G-0C41NE8DJB 『堕落論』坂口安吾 — 堕ちることは、退廃ではなかった|亀吉の呟き
亀吉の書評

『堕落論』坂口安吾 — 堕ちることは、退廃ではなかった

『堕落論』坂口安吾 — 堕ちることは、退廃ではなかった
yoshiomi

「半年のうちに世相は変った。」

坂口安吾の『堕落論』は、この一行から始まる。敗戦から半年。つい昨日まで「醜の御楯といでたつ我は」「大君のへにこそ死なめかへりみはせじ」と、万葉の歌を口にして死地へ赴くはずだった若者たちが、生きて街に戻ってきている。坂口はその姿をこう書いた。「若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。」

花と散るはずだった青年が、闇市の台の前に立って、米や砂糖の値を吊り上げている。夫を戦争で亡くした未亡人が、喪が明けきらないうちに、新しい男の面影に胸をふくらませはじめている。世間はこれを「道義の頽廃」と呼んで嘆いた。日本人はとうとう堕落した、と。

ところが坂口安吾は、その嘆きにいっさい与しなかった。一九四六年(昭和二十一年)四月、雑誌『新潮』に載ったこの評論で、坂口が見つめていたのは、堕落そのものではない。堕落を嘆く声のほうだった。なぜ人は、人が人へ還っていくこの動きを、頽廃と呼んでこわがるのか。『堕落論』は、その問いから書かれている。

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偽りの衣

坂口安吾がまず疑ったのは、堕落ではなく、堕落する前に人が着せられていた衣のほうだった。

戦争のあいだ、日本人は途方もなく高いところへ吊り上げられていた。兵士は「死ね」と命じられ、それを誉れとして受け取った。妻は夫の戦死に泣くことすら控えめにし、未亡人は再びの恋を禁じられた。坂口はこう書いている。「この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で」——貞節は、女の心から自然に湧いたものというより、上から課された規範だった。

武士道もそうだ。死を恐れるのは人間の本性なのに、武士道はその本性に逆らって「死ね」と命じる。坂口は、忠臣蔵の四十七士を例に引く。彼らが討ち入りのあと助命されずに処刑されたのは、「彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角の名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であった」のだという。死んで名を保つほうが、生きて名を汚すよりよい。生きたいという人間の本性より、名のほうを上に置く——それが武士道という、人がこしらえたものの働きだった。本性を抑えつけ、抑えつけていることすら忘れさせる。だからこそ長く機能した。

坂口安吾の見立てでは、武士道は人間を信じないという思想だった。「彼等の案出した武士道という武骨千万な法則は人間の弱点に対する防壁がその最大の意味であった。」たとえば仇討。武士は仇のためなら乞食になってでも相手を追え、と説く。だが坂口は問う。「真に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追いつめた忠臣孝子があったであろうか。」実際の日本人は、憎しみを長くは持たない。「昨日の敵は今日の友」が偽らない心情だ、と坂口は見る。武士道は、その移ろいやすさを知り抜いたうえで、移ろわぬふりを命じた。だからこそ坂口はこう書く。「我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。」規約と本心が逆を向いている——その裂け目こそが、坂口の出発点だった。

天皇制についても、坂口の筆は冷静だった。糾弾でも礼讃でもない。「私は天皇制に就ても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生みだされたものではない。」——天皇自身が望んでこしらえた制度ではなく、為政者が代々、自分たちの都合のために天皇という存在を必要とし、利用してきた。坂口はそれを善悪で裁かない。ただ、それがどういうカラクリで動いてきたかを、解剖するように書く。坂口の言葉でいえば、本心から目をそらさないことでしか「歴史のカラクリ」は見えてこない。

このまなざしは、戦後になって急に手に入れたものではない。坂口安吾は戦前、『日本文化私観』(一九四二年)で、すでに同じ視座を持っていた。伝統や権威がそれ自体として尊いのではなく、人間が生きるうえで実際に役に立っているかどうかが問題なのだ、と。堕落論の人間観は、敗戦が生んだ思いつきではない。戦前から一貫して坂口が見ていたものが、戦後にいちどに噴き出したものだった。

戦争に堕落はなかった

意外なことに、坂口安吾は戦争そのものを醜いとは書かなかった。むしろ空襲下の東京を「嘘のような理想郷」と呼んでいる。「戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。」焼夷弾が降るなか、罹災者の行列は路上の死体をすりぬけて無心に流れていく。坂口はその姿に見とれ、「運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである」と書いた。焼け跡で瀬戸物を掘り出す娘たちの笑顔を探すのが楽しみだった、とまで記している。

なぜ、破壊のさなかが美しく見えたのか。坂口の答えは残酷なほど明快だ。「私は考える必要がなかった。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。」爆撃の下では、人は考えない。ただ運命に身をまかせ、惚れ惚れと見とれていればよかった。考えないとき、人は気楽で、そして美しい。けれども、それは人間が抜け落ちたあとの美しさだった。

だからこそ坂口は、こう言い切る。「あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。」破壊には堕落がなかった——逆説に聞こえるが、坂口の論法ではまっすぐだ。堕落とは、人がふたたび考えはじめ、欲しがりはじめること、つまり人間に戻ることだ。戦争中はその人間が消えていた。だから堕落もなかった。そして敗戦とともに、人はまた考え、欲しがりはじめる。「それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。」平凡で、みっともなくて、当たり前の堕落。坂口が見つめていたのは、その平凡さのほうだった。

堕ちるとは何か

では、坂口安吾の言う「堕落」とは何か。

坂口の堕落は、自堕落のことでも、退廃の賛美のことでもない。戦争が人に着せた偽りの衣——武士道、貞節、滅私——を脱いで、生きたい、欲しい、という人間そのものの姿に還ること。それが彼の言う堕ちるだ。特攻隊の勇士が闇屋になり、未亡人が新しい恋に胸をふくらませる姿を見て、坂口はこう言い切る。「人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。」変わったように見えて、人は何も変わっていない。ただ、不自然な高さから、自分の身の丈へ戻ってきただけだ。

義士も聖女も、その例外ではない。坂口はこう書きつける。「義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。」堕ちないように人を囲い込むことは、人を救うことにはならない。むしろ、生きた人間を偽りの高さに留め置き、生まれそこねたままにしてしまう。堕ちるのを止めるとは、人間が人間になるのを止めることだ。だから坂口は、堕ちることを怖がらない。本当に怖いのは、堕ちないことのほうだった。

象徴的な一場面を、坂口は書きとめている。かつて部下に死を命じた「六十七十の将軍達が切腹もせず轡を並べて法廷にひかれる」。武士道に従えば腹を切るはずだった老将軍たちが、生き恥をさらしてでも生きている。世間はこれを醜いと言う。だが坂口は、そこに人間のほうを見る。生きたいという、抑えようのない本性のほうを。

そして、代表的な一節が書かれる。

「人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。」

負けたから堕ちたのではない。勝っていても、人はいつか堕ちる。人間だから。生きているから。坂口にとって堕落は、敗戦という特別な事件の産物ではなく、生きることそのものに最初から畳み込まれていた。

だからこそ、坂口安吾は堕落を母胎と呼ぶ。「堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。」偽りの衣を着たままの人間は、まだ生まれていない。衣を脱いで、弱く、みっともなく、欲深い自分の底まで降りていったとき、はじめて人間が生まれる。堕落は終わりではなく、誕生の入口だった。

生きよ堕ちよ

「生きよ堕ちよ。」

『堕落論』のなかでもっとも知られたこの言葉は、しばしば、好きに生きろ、刹那を楽しめ、という投げやりな号令のように引かれる。けれど坂口安吾は、この言葉のすぐ後ろに、決定的な一句を続けている。

「生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。」

正当な手順。堕ちることは、救いから遠ざかる逸脱ではなく、救いへ至る正しい順序なのだ、と坂口は言っている。そして、その順序の外側に近道はない、と。

ここに坂口の厳しさがある。堕ちよ、と彼は言うが、それは楽になれという意味ではない。むしろ逆だった。偽りの衣は、着ているほうが楽なのだ。「ちゃんとしている」という形は、自分で考えなくて済むぶん、心地よくもある。それを脱いで、弱い自分、欲しがる自分、人を妬む自分の底まで降りていくのはこわい。坂口の堕落は、その怖さを引き受けろ、と言っている。

退廃には、近道の匂いがある。どうせ世の中こんなものだ、と決めてしまえば、それ以上は降りなくて済む。中途半端に堕ちて、堕ちた自分に酔って、そこでうずくまる。坂口安吾が嫌ったのは、まさにその手前で足を止める態度だった。それは堕ちきっていない。彼が求めたのは底まで降りること——途中で言い訳を拾わずに、自分の本性の底に手が届くまで、まっすぐ堕ちることだった。

一人で堕ちきる

ところが、坂口安吾は人間を甘く見てはいない。底まで堕ちて、そこに居続けられるほど人間は強くないことも、彼はよく知っていた。「人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。」人間は可憐で、脆くて、それゆえ愚かで、堕ちぬくには弱すぎる。だから坂口はこう続ける。人はやがて「武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう」、と。底に居続けられない以上、人はまた何か寄りかかるものを作る——新しい武士道を、新しい天皇を。

問題は、その新しい衣が、また借り物になるかどうかだった。坂口の一句が、この評論の芯を貫いている。「他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。」——他人から与えられた純潔ではなく、自分の手で脱ぎ捨てた自分の純潔。借り物の武士道ではなく、底まで降りた自分が立ち上げる自分の規範。それを手に入れるには、まっすぐ底まで堕ちきるしかない。中途半端なところで拾った衣は、結局また誰かの借り物になってしまう。

そもそも坂口安吾は、与えられた自由を信じていなかった。「終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。」自由は、新しい憲法とともに一日で与えられた。だが、それで人が自由になれるわけではない。「人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。」生き、死に、考えるという限定を抱えたままでしか、人は自由になれない。「政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。」制度が配る自由は上から降ってくるが、人間はそんなに早くは変われない。

だから、救いは制度の側からは来ない。『堕落論』の最後で、坂口はこう言い切る。堕ちる道を堕ちきることによって「自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」新しい憲法が来ても、民主主義という看板が掛け替えられても、それは「上皮」が塗り替わるだけだ。坂口安吾は反体制を煽っているのではない。天皇制を倒せとも、民主主義を讃えよとも言っていない。彼が向き合っているのは制度ではなく、一人の人間だった。人が、自分の足で自分の底まで降りていけるかどうか。それだけを、坂口は問うている。

そして、その降りる道は、一人で歩くしかない。隣の誰かが代わりに堕ちてくれることはない。底で見つける自分も、自分ひとりのものだ。坂口は「日本も亦堕ちることが必要であろう」と書いたが、それは国民をひとまとめに号令する言葉ではなかった。一人が一人として堕ちきること、その集まりとしてしか、国もまた本当には生まれ直せない。坂口安吾の堕落は、群れて堕ちることではなく、たった一人で、まっすぐ底まで堕ちきることだった。

おわりに

『堕落論』を、戦後の混乱が生んだ過激な一篇として読むこともできる。実際そう読まれてきたところもある。けれど、戦前の『日本文化私観』から坂口安吾が一貫して見ていたもの——権威それ自体ではなく、人間が実際に生きているかどうかを見るまなざし——をたどってから本文に戻ると、「堕ちよ」は破滅の勧めではなく、人間への深い信頼の言葉だったとわかる。坂口は人間を信じていた。底まで降りても、人間は人間でいられる、と。

戦後八十年が近い。「最近は道義がゆるんだ」という嘆きは、形を変えながら、今もどこかで鳴り続けている。その声を聞くたびに、坂口安吾の問いが戻ってくる。いま身につけている「正しさ」は、本当に自分のものなのか。それとも、誰かに着せられた衣を、脱ぐのがこわくて着たままでいるだけなのか。

坂口は、その衣を脱げ、とは言わない。脱ぎ方を教えてもくれない。ただ、堕ちる道は一人で堕ちきるしかない、近道はない、と書き残した。「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。」——その道の入口に立つかどうかは、いつも自分自身にだけ委ねられている。

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こんにちは。亀吉です。 仕事の合間にブログを書いています。 このブログは、どこまでも個人的で恣意的な思想の表明です。思うままに・・・ 映画と本が好きです。その他音楽や登山など。
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