぬれたように黒い上着と、答えの出ない問い。それだけを残して、この物語は途切れている。

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