G-0C41NE8DJB 『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム — 自由は、重すぎることがある|亀吉の呟き
亀吉の書評

『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム — 自由は、重すぎることがある

『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム — 自由は、重すぎることがある
yoshiomi

1941年、一冊の本がアメリカで刊行された。エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』。著者は、ナチスの勢力が伸びていくドイツを離れ、亡命者としてアメリカへ渡った社会心理学者だった。彼がこの本で投げかけたのは、そのまま読むと逆説にしか聞こえない問いである。人はなぜ、せっかく手に入れた自由から逃げ出すのか。

自由は、誰もが求めるものではなかったか。より多くの選択肢、より少ない束縛、自分のことを自分で決められる状態。それを人のほうから捨てたがるとは、ふつうは考えない。けれどフロムは、ヨーロッパの人々が選挙という自由な手続きを通って独裁へ進んでいく様子を、亡命先から見ていた。誰かに銃を突きつけられたのではなく、自ら進んで大きな力に服従していく人々。その姿は、自由が解放であると同時に、重荷にもなりうることを示していた。

その問いは、八十年を経ても古びない。私たちは、フロムの時代よりもさらに多くの自由を持っている。住む場所も、就く仕事も、信じる価値も、多くを自分で選べる。にもかかわらず、選べることそのものに疲れ、どこかで誰かに決めてほしいと願う瞬間が、たしかにある。フロムの問いは、その瞬間の正体をたずねている。

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手にした自由の重さ

フロムの出発点は、自由には二つの向きがある、という区別にある。ひとつは「〜からの自由」。束縛や強制から解き放たれる自由で、消極的自由とも呼ばれる。近代の人間が勝ち取ったのは、主にこちらだった。身分から、教会から、村の掟から、人は次々と自由になっていった。

もうひとつは「〜への自由」。自分の意志で何かを生み出し、誰かと結びついていく自由で、積極的自由と呼ばれる。フロムが本当に問題にしたのは、前者だけを得た人間が、後者へ進めずに立ちすくんでしまう地点だった。

「〜からの自由」だけを手にした人間は、たしかに解放されている。だが同時に、ひとりきりになる。守ってくれる枠組みが外れるということは、寄りかかっていた相手を失うということでもある。自由と引き換えに受け取るのは、孤独であり、無力感であり、不安だった。何をしてもいい、というのは、何をすべきかを誰も教えてくれない、ということの裏返しでもある。フロムは、この重さこそが人を逃走へ向かわせると考えた。

たとえば、目の前にいくつもの道が開けているとする。どれを選んでもいいと言われたとき、人は自由を感じると同時に、選んだ結果をひとりで引き受ける重さに気づく。選択肢が増えるほど、選ばなかったものへの後悔も、選んだものへの責任も増えていく。自由の量と、背負う重さの量は、比例して大きくなっていく。

フロムは、この重荷が近代のあらゆる場面に姿を見せると考えた。信仰が個人の内面へ退いたとき、人は神との関係を自分ひとりで引き受けることになった。市場が広がったとき、人は自分の労働も才覚も、自分の責任で売り買いする立場に立たされた。どの場面でも、支えてくれた大きな枠組みが退き、代わりに一個の自分だけが残される。得たものは自由であり、失ったものは、寄りかかる場所だった。

第一次的絆というゆりかご

なぜ、かつての人間はその重さを感じずに済んだのか。フロムは「第一次的絆」という言葉を使う。中世の社会では、身分や共同体や宗教が、一人ひとりの居場所を初めから保証していた。生まれた時から、自分が何者で、どこに属し、何をして生きていくのかが、あらかじめ決まっていた。

それは、今の目で見れば不自由だ。職業も身分も選べない。生まれた土地から動くこともできない。けれど、その代わりに、人は迷わなくて済んだ。自分がここにいていいのかと疑わなくて済んだ。世界と自分は、生まれながらの絆で固く結ばれていて、その絆がほどける心配はなかった。フロムはこれを、まだ母の胎内にいる子どもにたとえる。窮屈ではあるが、守られている。

ルネサンス、宗教改革、資本主義の広がりとともに、この絆は少しずつ断ち切られていった。人は共同体から切り離され、ひとりの個人になっていく。フロムはこの過程を「個性化」と呼ぶ。自分が世界から独立した一個の人間であると気づいていく過程であり、人間の成長そのものでもある。

だが、そこには必ず代償がともなう。ゆりかごを出た子どもが自分の足で立たなければならないように、絆から解かれた個人は、たったひとりで広い世界と向き合うことになる。自由になるとは、同時に、寄る辺なさを引き受けることだった。フロムは、近代という時代を、人類がこのゆりかごを出た時代として読んだ。

フロムはここで、成長と喪失が一つのことの表と裏だと見ている。子どもが親から離れて一人前になるのは、喜ばしい成長である。けれど同じ出来事は、守られていた場所を失う喪失でもある。近代人の自由も、まさにこの二重の顔を持っていた。誇らしい解放であり、同時に、心細い別れでもあった。

自由から逃げる三つの道

その寄る辺なさは、多くの人にとって耐えがたい。人はなんとかして、この孤独と無力感から逃れようとする。フロムは、逃げ道が大きく三つあると見た。どれも、孤独そのものを消し去るための道ではない。孤独を抱えきれないときに、自分をより大きな何かへ預けてしまう道である。預けてしまえば、一時的に軽くなる。だが、預けた分だけ、自分は自分でなくなっていく。

ひとつめは、権威主義。自分より大きな力に従うか、あるいは自分より弱い者を支配するかして、孤立した自分の頼りなさを埋めようとする。フロムはこれを、支配と服従が裏表になった一つの性格として描いた。強い者の前ではひれ伏し、弱い者の前では威張る。正反対に見えるこの二つは、じつは同じ根から出ている。どちらも、自分ひとりで立つことの重さから逃れ、より大きな何かの一部になろうとする動きだからだ。権威に従う人は、しばしば、自分は忠実なのだと感じている。強い指導者を求める気持ちも、規律を重んじる気持ちも、それ自体は服従とは呼ばれない。だからこそ、権威への従属は、本人のなかで正しさの顔をして現れる。

ふたつめは、破壊性。自分を脅かすように見える外の世界を、壊してしまおうとする衝動である。比べられる相手、脅かしてくる相手が消えてしまえば、無力な自分を突きつけられることもない。抑えこまれた無力感が、外へ向かう攻撃や敵意として噴き出す。それは、行き場を失った生きる力が、裏返しになった形でもある。

三つめが、機械的画一性。そして、これがいちばんやっかいだ、とフロムは言う。周りが期待する考え方、感じ方、振る舞い方を、いつのまにか自分のものとして取り込んでしまう。みんながするようにする。みんなが思うように思う。そうやって周囲に溶けこんでしまえば、ひとりであることの不安は消えてくれる。自分と他人の境目が薄くなれば、孤独もまた薄くなる。

いちばん見えにくい逃げ道

権威主義や破壊性は、まだ分かりやすいほうだ。誰かに従っている、誰かを攻撃している、と外からでも見て取れる。ところが機械的画一性は、逃げていることが、逃げている本人にも分からない。ここが、フロムの最も鋭いところだ。

みんなに合わせている人は、合わせているという自覚を持たない。むしろ、これは自分で選んだ考えだ、これが自分の本当の気持ちだ、と信じている。フロムは、この取り込まれた自己を「偽りの自己」と呼んだ。自分で考えたつもりの意見が、実は周りから流しこまれたものだった。自分で望んだつもりの欲望が、実は世間が望めと命じた欲望だった。

やっかいなのは、この偽りの自己が、外から見るとまったくふつうに働いている点だ。仕事もこなし、意見も言い、選択もしている。何ひとつ壊れていない。ただ、その中心に、自分から発した願いがどれだけ残っているかが、本人にも分からなくなっている。フロムが問うたのは、うまく生きているかどうかではなく、生きているのが本当に自分かどうかだった。

考えることも、感じることも、望むことさえも、借り物になりうる。しかも、借り物だと気づかないまま、自分の本物だと感じながら。強制されて従うのなら、まだ自分が従っていると分かる。だが自ら進んでみんなと同じになるとき、そこに服従の感覚はない。近代の民主的な社会、たくさんの選択肢を並べてみせる消費社会でこそ、この逃げ道はいちばん広く、いちばん見えにくく働く。

画面の向こうでは、誰かの反応がすぐに数字になって返ってくる。多くの人が良いと言ったものへ、自分の気持ちも自然と寄っていく。何を好きになるかさえ、いつのまにか多数のほうへ合わせている。それでも、これは自分の好みだと感じている。フロムが指さした逃げ道は、彼の時代よりもなめらかに、私たちの毎日へ入りこんでいる。

自由なはずなのに息苦しい。自分で選んだつもりが、周りに合わせているだけかもしれない——フロムの機械的画一性は、その居心地の悪さの正体を言い当てている。強制ではなく同意の顔をしてやってくるからこそ、この逃げ道はいちばん見えにくい。

ナチスだけの話ではない

フロムがこの本を書いた直接のきっかけは、目の前で進むファシズムだった。彼は、当時のドイツで下層の中産階級が抱えていた不安と無力感が、権威への自発的な服従を準備したと考えた。上の力に従い、下の者を見下すことで、自分の頼りなさをなだめる。その心の構えが、独裁を下のほうから支えていった。

フロムがとりわけ見つめたのは、命令されて渋々従う姿ではなかった。人々が、内側からの欲求として権威を求めていく姿だった。強い秩序を望み、決めてくれる誰かを待ち、自分が大きな全体の一部であることに安らぎを感じる。その安らぎは、まがいものではない。だからこそ、そこから抜け出すのは難しい。恐怖で縛られているのではなく、安心で結ばれているからである。

けれど、この本を過去の分析として片づけてしまうと、フロムの射程を見誤る。彼が描いたのは、特定の時代の特定の国の出来事ではなく、自由を負った人間なら誰の内側にも起こりうる、心の構造だった。

フロムの機械的画一性は、八十年以上前に書かれた言葉でありながら、いまの暮らしにそのまま重なる。逃げ道は、ファシズムのように大きな顔をしているとはかぎらないからだ。強い指導者を待ち望むほどの激しさがなくても、角を立てないために大勢の側へ寄っておく、という穏やかで日常的な同調のなかにも、同じ逃走はひそんでいる。

愛と仕事という出口

では、逃げるほかに道はないのか。フロムは、悲観のままでは終わらない。彼が指し示すのは「〜への自由」、すなわち積極的自由だった。その鍵になるのが、自発的な活動である。誰かに強いられてでもなく、不安から逃れるためでもなく、自分の内側から湧いてくる働きかけ。フロムは、それを二つの言葉で具体的に語った。愛と、仕事だ。

ここで言う愛は、相手に溶けて自分を失うことではない。むしろ逆で、自分がひとりの独立した個人であることを保ったまま、それでもなお他者と結びつくことだ。相手のなかに自分を消してしまう関係は、フロムの見方では、服従の一種でしかない。仕事も同じで、生活のために耐える労役のことではなく、自分の力で世界に働きかけ、何かを生み出していく活動を指す。生まれながらの絆によってではなく、自由で独立した個人として、もう一度世界とつながり直す。それが積極的自由の姿だった。

自発的という言葉が大切なのは、それが誰かの命令でも、不安を消すための埋め合わせでもないからだ。命じられてする愛や、寂しさを紛らすためだけの仕事は、また別の逃走になりかねない。フロムが積極的自由と呼んだのは、あくまで自分の内側から始まる働きかけだった。

フロムは、この積極的自由が簡単なものだとは言わなかった。むしろ、逃走のほうがずっと楽で、ずっと自然だと認めている。孤独を抱えたまま世界と関わり続けるのは、たえず力のいることだ。それでも彼が積極的自由に望みをかけたのは、それだけが、自由を手放さずに孤独をやわらげる道だったからである。ほかの道は、孤独を消す代わりに、自由も一緒に手放してしまう。

服従によって孤独を消すのでもなく、同調によって不安を紛らすのでもない。孤独と不安を抱えたまま、それでも自分のほうから手を伸ばして、誰かと、何かと結びついていく。フロムの示した出口は、自由の重さをなかったことにしない出口だった。楽になる道ではない。けれど、自分を手放さずに済む道ではある。

おわりに

自由が重い、という感覚は、この本を読んでも軽くはならない。フロムは、それを軽くしてくれる書き手ではない。彼がしてくれるのは、その重さに、正しい名前を与えることだ。

自分がいま自由から逃げているとき、それはたいてい、弱さのように感じられる。みんなに合わせてしまう自分、大きな声のほうへ流されてしまう自分を、情けなく思う。けれどフロムの見方では、それは弱さではなく、自由が重すぎたのだ。逃げていることに、まず気づくこと。ただそれだけで、逃走はいくらか形を変える。気づかないまま逃げるのと、気づいて一度立ち止まるのとでは、次の一歩の置き場が変わってくる。

フロムが「〜への自由」と呼んだものは、遠い理想の到達点ではない。「みんながそうだから」で決めたはずの選択を、あれは本当に自分のものだったのか、と問い直す——積極的自由は、その問いのところから始まっている。答えが出るより前の、自分を流れから引き剥がそうとするささやかな抵抗のなかに、フロムは出口を見ていた。

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