『パンセ』パスカル — 「考える葦」は、慰めの言葉ではなかった
はじめに
「人間は考える葦だ」という言葉を聞いたとき、多くの人は慰めの言葉として受け取る。脆いけれど、考えることができる。それが人間の誇りだ、と。見た目には弱くても、思考という内側の力がある。そういう意味で受け取られることが多い。
しかし、パスカルが書いた断章の完全な文脈を読むと、そうではない。「人間は自然界で最も弱い一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦だ。宇宙全体が人間を押しつぶすのに、蒸気や一滴の水でさえ十分だ。しかし、宇宙が人間を押しつぶしても、人間は自分を殺すものよりも高貴であるだろう。なぜなら、人間は自分が死ぬことと、宇宙が自分よりも優位にあることを知っているからだ。宇宙はそれについて何も知らない」。
この断章の前には、宇宙の圧倒的な広大さと沈黙についての記述がある。宇宙は無関心だ。人間を特別に扱うこともなく、保護することもない。一滴の水でも人間を殺せる。その事実を直視した上で、それでも人間には何かがある——「知ること」だ、とパスカルは書いた。
これは慰めの言葉ではなく、直視の言葉だ。人間の脆さを、まず正面から見る。その上で、それでも何かを見出す。そこから『パンセ』は始まる。弱さを認めることなしに、この書の強さは届かない。快楽でも名声でも救いでもなく、まず宇宙の沈黙に向き合うことから始まる書だ。
1. パスカルという人物——護教論を書いた科学者
ブレーズ・パスカルは1623年6月19日、フランスのクレルモン=フェランで生まれた。父は数学者・税務官であり、幼いパスカルはラテン語とギリシア語で教育を受けた。12歳で独立して幾何学の定理を証明したと伝わる。父の友人のメルセンヌが主宰するサークルに10代で参加し、当代の数学者・科学者たちと議論を交わした。
10代から20代のパスカルは科学者・数学者として卓越した業績を残した。確率論の基礎を友人フェルマーとの往復書簡の中で確立した。流体力学の研究では「パスカルの原理」(密閉流体に加えた圧力は全方向に等しく伝わる)を発見した。気圧と高度の関係を実証する実験も行った。そして世界初の機械式計算機「パスカリーヌ」を発明し、父の税務計算を助けようとした。17世紀において、これほど多角的な業績を残した人物は稀だ。
この科学者が1654年11月23日の夜、神秘的な体験をした。パスカルはその体験を一枚の羊皮紙に書き留め、「メモリアル」と呼んだ。冒頭に「火(Feu)」という一語があるためこの夜は「火の夜」と呼ばれる。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。哲学者や学者の神ではない」という言葉が続く。哲学的・論証的な神概念との決別の宣言だ。パスカルはこの羊皮紙を死ぬまで上着の裏地に縫い付けて持ち歩いた。彼の死後に発見されたこのメモは、今日もフランス国立図書館に保管されている。
「火の夜」以後、パスカルはジャンセニスム(カトリック内の厳格改革派)に帰依し、護教論——キリスト教を弁護・説明する論——の執筆を始めた。しかし計画は完成しなかった。1662年8月19日、パスカルは39歳で亡くなった。書き溜めた無数の断章が遺された。1670年、ポール・ロワイヤル修道院派がそれらを編集して刊行したのが『パンセ』(「思考」「思索」の意)だ。科学者として一時代を画した人物が、なぜ護教論を書いたのか。その問いは、この書を読む上での出発点になる。
2. 宇宙の沈黙——「無限の空間の永遠の沈黙が私を恐れさせる」
「無限の空間の永遠の沈黙が私を恐れさせる」という断章がある。これはパスカル自身の恐れを書いた言葉だ。17世紀、ガリレオやコペルニクスの天文学が広まり始めた時代、宇宙が無限に広がるという認識が学識者の間に浸透し始めていた。中心が太陽に移り、地球が宇宙の中心でなくなったとき、人間の位置は問い直された。神学的な世界観の中心性が揺らぎ始めた時代の言葉だ。
パスカルは人間を「二つの無限の中間者」と呼んだ。一方には、宇宙の無限の大きさがある。望遠鏡が明かす星々の距離、太陽系の広さ、さらにその外へと広がる空間。もう一方には、物質の無限の小ささがある。ダニの中にも世界があり、その中にも世界がある、という無限の縮小。人間はその中間に、取るに足らない位置で吊り下げられている。どちらの無限も、人間の理解の外にある。
この認識は不安の源だ。人間は宇宙の中に一時的に置かれた存在であり、死後には何も残らない。宇宙は人間の存在など、意に介さない。17世紀のパスカルが感じたこの感覚——宇宙の無関心と、その前での人間の孤独——は、現代においてむしろ強まっているかもしれない。科学が宇宙の広大さをより精密に明かすほど、人間の位置は小さくなる。
パスカルはこの事実を、目を逸らさずに見た。宗教的護教論を書こうとしていた人物が、まず人間の惨めさから書き始めたのはそのためだ。信仰の話をする前に、信仰を必要とする存在の姿を描いた。弱さを認めた上で、それでも何かを問い続けた。信仰への道は、人間の惨めさを迂回しては通れない、というのがパスカルの立場だった。
3. 考える葦——「知ること」が人間の全尊厳
有名な断章を再び引く。「人間は自然界で最も弱い一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦だ」——この言葉が独立して語られるとき、後半の「宇宙はそれについて何も知らない」が省略されることが多い。この部分が核心だ。宇宙は人間より大きいが、人間は自分が死ぬことを知っている。その非対称な事実——人間だけが宇宙を知り、宇宙は人間を知らない——がパスカルには人間の唯一の尊厳に見えた。
「考えること」が人間の尊厳だとすれば、それは重い言葉だ。考えることができる存在だから、考えることには義務が伴う。自分の惨めさを、死を、宇宙の沈黙を、直視することができる存在だから、それを避け続けることは尊厳の放棄になる。知ることが尊厳である以上、知ることを避ける生き方は、人間としての力を使わない生き方だ、とパスカルは言う。
「人間の偉大さは、自らが惨めであることを知ることにある」ともパスカルは書いた。木は自分が惨めであることを知らない。人間が惨めさを知るからこそ、その知りうることが偉大さの証になる。知ることと、することの間にある深い溝がある。「人間はすべての善を知っているが、それを実行することができない」とパスカルは書いた。そこに人間の問題が凝縮されている。理性で善を知り、それでも善を選ばない——この矛盾の中にパスカルは人間の本質を見た。
4. 気晴らし——人間は死の前から目を逸らすために走り続ける
『パンセ』で最も現代に響くのは「気晴らし(Divertissement)」の分析かもしれない。パスカルは観察する。人間は静かに部屋に一人でいることができない。一人でいると、死・孤独・惨めさが押し寄せてくる。だから人間は無限に活動し続ける。狩り、賭け事、戦争、美食、交際——目的はその活動の結果(獲物、金、勝利)ではなく、活動それ自体にある。なぜなら、止まると直面しなければならないことがあるからだ。
「人間の不幸はすべて、一つのことから来ている。静かに部屋に一人でいることができないことから」とパスカルは書いた。これは怠惰への非難ではない。活動を批判しているのでもない。人間が活動に投じるのは、活動が本当に欲しいのではなく、活動がなければ直面しなければならないものがあるからだ、という観察だ。王の例をパスカルは挙げる。王は望めば何でも手に入れることができる。しかし、王の幸福を一番危うくするのは、王一人で何もせず座っていることだ。そこで王は戦争に行く。狩りに出かける。外交の宴を開く。これらは王国の必要から来るのではなく、一人でいることへの恐れから来る、とパスカルは言う。
気晴らしは悪いものではない、ともパスカルは言う。気晴らしがなければ、人間は惨めさに耐えられないかもしれない。しかし気晴らしのために、人間は自分が何者かを忘れ、死と向き合うことを先送りし続ける。問うべきことを問わずに生きる。「静かに部屋に一人でいることが難しい」という感覚は、17世紀よりも現代においてより広く共有されているかもしれない。気晴らしの手段が増えるほど、一人でいることへの耐性は下がる可能性がある。パスカルの観察は、17世紀フランスを越えて有効かもしれない。
5. パスカルの賭け——理性で信仰を論じた逆説
「パスカルの賭け(Pari de Pascal)」は有名な論証だ。神が存在するかどうかは、理性では決定できない。しかし、信じるか信じないかを選ばなければならない。期待値で考えると:神が存在するなら、信じた人は無限の幸福を得る。神が存在しないなら、信じた人が失うのは有限の快楽や財だけだ。信じない方を選んで神が存在していれば、失うのは無限の幸福だ。したがって、期待値から言えば信仰を選ぶ方が合理的だ、というのが論証の骨格だ。
後世の哲学者や神学者はこれを様々に批判した。「神は賭けの対象にできない」「どの神を信じるかの問題が残る」「本当の信仰は選択ではない」等。批判は正当な部分を含んでいる。しかしパスカルが本当に言おうとしたことは何だったか。これは信仰を持たない人——合理性の言葉しか受け入れない人——に向けた護教論の一節だ。合理的な期待値計算でさえ、信仰の方向を向いている、と迫ろうとした。
第1節で触れた「火の夜」——一六五四年十一月の夜、パスカルが一枚の羊皮紙に「火」と書きつけ、生涯それを上着の裏に縫い付けて持ち歩いた、あの神秘体験——は、理性的な論証とは別の次元で起きたものだった。そこに記された「哲学者や学者の神ではない」という言葉は、論証によって届く神ではない何かを指している。パスカルの賭けは護教論の道具として書かれた。しかしパスカル自身の信仰は、その道具を超えたところにあった。科学者が論証の道具を作りながら、その道具で届けようとしたものは論証の外にあった——この逆説が、パスカルという人物の核心にある。
おわりに
パスカルは1662年、39歳で亡くなった。書こうとしていた護教論は完成しなかった。遺された断章を編集してできた『パンセ』は、本来なら存在しなかった書だ。完成した体系的な護教論なら、むしろここまで読まれなかったかもしれない。断章という形式——未完成で、断ち切られ、続きのない言葉の集積——が、この書の力の一部になっている。
「考える葦」の言葉を、パスカルは慰めとして書かなかった。宇宙の無限の沈黙の前で、人間はただ一滴の水で消える存在だ。しかし知ることができる。知ることが尊厳なら、知ることを避け続ける——気晴らしに投じる——のは、その尊厳を手放すことだとパスカルは見た。科学者として流体力学を研究した人物が、宇宙の沈黙を恐れた。計算機を発明した人物が、理性の限界を書いた。護教論を書こうとした人物が、人間の惨めさから書き始めた。
1654年11月23日の夜、パスカルは何かを経験し、その体験を死ぬまで上着の裏に縫い付けて持ち歩いた。何のために、彼はそのメモを取り出して読み返したのか。わからない。断章の形で遺された言葉は、問いを閉じない。完成しなかった護教論の断章が、完成した論証よりも長く読まれているのは、そのためかもしれない。
