サグラダ・ファミリアとは — 誰が、いつから、なぜ建て続けているのか
はじめに
サグラダ・ファミリアは、スペインのバルセロナに建つ、まだ完成していない教会だ。設計したのはアントニ・ガウディ。1882年に着工してから百年以上が経ったいまも、塔は少しずつ伸び続けている。なぜこれほど長い時間をかけて建てられているのか。そして、一人の建築家が思い描いたものを、なぜ後の人々が引き継いでこられたのか。ここでは、その成り立ちをゆっくり順に辿っていきたい。
基本情報
- 種別|カトリックのバシリカ(聖堂)。バルセロナの街のシンボル
- 着工|1882年3月19日
- 設計|最初に手がけたのはフランシスコ・ビリャール。翌1883年、辞任した彼を引き継いだのが、当時はまだ無名だった31歳のアントニ・ガウディ
- 様式|「モデルニスモ」(カタルーニャの世紀末の建築様式)
ひとつ付け加えると、世界遺産に登録されているのは聖堂の全体ではない。「アントニ・ガウディの作品群」の一部として、ガウディ自身が手がけた生誕のファサードと地下聖堂が、2005年に登録されている。

ガウディが引き継いでから
ガウディは、受け継いだ計画を自分の構想で大きく描き直した。彼が手本にしたのは、自然の形だ。たとえば、ひもに重りを下げると、ゆるやかな曲線(カテナリー曲線)ができる。それを上下逆さにした形を、柱やアーチに用いた。重力に逆らわず、力が素直に流れていく形である。ゴシック建築では建物を支えるために外側へ控え壁を張り出すが、ガウディはそれを物足りないものと考え、控え壁のいらない構造を目指した。
聖堂の中に足を踏み入れると、その考え方が形になっているのがわかる。樹木を象った柱が枝を広げ、まるで石の森のように天井を支えている。その枝のあいだを縫って、色とりどりのステンドグラスを通した光が降りてくる。

ガウディは晩年、ほとんどこの聖堂だけに打ち込んだ。けれど1926年6月7日、ミサへ向かう途中に路面電車にはねられ、3日後の6月10日に世を去る。73歳だった。質素な身なりから浮浪者と間違えられ、手当てが遅れたと伝えられている。遺体は、彼自身が建てていたこの聖堂の地下に納められた。
その後も、工事は止まらなかった。スペイン内戦で図面や模型の多くが失われたが、残された断片と、後の建築家たちの解釈によって、計画は受け継がれていった。
三つのファサード(正面)
サグラダ・ファミリアには、イエスの生涯を表す三つのファサードがある。
生誕のファサード
イエスの誕生から、初めての説教までの場面。ガウディ自身が手がけた、装飾の豊かな面だ。
受難のファサード
最後の晩餐から、磔刑、昇天まで。直線的で、削ぎ落とされた厳しい彫刻が並ぶ。
栄光のファサード
メインとなる正面で、いまも工事が続いている。

18本の塔
聖堂が完成すると、塔は全部で18本になる。ただ高さを競っているのではなく、それぞれがキリスト教の存在をかたどっている。
- 12本|キリストの十二使徒
- 4本|4人の福音書記者
- 1本|聖母マリア。2021年12月に完成し、高さ138メートル
- 1本|イエス・キリスト。中央にそびえる、もっとも高い塔
低い塔から高い塔へ、そしていちばん上に中央のキリストが置かれる。塔の高さの並びが、そのまま信仰の位置づけをなぞっているように見える。
いまと、これから
2026年6月10日。ガウディが世を去ってちょうど100年のその日に、高さ172.5メートルの「イエスの塔」が完成した。これによって、サグラダ・ファミリアは、ドイツのケルン大聖堂やウルム大聖堂を抜いて、世界でいちばん高い教会になった。残されているのは栄光のファサードと内部の装飾で、聖堂全体の完成は2035年ごろと見込まれている。
建設の費用は、長いあいだ信者の寄付に支えられてきた。1990年代からは拝観に訪れる人が増え、その拝観料が工事を進める大きな力になっている。訪れる人が、そのまま建設の担い手になっている——そういう教会でもある。
おわりに
着工から140年あまり。完成した姿を、ガウディ自身は見ていない。設計者がいなくなっても、その構想は世代を越えて手渡され、石は今日も少しずつ積み上げられている。
建物がひとつ完成するのに、これほどの時間がかかる。ふつうはそれを、効率の悪さとして語るのかもしれない。けれど、急がずに受け継がれてきた時間そのものが、この聖堂の形に刻まれている。完成したその日に、誰がそこに立つのか。それは、まだ少し先の話だ。
