G-0C41NE8DJB 『金持ち父さん 貧乏父さん』 (前編) — お金の本ではなく、教育の選択の本として|亀吉の呟き
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『金持ち父さん 貧乏父さん』 (前編) — お金の本ではなく、教育の選択の本として

『金持ち父さん 貧乏父さん』 (前編) — お金の本ではなく、教育の選択の本として読む
yoshiomi

ロバート・キヨサキの『金持ち父さん 貧乏父さん』 (1997 年自費出版、2000 年 Warner Books から商業出版、2000 年に筑摩書房から白根美保子訳で日本語版) は、シリーズ全体で世界 4,000 万部、日本でも 410 万部以上を売り上げた、自己啓発書の代表的な一冊だ。NYT ベストセラーリストに 6 年以上連続で掲載された記録もある。

ただ、もう一度この本の冒頭に戻ると、そこにあるのは「お金持ちになる方法」 ではない。「9 歳の少年が、二人の父親を持っていた」 という、教育論の起点である。

30 年経った今、本記事では、この本を「お金の本」 としてではなく、「教育の選択の本」 として読み直してみる。

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§1 二人の父親、一つの少年

著者ロバート・キヨサキは、1947 年 4 月、ハワイ準州ヒロの生まれだ。日系 4 世。曾祖父母が明治期の官約移民 (1885-1894) としてハワイの砂糖プランテーションに渡った可能性が高い。戦後アメリカの本土から見れば、周縁の出身である。

実父はラルフ・ヒデユキ・キヨサキ博士 (1919-1991)。1967 年にハワイ州教育長 (State Superintendent of Education) に任命された人物だった。後の 1970 年には共和党から副知事選に出馬したが、落選している。退職後、Swensen’s アイスクリーム・フランチャイズに退職金を投じて事業に失敗した。本書ではこの父が「貧乏父さん」 として描かれる。高学歴、公務員、死ぬまで請求書に追われた父、として。

もう一人の「金持ち父さん」 は、マイクという少年の父親、という設定で書かれる。鉄道沿いの便利店、レストラン、建設会社などを所有する地元の実業家。9 歳のロバートとマイクが、この父親から「お金の教え」 を受ける、というのが本書の基本構造だ。

この「金持ち父さん」 が実在したのかについては、本書執筆当時から長く議論が続いている。キヨサキ本人は 2003 年の SmartMoney 誌のインタビューで「ハリー・ポッターのような神話と思ってくれないか」 と発言したと報じられ、一時は架空性を認めたとも受け取られた。一方、2016 年 5 月、キヨサキは自身のラジオで Alan Kimi にインタビューし、「Alan の父 = 私の Rich Dad、機密保持契約があったため長年秘密にしてきた」 と公表する。Richard Wassman Kimi、ハワイの中低価格帯ホテル業 Sand & Seaside Hotels の創業者、1925 年生まれ、元準州上院議員 William Kimi の息子。

ただし、批判側はこの公表後も立場を変えていない。不動産投資ライターの John T. Reed (彼自身が不動産投資本を販売する競合的立場であることは伏せられない) は、「金持ち父さんは完全な創作と私は今では考えている」 と書く。Reed の構造的指摘で重いのは、1992 年にキヨサキが別著で「貧乏父さん」 を「私の人生最高の教師」 と捧げ書きしていた、という事実だ。1997 年に本書が出ると、「最高の教師」 が金持ち父さんに切り替わる。5 年で最高の教師が入れ替わる不自然さ。

「金持ち父さんが実在したか」 は、本記事でも断定しない。Kimi はメンターとして実在した可能性は高い。しかし本書本文の具体的エピソード (10 セントの少年の場面、9 歳の教えの場面) がそのまま事実なのか、教育目的の脚色を含むかは、今も議論が続いている。

§2 「お金の話は下品」 と「お金の話を絶え間なくしろ」

二人の父親の対比構造は、本書の核心を成している。

| 貧乏父さん (実父) | 金持ち父さん (本書) ||—|—|| 博士号、公務員 (州教育長) | 8 年生中退、中小事業オーナー || 安定志向、終身雇用 | リスク志向、複数事業 || 「いい大学に行け、いい会社に入れ」 | 「金融教育を学べ、資産を持て」 || 「お金の話をするのは下品」 | 「お金の話を絶え間なくしろ」 || 死ぬまで請求書に追われた | 経済的自由を達成 (と本書は描く) |

この対比表を眺めていると、ここで問われているのが「お金」 ではなく「教育の選択」 だということが見えてくる。

実父ラルフが息子に勧めた路線は、戦後アメリカの標準的アメリカン・ドリームそのものだった。いい大学に行き、いい会社に入り、安定した職を得て、マイホームを買い、退職金で老後を迎える。戦後の日本でも、高度経済成長期に整備された「終身雇用 + 年功序列」 の路線は、構造としては同じものだったと言える。

ラルフが「お金の話は下品」 と教えたのは、この標準路線では、お金は「会社が用意してくれるもの」 として位置づけられていたからだ。お金について個人で考えることは、標準路線の中では「不要」 だった。だから、子供に教える必要もなかった。

これに対して「金持ち父さん」 は、9 歳の少年にお金の話を絶え間なくする。損益計算書と貸借対照表の読み方、法人の使い方、税金の歴史。これは「金融教育を、子供に施す」 という別の路線の提示である。

本書の表面的な主題は「お金持ちになるには」 だ。だがその下を流れているのは「子供に何を教えるか」 という、もう一つ深い問いだ。

§3 ラットレースという比喩がなぜ刺さるのか

本書の中心メタファーは「ラットレース」 である。ロバが鼻先のニンジンを追って永遠に歩き続ける図。給与が入る → 支出が増える → ローンを抱える → また働く、という終わらないループ。給与が上がっても支出が同じだけ上がるので、ループから抜けられない。

このメタファーが 1997 年に書かれて 30 年読まれ続けている理由は、単に「労働が辛い」 という体験を捉えているからではない。もっと正確には、「自分が望んだはずの安定が、気づくと自分を縛っている」 という構造を、一つの動物の絵で言い当てたからだ。

戦後アメリカの標準路線で得られる安定は、確かに価値がある。給与の保証、健康保険、退職金、社会的承認。ラルフ・キヨサキ博士の人生は、この路線で築かれた。そして同時に、退職後にアイス屋に退職金を投じて失敗し、死ぬまで請求書に追われた、という顔も持っていた。

「ラットレース」 という言葉が刺さるのは、安定路線の中にいる人が、自分の毎日を見つめたとき、鼻先のニンジンを追って歩き続けるロバの姿を、自分の中に見つけてしまうからだ。否定する材料はないし、路線を変える理由もない。ただ、その姿が自分の中にあると気づくこと自体が、ある種の重みを持つ。

キヨサキはこの重みに対して「ラットレースから抜けろ」 と答える。だが本記事はそこまで踏み込まず、立ち止まってみたい。

§4 「金持ち父さん」 は実在したのか — 議論の中で読むこと

§1 で触れたように、「金持ち父さん」 の実在は議論が続いている。ここで、もう一段踏み込んで、この議論そのものが本書の読み方を変える点に触れておきたい。

仮に「金持ち父さん」 が完全に実在した人物 (Richard Kimi) で、本書本文の具体的エピソードもそのまま事実だったとすると、本書はノンフィクション伝記として読める。仮に「金持ち父さん」 が複合人物・象徴的キャラクターだったとすると、本書は教育的寓話として読める。そして本書が世界 4,000 万部読まれた理由は、そのどちらでも変わらない可能性がある。

つまり、本書の核心メッセージ (「金融教育を、標準路線とは別の場所から学べ」 という促し) は、「金持ち父さん」 が実在したかどうかとは独立に成立している。ハリー・ポッターが実在しないことが『ハリー・ポッター』 の読者体験を損なわないように、「金持ち父さん」 の実在性は、本書の教育論としての価値とは別の層にある。

ただし、本書を「ノンフィクション」 として売り出した点、そしてキヨサキが 2007 年訴訟・2008 年和解 (シャロン・レクター CPA との共著体制をめぐる紛争) や 2012 年 Rich Global LLC の Chapter 7 破産 (Learning Annex とのセミナー収益分配紛争による 23.7 百万ドルの判決を回避する形での法人破産、これは個人破産ではない) を経てきた事実は、「教えそのもの」 とは別に「教える側の振る舞い」 として観察対象になる。

教えと、教える側の振る舞い。この二つは、別々に見ることができる。本書については、そんな解釈もできる。

おわりに

本書を「お金持ちになる方法」 として消費すると、1997 年に書きこまれた教育論の核が、読み終わる頃には消えている。もう一度、9 歳の少年と二人の父親の場面に戻ってみる。

ハワイ州教育長の父と、中卒のホテル業者の父。二つの背中を同時に見ながら育った少年が、47 歳になってこの本を書いた、という時間軸の長さ。戦後アメリカの「いい大学・いい会社」 路線への、4 世日系の少年からの遅れた疑問。そういう順序で本書を読み直すと、「お金」 という単語の手前に、「教育の選択」 という別の単語が現れる。

自分の親が、自分にどんな路線を勧めたか。自分が、子供にどんな路線を勧めるか。もしくは、もし子供がいなくても、自分が次の世代の誰かに何を渡したいか。本書を教育論として読み終わったあと、このような考えが浮かぶ。

後編では、6 つの Lesson を一つずつ取り出して、「実践に降ろすときに何が引っかかるか」 を観察する。「自宅は負債」 という独自定義、不動産フリップ戦略への批判、ESBI クワドラントが実は本書ではなく続編で導入された概念であること、2012 年の Chapter 7 がブランドにとって何を意味したか。教育論として読み終わった本書を、今度は実践の側から読み直してみようと思う。

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こんにちは。亀吉です。 仕事の合間にブログを書いています。 このブログは、どこまでも個人的で恣意的な思想の表明です。思うままに・・・ 映画と本が好きです。その他音楽や登山など。
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