G-0C41NE8DJB 『論語と算盤』渋沢栄一 — 正しさと稼ぎは、割らなくていい|亀吉の呟き
亀吉の書評

『論語と算盤』渋沢栄一 — 正しさと稼ぎは、割らなくていい

『論語と算盤』渋沢栄一 — 正しさと稼ぎは、割らなくていい
yoshiomi

論語と算盤。ならべて口に出すと、どこか据わりが悪い。かたや二千五百年ほど前の中国で説かれた道徳の書、かたや珠をはじいて銭を数える道具。正しさと勘定。精神と金。ふつうなら、いちばん遠くに置きたくなる二つだ。私たちはどこかで、正しくあろうとすれば損をし、儲けようとすれば少し汚れる、と思っている。きれいごとと現実は、別々の引き出しにしまうものだと。

その二つを、渋沢栄一はわざわざ一つの題にならべた。しかも、なんとか両立させろと励ましたのではない。もともと引き裂かれてなどいない、と言い切った。頑張って両方を手にしろという根性論とはちがう。そもそも二つは敵同士ではないのだから、切り離して考える必要がなかったのだ、という話である。

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論語と算盤という妙な取り合わせ

渋沢栄一の持論は、「論語と算盤とは一致すべきもの」という一点にある。道徳と経済は、たがいに背を向ける敵ではない。むしろ手を取り合ってはじめて、どちらも長く続く。これを渋沢は道徳経済合一説と呼んだ。

理屈はこうだ。経済をまわすには、嘘をつかない、約束を守る、人を欺かないという道徳がいる。土台に信用がなければ、商いはすぐに崩れる。逆に、道徳を世の中で生かすには、それを支えるお金の裏付けがいる。理想だけでは人は食べていけない。だから両者は、片方だけでは立たない。表と裏、どちらを削っても紙は破れる。

言葉にすればあたりまえに聞こえる。けれど、この当たり前をまっすぐ言い切れる人は、当時もいまも、そう多くない。多くの人は、金を語るときに正しさを忘れ、正しさを語るときに金から目をそらす。渋沢は、その二つを同じ机の上にならべて、離すな、と言い続けた。

商いを卑しい仕事にしない

渋沢が生きた時代、金儲けや商いは、どこか一段低い仕事と見られていた。武士は金を口にしないのが美徳とされ、算盤をはじく者は、まるで道徳の外にいる人間のように扱われた。官が上で民が下、という空気も濃かった。国を動かすのは政治家や役人であって、物を売り買いする者ではない。そういう見下しが、世間の底に沈んでいた。

渋沢は、それをおかしいと考えた。国を豊かにするのは、役所の中だけの仕事ではない。田畑を耕し、糸を紡ぎ、物を運び、銀行をまわす——その一人ひとりの商いこそが、国の背骨になる。だから商いは、恥ずかしい稼ぎどころか、誇りを持ってよい仕事のはずだ。ただし、胸を張るには筋がいる。人を欺いてでも儲ければいいという商いには、その筋がない。渋沢は、商いに通す背骨を、論語に求めた。算盤を持つ手に論語を握らせることで、商売を、道徳の外の卑しい金勘定から、道徳のうちにある堂々たる仕事へと引き上げようとした。武士の魂と商人の才覚をひとりのうちに併せ持つ——のちに渋沢が士魂商才と呼ぶ構えは、商人に武士の背骨を一本通す試みでもあった。

五百の会社を興した人が言うから

この主張が重いのは、言った人が書斎の人ではないからだ。

渋沢栄一は、一八四〇年、いまの埼玉県深谷市の血洗島という村の農家に生まれた。家の仕事は藍玉の製造と販売、それに養蚕。子どものころから、従兄の尾高惇忠に『論語』を教わって育った。土のにおいと、漢籍の素読と。若いうちは尊王攘夷の熱に浮かされ、高崎城を乗っ取る計画まで立てて、寸前で思いとどまっている。

流れて京都へ出た渋沢は、一橋慶喜に仕えることになる。二十七歳のとき、将軍の実弟に随行して、パリの万国博覧会と欧州の国々を見てまわった。そこで目にしたのが、株式や銀行という西洋の仕組みだった。人の小さな金を集めて大きな事業を起こす、その回し方に、渋沢は目をみはる。論語で育った男が、算盤の最新の形を持ち帰ったことになる。

帰国して明治の世になると、渋沢はいったん大蔵省に入り、国の骨組みづくりに関わる。だが一八七三年、役所を辞めて、民間の一人の経済人になる道を選んだ。同じ年、第一国立銀行の経営を担う。国立と名はついても、これは官の銀行ではない。民間の人々が金を出し合ってつくった、日本で最初の株式会社としての銀行だった。渋沢はここを足場に、紙も、鉄道も、紡績も、保険も、次々に会社の形にしていく。生涯で関わった会社は、およそ五百。のちに「日本資本主義の父」と呼ばれる働きぶりだった。

金儲けの才だけの人だったのではない。渋沢は同じ手で、養育院をはじめとする慈善や教育の事業を、生涯で六百ほども支えている。身寄りのない者や病んだ者を引き受ける施設の運営に、六十年ものあいだ関わり続けた。会社をおよそ五百、社会のための事業を六百。この二つの数字が同じ一人の中に立っていることが、道徳経済合一説の何よりの証しだった。

渋沢には、成功と失敗をめぐる醒めた見方もあった。世間は人を、成功したか失敗したかで値踏みする。だが渋沢に言わせれば、成敗は人生の残りかすのようなものだ。肝心なのは、その時々に道理へ従って力を尽くしたかどうかで、結果の栄枯は、あとから薄皮のように付いてくるにすぎない。道理を外して手にした成功よりも、道理を守って報われなかった努力のほうが、人としては上だという。日本でいちばん多くの会社を率いた当人がそう言うから、負け惜しみには聞こえない。稼ぐことに人生を注いだ人間が、稼ぎの多寡を人の値打ちの本体には置かなかった——ここにも、正しさと算盤を割らない構えがある。

つまり『論語と算盤』は、儲けたことのない人の理想論ではない。日本でいちばん多くの会社を興した当人が、五百回ぶんの実地から絞り出した言葉なのだ。だから、道徳を説いても地に足がついている。理想が現実に負けたことも、正しさが割に合わなかったことも、この人はさんざん見てきたはずだ。そのうえで、なお割らなくていいと言っている。

正しい道理の富でなければ永くは続かない

では、その道徳と算盤を、渋沢はどうつないだのか。芯にあるのは、富についての一つの考え方だ。

渋沢はこう書いている。「富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできぬ」。金儲けそのものを汚いとは言わない。孔子だって、正しいやり方で得た豊かさまで否定してはいない、と渋沢は読む。問題は、その富がどんな道を通ってきたかだ。人を欺き、抜け駆けし、道理を踏みつけて積んだ富は、たとえ一時は大きく見えても、長くはもたない。砂の上の城のように、いつか崩れる。ずるをして得た金は、そのずるがいつか露見して、積み上げたものごと崩す。逆に、正直に商いを続けた者のもとには、信用という見えない資本がたまっていく。あの店なら間違いない、あの人となら組める——その信用こそが、次の取引を呼び、事業を永らえさせる。道徳は、儲けの外側にある飾りではない。儲けを内側から支える構造材なのだ。目には見えないが、抜けば家が傾く柱のようなものだ。

だとすれば、道徳は経済の飾りではない。むしろ土台だ。正しさは、儲けを我慢させるための枷ではなく、儲けを長持ちさせるための条件になる。この上下をひっくり返すところにこそ、渋沢の考えの肝がある。ふつう私たちは、まず利益を確保して、余裕があれば善いこともしよう、と考える。渋沢はそれを裏返す。まず公益を第一に置け。私利は、その公益を追いかけた結果として、後からついてくる。公益第一、私利第二。私利をゼロにしろという話ではない。順番を変えろ、という話だ。

士魂商才

その順番を一人の人間のなかで抱えるための言葉が、士魂商才だった。

武士の精神だけでは、世は渡れない。かといって、算盤ずくの才覚だけでは、いずれ足をすくわれる。だから、武士のいさぎよさと、商人のぬかりない才覚を、一人のうちに併せ持て。渋沢はそう説いた。おもしろいのは、その士魂も商才も、どちらも『論語』で養えると渋沢が考えたことだ。道徳の書が、精神を鍛えるだけでなく、まっとうな商いの勘まで育てる。論語は棚に飾る古典ではない。現場で使う実用の書だという読み方が、ここにある。

士魂商才という言葉は、渋沢が思いつきで作ったものではない。古くからある和魂漢才——日本のこころと中国渡来の学問を併せ持て、という言い回しを、渋沢が実業の世界へずらして作った語だ。精神と技術、こころと腕。二つに切らずに、両方を一人が抱える。渋沢の生き方そのものが、この四文字だった。

論語を棚から下ろす

渋沢の論語の読み方は、学者のそれとはずいぶんちがう。あくまで、働く人間が今日を生きるための言葉として引き寄せる。

たとえば渋沢は、常識とは何かをこう説く。智と情と意——知恵と、感情と、意志。この三つがどれかに偏らず、まるく育っている人が、常識のある人だと。頭が切れるだけでは足りない。情に流されるだけでも危うい。意志が強すぎれば頑固になる。三つが釣り合ってはじめて、人は世の中でまっとうに働ける。抽象的な徳目ではない。職場の隣にいる人の顔が浮かぶような、具体の話として語られている。

志についても同じだ。大きな志と、日々の小さな志。その二つを食いちがわせず、自分の得手不得手を見きわめたうえで、身の丈に合った志を立てよと渋沢は言う。背伸びした理想を掲げて空回りするのでもなく、志を持たずに流されるのでもなく。ここでも渋沢は、二つに割れがちなものを、一本につなごうとしている。論語という古い書物が、そのつど手を汚す道具として使われている。

身の丈という点では、渋沢に蟹穴主義という言葉もある。蟹は、自分の甲羅の大きさに合わせて穴を掘る。人もまた、己の分をわきまえ、身の丈に合った場所で力を尽くせという処世だ。大きく見せようと背伸びをすれば、どこかで無理が出て、いつか崩れる。等身大の穴を、しかし手を抜かずに掘る。分をわきまえることと、その穴のなかで全力を尽くすこと。ここでも二つは離れていない。慎ましさと働きの熱を、一人の人間のうちで両立させている。分をわきまえること自体が、手を抜く言いわけにはならない。

説教でもノウハウ本でも古典の講義でもない

だから、この本を三つの読み方に押しこめると、芯が抜ける。

一つ。古い成功者のありがたい道徳説教として読むと、間違える。渋沢が言うのは「正直にやりなさい」というお題目に聞こえて、じつはその逆に近い。正しさは、利益を捨てさせるための我慢ではなく、利益を長く保つための実務の条件だ、という現場の設計思想なのだ。道徳を、仕事の外から見下ろす訓戒として語ってはいない。仕事の内側に組みこんでいる。

二つ。金儲けのノウハウ本として読むと、これもズレる。渋沢の関心は「どうやって儲けるか」というやり方よりも、「何のために儲けるか」という問いの立て方のほうにある。手段を教える本ではない。目的の置き場所を組み替える本だ。だから読んでも、明日すぐ使える必勝法は載っていない。手に入るのは、儲けの前に何を置くか、という問いのほうだ。

三つ。『論語』の解説書、儒教の焼き直しとして読むのも、異なる。渋沢は孔子の言葉をありがたく受け売りしたわけではない。二千年以上前の言葉を、明治の会社と工場のただなかへ引きずり出して、いま使えるかどうかで読み直した。古典への注釈ではなく、古典の実地転用。棚から下ろして、手を汚しながら使ってみせた読み方だった。

むずかしい人のための本ではない

この本の成り立ちにも、少しだけ触れておきたい。『論語と算盤』は、渋沢栄一が机に向かって書き下ろした著作ではない。

この本は、一九一六年、東亜堂書房から出た。中身は、渋沢があちこちでおこなった講演や談話を、梶山彬という編者が集めてまとめたものだ。全十篇、九十章。処世、立志、常識、人格、実業と士道——晩年、七十代半ばの渋沢が、若い人や実業家に向かって語った肉声が、そのまま活字になっている。学者が書いた分厚い理論書ではなく、現場を知り尽くした老人の話し言葉を書きとめた、渋沢栄一という人への入り口なのだ。

だから、文章はやさしい。むずかしい漢語をならべて煙に巻くところがない。目の前の若い者に、身をかがめて語りかけるような調子で、道徳と算盤の話が続く。百年以上前の講演でありながら、いま読んでも古びない。扱っているのが景気の話ではなく、人が働くときの根っこの話だからだ。

おわりに——割らないまま

私たちは、いつのまにか、正しさと稼ぎを別々の引き出しにしまう癖がついている。理想はこっち、現実はあっち。きれいごとは休みの日に、金の話は仕事の日に。そうやって二つに仕切っておけば、たしかに気は楽だ。稼ぐときは正しさを忘れていいし、正しさを語るときは金から目をそらしていい。

渋沢栄一が一冊をかけて崩そうとしたのは、その仕切りのほうだった。論語と算盤は、右手と左手に分けて持つものではない。同じ一つの手で、いっしょに握るものだ。正しく働くことと、まっとうに稼ぐことは、二つの行いではなく、一つの行いの表と裏でいい。

明日の仕事のどこかで、この二つを別々の引き出しに分けたくなる瞬間が来る。損か・得か、正しいか・そうでないか。ここで正しさを通せば損をする、と天秤が傾きかける、あの一瞬だ。そのとき、片方をしまいこむ前に、手のなかで二つをならべて、どちらも手放さずに済む道はないか、と考えてみる。正しく稼ぐ道は、たいてい遠回りに見える。それでも、道理を通した仕事のほうが、めぐりめぐって永く残る——渋沢が五百回の実地で確かめたのは、そういう地味な手ごたえだった。渋沢栄一が会社を興しながら最後まで手放さなかったのは、正しさと稼ぎを、二つに分けずに一つの手で握り続ける、その握り方だったのだと思う。

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こんにちは。亀吉です。 仕事の合間にブログを書いています。 このブログは、どこまでも個人的で恣意的な思想の表明です。思うままに・・・ 映画と本が好きです。その他音楽や登山など。
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