G-0C41NE8DJB 『容疑者Xの献身』東野圭吾 — その答案に、丸もバツもつけられない|亀吉の呟き
亀吉の書評

『容疑者Xの献身』東野圭吾 — その答案に、丸もバツもつけられない

『容疑者Xの献身』東野圭吾 — その答案に、丸もバツもつけられない
yoshiomi

毎朝、同じ弁当屋の戸を引く男がいる。高校で数学を教える石神哲哉。買うのはいつも決まった弁当で、店の女性と交わすのは、ひとことふたことだけだ。それだけの朝を、石神は一日でいちばん確かな時間として大切にしている。声を張るでも、踏み込むでもない。カウンター越しのわずかなやりとりが、この無口な男の毎日を、かろうじて照らしていた。この店の女性のために、石神はやがて、自分のすべてを差し出すことになる。

この小説を、東野圭吾は二〇〇五年に世へ出した。物理学者・湯川学が探偵役をつとめるガリレオシリーズの、最初の長編にあたる。第百三十四回直木賞、第六回本格ミステリ大賞。その年のミステリランキングをほとんど総取りにした一冊で、東野圭吾を初めて読む人に、いまも真っ先に手渡される。

だが、入り口として渡しやすいこの本は、読み手をそう簡単には放してくれない。仕掛けの見事さで名を知られながら、長く胸に残るのは、その仕掛けを一人きりで組み上げた男の、胸のうちだ。うまく騙された、という満足だけでは、どうしても終われない。

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隣の部屋の数学教師

石神哲哉は、高校の数学教師だ。だが、ただの教師ではない。大学では数学に打ち込み、学生のころには四色問題という難物に、自分の証明で挑もうとしていた。どんな地図でも、隣り合う国が同じ色にならないよう塗り分けるには四色あれば足りる——その古い問いに、既存の証明は美しくない、という理由だけで手を伸ばした男だ。世界を数式で見抜く目を持ちながら、その目を存分に使う場所を、石神は持てなかった。持て余すほどの才能を抱えたまま、それでも毎朝、弁当を買いにいく。

窓の外の景色より、頭のなかの数式のほうが、石神には確からしい。人と目を合わせるより、証明の一行を追うほうが、ずっと楽だ。そういう男にとって、弁当屋のカウンター越しのわずかな時間は、世間とつながっていられる細い糸だった。それを恋と呼ぶには、石神の気持ちはあまりに不器用で、控えめだった。ただ、彼女が今日も同じ場所にいる。その一事が、石神の日々を支えていた。

一人で暮らし、生徒とも同僚とも深く交わらない。石神の毎日は、外から見れば、ほとんど止まっている。じつは石神は、かつて一度、自らの命を絶とうとしたことがあった。その手を止めたのが、隣へ越してきた花岡靖子と、娘の美里だった。何気ない挨拶。ただそれだけのことが、死のうとしていた男を、この世につなぎとめた。以来、隣の部屋に靖子が暮らしている、というただそれだけが、石神の生きる理由になった。声をかけるでもない。壁一枚を隔てて、彼女が今日も生きている。その気配を確かめられるだけで、石神の一日は成り立っていた。

事件と壁越しの申し出

ある晩、靖子の部屋に、別れた夫の富樫慎二が押しかけてくる。金の無心と、しつこいつきまとい。もみ合いになり、靖子と、中学生の娘の美里は、勢いのまま富樫の息の根を止める。手にかけるつもりなど、はじめから無かった。ただ、追い詰められた母娘の手がそうさせてしまった。

壁越しにその物音を聞きつけた石神が、二人の部屋の戸を叩く。そして、思いもよらない申し出をする。あとの始末は、自分にまかせてほしい。取り乱す母娘に、石神は落ち着いた声で段取りを指示していく。まるで、答えの決まった問題を一問、解いていくように。

母娘が抱え込んだのは、もう戻せない現実だ。人を一人、死なせた。その事実は、びくとも動かない。石神は、その動かせない事実を出発点として引き受け、そこから母娘の助かる道を、一本の筋として引いていく。感情に呑まれる前に、目の前の惨状を、解くべき一つの問題へ変える。それが、この男の世界とのつきあい方だった。泣き崩れる母娘のかたわらで、石神ひとりが、落ち着いていた。人が一人死んでいるその部屋で、恐怖の代わりに、淡々と段取りを数えている。その平然とした振る舞いが、のちに母娘の運命を丸ごと背負っていく。

ここまでは、物語のごく早い段階で明かされる。だからこの本は、犯人は誰だ、と当てる本ではない。問われるのは、石神がこの隠しごとをどこまでやり抜くのか、そのやり方に何を賭けているのか、だ。読者は、犯人を最初から知っている。知らないのは、石神が払おうとしている代償の、本当の大きさだけだ。

解く者と作る者

やがて、警視庁の草薙という刑事が捜査に入る。地道に足で聞き込みを重ねる男だ。行き詰まった草薙が頼るのが、大学の同期で物理学者の湯川学だった。湯川にとって、石神は大学時代からの知り合いでもある。かつて天才と呼ばれた数学科の男。その旧友の影が事件にちらつくことに、湯川は早々と気づく。

作中、湯川が石神へ差し出す一つの問いがある。誰にも解けない問題を作るのと、その問題を解くのと、どちらが難しいか。ただし、答えは必ずどこかに在るものとする。たった数行の問いだ。だが、この一問が、物語の背骨をまっすぐ貫いている。

石神は、問題を作る側の人間だ。湯川は、それを解く側にいる。物理学者と数学者、かつて互いの才能を認め合った旧友が、事件という一つの盤をはさんで向かい合う。片方が命がけで組み上げた問題を、もう片方が、渾身の力で解いていく。二人のあいだにあるのは、憎しみでも勝ち負けでもない。相手の頭のよさを誰よりも知っているがゆえの、深い敬意だ。湯川は、旧友が何を組み上げたのかへ近づいていく。近づくほどに、その足取りは重くなる。解けば、旧友がすべてを失う。それでも、解かずにいられない。この問題に本気で挑むことだけが、石神の天才への、たった一つの誠実な応え方だからだ。だが、その誠実さが、石神がひとりで守り抜こうとしたものを、根こそぎ崩していく。答えに近づくことが、そのまま友を追い詰めると知りながら、湯川は机に向かう。答えは、もう見えている。見えているからこそ、解きたくない。答えにたどり着ける自分の頭を、このときばかりは呪いたくなる。

この、解く者と作る者の対話が、探偵と犯人の攻防をはるかに超えていく。湯川が追うのは、事件の真相であると同時に、旧友がなぜここまでの問題を作らねばならなかったのか、その理由でもある。真相に近づくほど、石神が抱えていた孤独の底が、湯川の前にひらけていく。だから湯川にとって、推理が進むことは、少しも勝利ではなかった。

愛を解ける問題に変えた男

石神が組み上げた隠しごとは、恐ろしく緻密だ。ほころび一つない。だが、この本のすごみは、その緻密さそのものではない。あれほどの緻密さが、いったい何のために注ぎ込まれたのか。この本の芯は、その一点にある。

石神にとって、靖子への想いは、答えの出ない問題だった。声をかける勇気はない。報われるあてもない。触れることも、伝えることもできない。だから石神は、その割り切れない感情を、自分に扱える形へ作り変える。守ると決めた相手のために、解くべき一つの問題を立て、その答えを、どこまでも正確に書き上げていく。想いを言葉で伝える代わりに、石神は、靖子を守り抜くという一問を、たった一人で解くことを選んだ。

そのやり方は、どこまでも不器用で、そして切ない。人は普通、好きな相手に、好きだと伝えたいと願う。触れたいと願う。石神には、その当たり前の道がなかった。代わりに選んだのが、相手を守るための一つの難問を、たった一人で解き続けることだった。伝わらなくていい。報われなくていい。ただ、自分の持てるすべてを答えの形にして、彼女のために差し出す。それが、石神にできる、たった一つの愛の伝え方だった。

完璧な論理は、完璧な献身の器になる。ただ、器が完璧すぎるほど、そのなかで生身の人間がすり減っていく。守られる靖子も、その隠しごとに巻き込まれた人も。石神の答案は、どこまでも正確だった。そして、正確であればあるほど、その底にある切実さが際立っていく。人を愛するという、いちばん割り切れないはずのものを、割り切れる問題へと変えていく。その淡々とした手つきそのものが、石神の愛の深さを、いちばん残酷な形で証明している。

驚きだけで終わる本ではない

この小説は、仕掛けの鮮やかさだけでも、じゅうぶんに面白い。まんまと騙されて、してやられたと膝を打つ。それは、よくできたミステリの、真っ当な楽しみ方だ。

だが、それだけだと、石神が「なぜ」そこまでしたのかが、まるごと抜け落ちる。トリックは、それ自体が目的ではない。石神が、伝えられない想いを注ぎ込むために選んだ、たった一つの器だ。その器の底に、彼の切実さが沈んでいる。仕掛けを解いたあとに残るのは、解かれたトリックではなく、それを一人で作り上げた男そのものだ。

よくできた仕掛けは、それ自体が快感を生む。その快感は、本物だ。ただ、この本の場合、驚きの奥に、もっと重い問いが待っている。あれほどの緻密さを、一人の男に注がせたものは何だったのか。見事だと感心するほど、その見事さを生んだ孤独の深さの前で、こちらは黙り込むしかなくなる。

純愛として丸められない

では、けなげな純愛の物語として読めばいいのか。それも、この本を都合よく丸めることになる。

石神の献身を、きれいな美談として受け取ると、その献身が踏みつけたものが見えなくなる。守るために払われた代償。真実を知らされた靖子が受ける打撃。純愛と、ぞっとするほどの不気味さが、同じ一人の人間のなかに、割れないまま同居している。片方だけ取り出して涙で流せば、もう片方が底へ沈む。この本の凄みは、その二つを一人の胸に押し込めて、読者に割らせないところにある。

愛は、深ければ深いほど美しい、とはかぎらない。石神の愛は、たしかに深い。底が見えないほど深かった。だが、その深さは、守られる相手には、受け止めきれない重さにもなる。靖子は、自分のために石神が何を差し出したのかを知ったとき、感謝より先に、打ちのめされる。愛されることが、こんなにも重く、こんなにも苦しいことがある。返しようのないものを受け取った者は、その大きさの前で、ただ立ちすくむしかない。この本のなかで、純愛の美しさと、その美しさが人を押し潰す残酷さは、最後まで切り離せない。

数学は飾りではない

理系ミステリ。数学ネタの知的な遊び。そんなラベルも、この本には狭すぎる。数学は、物語を飾る小道具ではない。感情を持て余す石神が、世界と関わるための、ほとんど唯一の手段だった。

人に触れるのが不器用な男が、数式のなかでだけ、まっすぐ何かを差し出せる。だから石神は、靖子への愛さえ、問題の形へ直した。もし数学がただの飾りなら、この献身もただの飾りに落ちる。そうではない。石神にとって数式は、他人の前では決して緩められない自分を、唯一ほどける場所だった。その場所のすべてを、石神は一人の女性のために差し出した。数式の前でしか素手になれない男が、その素手を、たった一人へ向けて開いたのだ。

四色問題に挑もうとした若い日の石神と、靖子のために完璧な問題を組み立てる石神は、地続きの、同じ一人の男だ。難しい問いを、美しく解きたい。その渇きが、学生のころには数学の難問へ向かい、いまは一人の女性を守ることへ向かった。向かう先は変わっても、そこへ注がれる誠実さの質は、変わらない。この物語から数学を抜けば、石神という人間が、まるごと立たなくなる。数学は、石神の生き方の芯であり、そのまま、愛し方の形でもある。

工学部から来た作家

書き手のことにも、少し触れておきたい。東野圭吾は、大阪府立大学の工学部を出て、自動車部品メーカーのエンジニアとして働いていた。図面を引き、数字で物を組み立てる、実務の現場だ。会社勤めのかたわら小説を書き、一九八五年、『放課後』で江戸川乱歩賞を受けて作家になった。理系の現場を、体で知っている人だ。その肌感覚が、湯川や石神の造形に、そのまま流れ込んでいる。

一九九八年に始めたガリレオシリーズは、はじめは短編の名探偵ものだった。事件を科学で切る、切れ味のいい連作だ。湯川が数式や実験で謎を解き明かす、その鮮やかさが読みどころだった。その短編で鮮やかな謎解きを見せてきた作家が、一冊をまるごと、一つの事件と一人の男に賭けた。それが、この最初の長編だった。だから、この一冊が代表作と呼ばれる。

頭のなかだけで天才を造形するなら、いくらでも大げさに書ける。だが東野圭吾は、そうしなかった。石神の緻密さには、机上の秀才の匂いがない。ネジ一本の狂いが製品を止める、その現場をくぐってきた人間の手が、この男の計算を裏打ちしている。だから石神の企みは、絵空事に見えない。これは本当にやりかねない——読者にそう思わせる重さがある。その一点で、この物語は、奇抜な思いつきの域を抜けた。論理を突き詰めた先で人間の情がどうにじむか。それを書き切れたのは、論理を飯の種にして生きてきた東野圭吾だからだ。

おわりに

物語の最後、靖子は真実を知る。石神が自分のために何を差し出したのか、その計り知れない大きさに、打ちのめされる。そして石神は、それまで一度も崩さなかった沈黙を破り、声をあげて泣く。獣がうめくような、あの号泣とともに、物語は幕を下ろす。

幕が下りても、答えは出ない。石神の献身は、正しかったのか。あれは愛だったのか、それとも、別の名で呼ぶべき何かだったのか。差し出されたものがあまりに大きくて、正しいとも、間違っているとも、こちらは言えなくなる。

石神は、数学の教師だった。生徒の答案に丸やバツをつけることを、毎日くり返してきた男だ。その石神が最後に差し出した、たった一枚の答案にだけは、どうしても丸もバツもつけられない。誰にも解けない問題を作るのと、それを解くのと、どちらが難しいか。石神が最後まで問い続けたその問いに、私たちは、まだ答えを持っていない。

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映画・本が好きな極めて一般的な20代
こんにちは。亀吉です。 仕事の合間にブログを書いています。 このブログは、どこまでも個人的で恣意的な思想の表明です。思うままに・・・ 映画と本が好きです。その他音楽や登山など。
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