『ウォールデン 森の生活』ソロー — 引き算の中にある暮らし
森の生活、と聞くと、多くの人はまず緑の匂いや、水面をわたる風や、朝の鳥の声を思い浮かべるだろう。俗世を離れ、湖のほとりで心を休める——そんな牧歌的な絵が、この題名からは自然と立ちのぼってくる。ところが『ウォールデン 森の生活』を開いてまず出会うのは、意外なことに、家計簿のような文章だった。板が何ドル、釘が何セント、屋根に張る紙が幾ら。几帳面に並べられた収支の表。ヘンリー・デイヴィッド・ソローがこの本で最初に確かめようとしたのは、心の癒しではなく、「人が生きるのに、本当はいくらかかるのか」という、ひどく散文的な問いだった。だからこの本は、森へ逃げこむ物語ではない。暮らしから余計なものを一つずつ引いていって、最後に何が残るのかを見きわめようとした、静かな実験の記録なのである。そして引き算されたあとに残るものの正体こそ、ソローがこの二年あまりをかけて確かめたかったものだった。
森は逃避ではなかった
1845年、独立記念日にあたる7月4日に、ソローはマサチューセッツ州コンコードの南、二マイルほど離れたウォールデン池のほとりへ移り住んだ。自分の手で建てた、縦横がおよそ十フィートと十五フィートの、たった一部屋の小屋。そこで彼は、1847年の9月6日までの、二年二ヶ月二日を暮らした。日付までが妙にきっぱりと残っているのは、これがなんとなく始めた隠居ではなく、明確な区切りをもった一つの試みだったからだろう。独立記念日に住みはじめたことにも、どこか彼らしい含みがある。
ここで取り違えやすいのは、この森での暮らしを「世捨て人の隠遁」と読んでしまうことだ。ソローは仙人ではなかった。小屋の建っていた土地は、そもそも彼の持ち物ではなく、師であり友でもあったラルフ・ウォルドー・エマソンの所有地だった。ソローは森にいるあいだも頻繁に町へ戻り、母や友人を訪ね、小屋には来客もあった。本のなかには、訪ねてくる人々のことを書きとめた章さえある。森は、人と縁を切るための場所ではなかったのだ。
そもそもソローは、エマソンを中心とする超絶主義の圏のなかで育った人だった。超絶主義とは、制度や慣習や物質よりも、一人ひとりの直観と、自然のなかに宿る精神とを重んじる、ニューイングランドの思想の運動である。若い日のソローは、一時期このエマソンの家に住み込み、雑用をこなしながら、詩や文章の手ほどきを受けている。エマソンがその思想を言葉と思索で描いたとすれば、ソローは同じものを、自分の身体と暮らしで試そうとした。森での暮らしは、頭のなかで組み上げた理想を、生活という現場でほんとうに成り立つのか確かめるための、実地の試験でもあったのだ。
この運動の源には、エマソンの著した『自然』があった。人は書物や教会を介さずとも、森や湖や空を通じて、じかに大きなものへ触れられる。そういう確信が、その思想の芯にはあった。ソローの森での日々は、その確信を、たった一人で、生活のなかにまるごと引き受けてみる試みでもあったのである。
では、何のために森へ入ったのか。ソロー自身の言葉が、いちばんはっきりしている。「私が森へ入ったのは、意図して生きたかったからだ」。意図して、つまり、流されるのではなく、自分で選んで生きる。彼はまた、「人生の精髄を吸い尽くしたかった」とも書いている。日々をただやり過ごすのではなく、その芯にあるものを味わい尽くしたい。彼が求めたのは、逃避ではなく、むしろ生きることへの、正面からの接近だった。森は、その実験のための、静かな仕事場だったのである。
経済という名の最初の章
『ウォールデン』の最初に置かれ、いちばん長いのが「経済」と題された章だ。経済、というと堅苦しく響くが、中身は驚くほど具体的である。ソローは、衣・食・住・燃料という、生きるのに欠かせない四つの必需に、いったいいくらかかるのかを、実際の数字で書き出していく。
小屋を建てるのにかかった費用は、しめて二十八ドル十二セント半。彼はこれを、近くの町で学生が一年間、部屋を借りて暮らす費用よりも安いと記している。建材の多くは、鉄道工事の労働者が住んでいた古い小屋を買い取り、板を一枚ずつ剥がして運び、あらためて組み直したものだった。食べるものも、自分で耕した畑の豆や、わずかな買い足しでまかなう。彼が耕したその豆畑もまた、労働と収支の記録として、一つの章になっている。そうして丹念に計算していくと、暮らしを支えるのに要る労働は、一年のうち六週間ほどで足りてしまう、と彼は言う。残りの時間は、生きることそのものに使えばいい。
衣服についても、彼の見方は変わらない。新しい服が要るのは、たいてい、中身が変わったからではなく、人の目を気にするからではないか。継ぎのあたった上着を恥じる理由が、どこにあるのか。ソローは、必要と見栄とを、ていねいに切り分けていく。ものを買うとき、私たちが払っているのは、はたして必要のためなのか、それとも、まわりの視線のためなのか。
ソローには、値段を測るための独特の物差しがあった。あるものの本当の値段とは、それと引き換えに差し出す、生きた時間の量である。高価なものを手に入れるために長く働けば、そのぶん、生きるための時間は減っていく。だとすれば、いちばん高くつくのは、なくても困らないものを、必需だと思い込んで買いつづける暮らしのほうだ。彼の家計簿は、金額の帳簿であると同時に、時間と自由の帳簿でもあった。
この几帳面な計算は、けちくさい倹約の話ではない。ソローが問うているのは、もっと根の深いことだ。私たちは、本当は要らないものを手に入れるために、一年の大半を働いて過ごしてはいないか。買った品物のために、かえって時間と自由を差し出してはいないか。彼の目に映る多くの人は、財産を持っているというより、財産に持たれ、その世話に一生を追われていく者のように見えた。「簡素にせよ、簡素にせよ」——この章に何度も響くその声は、ものを減らせという教訓である前に、何が本当に要るのかを自分の暮らしで測り直せ、という誘いなのだ。家計簿のような収支の表と、池の水や鳥をめぐる細やかな自然の観察とが、同じ一冊のなかに違和感なく同居している。それは偶然ではない。生を最小限まで引き算して確かめる、という一つの態度が、その独特な文体そのものに表れているのである。
池のほとりで季節を見る
『ウォールデン』の頁の多くは、じつは経済の話ではなく、目の前の自然をじっと見ることに費やされている。読むこと、聞こえてくる音、ひとりでいること。章の題名を追うだけでも、彼の一日がどんなふうに流れていたかが見えてくる。遠くを走る汽車の響き、夜のふくろうの声、湖面をわたる風。ソローは、そうしたささやかなものを、飽きることなく書きとめていった。
とりわけ念入りに見つめられるのが、ウォールデン池そのものだ。彼は水の色を確かめ、その深さを測り、季節ごとに移ろう表情を記録する。冬になれば、張った氷の厚みや、氷の下で眠る生きもののことまで書きつける。そして厳しい冬が終わり、氷が割れ、土がゆるみ、ふたたび緑が芽吹いてくる。その春の訪れの描写は、この本のなかでもとりわけ生き生きとしている。二年あまりの滞在は、頁のうえでは一つの季節の巡りへと畳み込まれ、冬から春への再生の物語として結ばれていく。
ひとりでいることを、ソローは寂しさとは呼ばなかった。彼にとって孤独とは、欠けた状態ではなく、むしろ世界と静かに向き合うための、満ちた時間だった。それでいて彼は、人を拒んだわけでもない。訪ねてくる者があれば迎え入れ、話しこみもした。ひとりでいることと、人とつながることは、彼のなかで少しも矛盾していなかったのである。
引き算した暮らしが彼にもたらしたのは、退屈ではなく、この、見ることのゆたかさだった。余計なものに追われていないからこそ、彼は目の前の池を、これほど細やかに見ていられた。時間を取り戻すとは、こういうことだったのだろう。引かれた分の空白を、彼は自然を見ることで、静かに満たしていったのだ。
「静かな絶望」という言葉
この本のなかで、もっともよく知られ、もっとも鋭い一句が、同じ「経済」の章にある。「大多数の人は、静かな絶望のうちに生を送っている」。
強い言葉だ。けれど、これを読んで身構える必要はない。ソローは、誰かを名指しで責めているのではない。彼が見つめているのは、特別な不幸ではなく、ごくありふれた日々のほうだ。朝起きて、決まった仕事へ行き、暮らしのために働き、疲れて眠る。表向きは、何の問題もない。ただ、その一日のどこにも、自分で選んだという手ごたえが残らない。声をあげるほどの不満ではないから、絶望は静かなまま、諦めの色をして日常に溶けていく。ソローが「静かな」と呼んだのは、その、誰にも気づかれないまま続いていくやり過ごしのことだった。
意図して生きる、というソローの願いは、この静かな絶望と裏合わせになっている。絶望が静かなのは、私たちが自分の一日を、誰かに決めてもらったまま受け取っているからだ。もっと稼ぐために、もっと持つために、と急かされているうちに、なぜそれが要るのかを問う時間だけが、いつのまにか削られていく。ソローが森でしたのは、その問いのための時間を、暮らしそのものを削ることで取り戻すことだった。
だからこの一句は、非難ではなく、問いとして書かれている。自分の一日から、もし要らないものを引いていったら、最後に何が残るだろうか。その残ったものは、ほんとうに自分で選んだものだろうか。森での引き算は、この問いを机上の理屈で終わらせないための、身をもった実験だった。ソローは、暮らしを削ることで、絶望を静かなままにしておかないための、目の覚めた一日を取り戻そうとしたのである。
彼は結びのほうで、こうも書いている。もし誰かが仲間と歩調が合わないのなら、それは、その人が別の太鼓の音を聞いているからかもしれない。彼はそう記している。「違う太鼓の音」。まわりに合わせられないことは、遅れでも欠陥でもなく、その人だけに聞こえている遠い鼓手のリズムなのかもしれない。静かな絶望から降りるとは、その自分だけの拍子に、正直に足を合わせてみることでもあった。多くの声に合わせて足並みをそろえることより、たった一つの、自分にだけ届く音を聞き取ること。引き算のあとに残るのは、そういう耳のようなものだったのだろう。
森を去るということ
ここで見落としてはならないのは、ソローが森に居つづけなかった、ということだ。二年二ヶ月二日で、彼は実験を切り上げ、森を去って、ふたたび町の暮らしへ戻っていく。その理由を、彼は「森へ入ったときと、同じくらいの理由から」とだけ書いている。まだ生きてみるべき暮らしが、自分にはいくつも残っているように思えたのだ、と彼は言う。
森を去るこの足取りに、この本のいちばん大切なところがあるように思う。もし彼が森に留まりつづけたなら、『ウォールデン』は、世俗から逃れた隠者の理想郷を描いた本になっていただろう。けれど彼は戻った。引き算して見きわめたものを抱えて、もう一度、人の世のほうへ帰っていったのだ。森は、永住するための楽園ではなく、暮らしを測り直すために、一度だけ深く降りてみる場所だった。測り終えたなら、そこから出て、確かめたものを、日常のただなかで生きていく。ウォールデン池のほとりの二年あまりは、そのための、長い一呼吸のようなものだったのである。
この森の実験が特別なのは、それが誰にでもそのまま真似できる処方ではない、というところにもある。ソローは、みなが森へ行くべきだとは書いていない。彼が差し出したのは、小屋の建て方ではなく、一つの問いの立て方だった。自分の暮らしのなかで、何を必需と呼び、何を惰性のまま抱えこんでいるのか。その問いは、森へ行かなくても、いまいる場所で、そのまま始めることができる。
森での日々のあいだにも、ソローは暮らしと良心の問題に向き合っている。滞在中の1846年、彼は人頭税の支払いを拒み、コンコードの牢に一晩だけ入れられた。奴隷制を認め、戦争を推し進めていく国家に、税というかたちで加担したくない、という理由からだった。この一晩の経験は、のちに『市民の反抗』と呼ばれることになる、別の評論へと結晶していく。森での引き算と、税をめぐるこの拒みとは、見かけは違っても、根のところでは同じ一つの態度だった。何が本当に必要で、何には従わなくてよいのかを、他人の物差しではなく、自分の暮らしと良心で測り直すこと。それが、ソローという人を貫く姿勢だったのだ。
おわりに
『ウォールデン 森の生活』は、緑の癒しの本でも、世を捨てた聖人の伝記でもない。板と釘の値段から始まり、四つの必需の家計簿を経て、「静かな絶望」という一句にたどり着き、そして森を去っていく——その全体が、暮らしを最小限まで引き算して、何が本当に要るのかを確かめようとした、一つの長い実験だった。生前はさほど読まれなかったこの本が、二十世紀に入って古典として広く読み継がれ、環境思想やシンプルな暮らしの源流とされるようになったのも、その問いが古びないからだろう。
二世紀近く前の、たった二年あまりの記録が、いまも古びないのは、暮らしが豊かになった分だけ、私たちの一日にもまた、静かな絶望が忍び込みやすくなっているからかもしれない。持ち物は増え、選べるものは増え、それでも一日の芯が薄くなっていくような感覚。その感覚に覚えがあるなら、ソローの引き算は、遠い昔の変わり者の話ではなくなる。
引き算は、貧しくなることではない。要らないものを手放した分だけ、残ったものの輪郭が、くっきりと見えてくる。森を出ていくソローの後ろ姿は、何かを諦めた者のそれではない。引き算して手にした身軽な確かさを抱えて、彼はもう一度、生きるべき日常のほうへ歩いていく。その足取りの軽さこそが、この本が二世紀ちかくを越えて、いまも読む者の暮らしへ、静かに問いを差し向けてくる理由なのだろう。
