G-0C41NE8DJB 自省録 (170-180 年頃) — ドナウ川流域の天幕の書きつけ|亀吉の呟き
亀吉の書評

自省録 (170-180 年頃) — ドナウ川流域の天幕の書きつけ

自省録 (170-180 年頃) — ドナウ川流域の天幕の書きつけ
yoshiomi

ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス (在位 161-180) が、 ドナウ川流域のゲルマン戦役の天幕のなかで、 自分のために書いた断章集がある。 ギリシャ語の原題は τὰ εἰς ἑαυτόν (Ta eis heauton)。 「自分自身へ」「自己自身に向けて」 と訳される。

ただし、 この題は著者本人が付けたものではない。 後世に付けられた便宜的なタイトルだ。 アウレリウス本人がこの本を公刊しようとしたという記録はない。 死後、 どこかで写本が発見され、 ビザンツ帝国経由で残った。 最古の完全写本は 14 世紀のもの。 印刷の初版は 1559 年、 ハイデルベルクの古典学者ヴィルヘルム・クシュランダー (Xylander) の手になる。 アウレリウスが書いた時点から、 一般読者の手に届くまで、 約 1400 年の隔たりがある。

『自省録』 を「ストア派の聖典」 として読むと、 この「公刊を意図しなかった本が読み継がれている」 という構造そのものが滑り抜ける。 アウレリウスは、 読者に教えるために書いていない。 自分に語りかけている。 ギリシャ語の文章には、 一人称ではなく二人称 — 「お前は」「君は」 — で自分に呼びかける構文が多い。 朝起きたとき、 戦場の天幕で、 自分が皇帝であることを忘れようとするように、 自分自身に呼びかけている。

20 世紀後半に、 哲学者ピエール・アドが『自省録』 を「精神的訓練 (spiritual exercises)」 の実演として読み直した。 つまりこの本は「悟った人が読者に教える本」 ではなく「著者自身が自分を訓練するための書」 だ、 と。 訓練が必要なのは、 著者自身がまだ達成していないからだ。 「他者の過ちに腹を立てるな」「現在の瞬間だけを生きよ」 と書く動詞は、 既にできている人の自慢ではない。 まだできていない人が、 できるようになるために、 自分に書きつける言葉だ。

そういう書物として、 『自省録』 はある。 12 巻、 約 487 編の短文の集合。 ローマ皇帝が、 19 年の在位のうち最後の 10 年、 戦場の天幕で書いた断章を、 死後の誰かが集めて束ねた。 束ねた人の名前は分からない。 編集の順序が著者の執筆順なのかも確定できない。 ただ、 本だけが残った。

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§1 ドナウ川流域の天幕、 マルコマンニ戦争の只中

執筆は 170 年頃から 180 年頃と推定される。 場所はドナウ川流域、 マルコマンニ戦争 (北方ゲルマン民族との戦役、 167-180 年) の前線だ。

アウレリウスの在位 19 年は、 平穏な時期ではなかった。 161 年に共同皇帝ルキウス・ウェルスと並んで即位した直後、 東方でパルティア戦争 (161-166) が始まる。 ローマ軍が東方で戦って凱旋した直後の 166 年、 ★ 「アントニヌスの疫病」 と呼ばれる大疫病が帝国を襲う。 天然痘か麻疹に近い感染症だったと推定され、 ローマ帝国全域で数百万人が死亡したという推計がある。 169 年にウェルスが疫病で死亡し、 アウレリウスは単独皇帝になる。

167 年から、 北方ゲルマン民族 (マルコマンニ族、 クァディ族、 サルマタイ族) がローマ国境を越え始める。 ドナウ川流域での 13 年にわたる戦役が始まる。 アウレリウスは、 哲学者として育った皇帝が、 戦場で軍を率いる立場に置かれる。

『自省録』 第 2 巻の冒頭には、 「カルナントゥムにて (ἐν Κουάδοις πρὸς τῷ Γρανούᾳ)」「ゲルマン人クァディ族の地で、 グラヌア川 (の岸辺) にて」 という地理的注記がある (★ 神谷美恵子訳脚注で確認可能)。 戦場の地名と川の名前が、 書物の冒頭に残っている。

戦地の天幕で、 一人の皇帝が、 コイネー・ギリシャ語 (古代地中海世界の共通ギリシャ語) で自分に書きつける。 ローマ皇帝の公用語はラテン語だが、 アウレリウスはギリシャ語を選ぶ。 ストア派哲学の伝統言語がギリシャ語だったから、 という理由が一般的だ。 養父のアントニヌス・ピウス (在位 138-161) からアウレリウスは帝位を引き継いだが、 哲学修練の言語まで養父の慣習に従う必要はなかった。 妻ファウスティーナ (175 年に戦地への帯同中に死亡) と、 戦地に同行した家族にも、 この書きつけは見せていない。 自分の私的修練として書く以上、 修練の伝統言語で書く。 公的なラテン語の文章は、 帝国の政治のために別に書いていた。

§2 「お前は」 で自分に呼びかける構文 — 第 4 巻 3

『自省録』 のギリシャ語の文章には、 二人称の動詞 — 「お前は (君は)」 — が頻出する。 第 4 巻 3 の一節を、 神谷美恵子訳で読めばこうだ。

> 人々は田舎や海辺や山に、 自分の身を引きこもらせる場所を探し求める。 君も、 そういう場所を欲しがる癖がある。 だが、 これは無教養な態度だ。 君は、 いつでも、 自分自身の魂に引きこもることができる。 自分の魂以上に、 静かで、 邪魔のない場所はない。

「君も、 そういう場所を欲しがる癖がある」 と書く相手は、 読者ではなく、 著者自身だ。 自分が田舎や海辺の別荘に引きこもりたい、 と思うときに、 自分に対して「それは無教養な態度だ」 と言い聞かせる文。 言い聞かせている動詞は、 既に習得している人の説教ではない。 まだ「引きこもりたい」 と思っている自分に向けた、 訓練の動詞だ。

第 4 巻 3 はこのあと、 「自分の魂に引きこもる」 という具体的な動作の指示を続ける。 自分の判断 (ストア派の用語で hypolepsis、 「思いなし」) を、 自分の内側で点検し直す。 外部の出来事を変えることはできないが、 出来事に対する自分の判断は変えられる。 判断を変えれば、 出来事の意味も変わる。

これがアウレリウスが何度も繰り返す訓練の核だ。 「外部を変えるな、 自分の判断を変えろ」。 ストア派の伝統的な命題で、 アウレリウスより 100 年早いエピクテトス (奴隷出身のストア哲学者、 紀元 50-135 頃) が『要録』 で書いていた内容を、 アウレリウスは自分の言葉で書き直している。 アウレリウスは『要録』 を熱心に読んだと、 第 1 巻のリストに記録が残っている。

§3 第 2 巻 1 — 朝の儀礼

『自省録』 のなかで、 もっとも知られた一節が第 2 巻 1 だ。 朝の儀礼の指示として、 アウレリウスは自分に書く。

> 朝、 目覚めたら、 自分に言い聞かせよ — 今日は、 厄介な人、 恩知らずな人、 不遜な人、 信用できない人、 妬む人、 非社交的な人に会うことになる、 と。 彼らがそうなのは、 善悪を知らないからだ。 だが私は、 善の本質も悪の本質も理解した。 善とは何が美しいかを知ること、 悪とは何が醜いかを知ること。

朝起きた直後の、 一日の予告。 厄介な人に会うことを、 朝のうちに自分に予告しておく。 予告しておけば、 実際に会ったときの動揺は小さくて済む。 動揺が小さければ、 怒りも小さい。 怒りが小さければ、 相手の態度を、 ただの事実として受け取れる。

訓練の動詞として読むと、 これは予防接種に近い動きだ。 一日が始まる前に、 起こりうる事態を頭の中で先取りする。 先取りしてもなお、 実際に起きたときには、 アウレリウスは怒るかもしれない。 だが、 怒っている自分を「予告していたじゃないか」 と思い出す材料はある。

第 2 巻 1 はさらに続く。 「彼らがそうなのは、 善悪を知らないからだ」。 厄介な人を「悪い人」 として裁くのではなく、 「知らない人」 として位置付ける。 知らない人に対しては、 教えるか、 教えられないなら自分が悪いと思う。 第 5 巻 25 にも近い動詞が並ぶ。 「他者が間違っているなら、 友好的に教えてやれ。 教えられないなら、 自分のせいだ」。

アウレリウスがこの動詞を毎朝自分に書きつけていたとして、 実際に毎朝それを生きられていたかは、 別の問題だ。 おそらくできていなかった。 できていなかったから、 同じ動詞が 12 巻のあちこちで何度も繰り返される。 書きつけは反復によって訓練される、 という形式が、 本全体の構造として現れている。

§4 「現在の一瞬」 — 第 2 巻 14 / 第 4 巻 26 / 第 4 巻 36

時間の扱いについて、 アウレリウスは何度か書く。

第 2 巻 14: 「人は生きていない時間を失うことはできない。 我々が持っているのは現在の一瞬だけだ」。

第 4 巻 26: 「未来を見るな、 過去を悔いるな、 今この瞬間だけを生きよ」。

第 4 巻 36: 「全ては変化する。 君自身も絶え間ない変化のなかにある」。

第 4 巻 43: 「時間は流れる川のようなもの、 強烈な激流。 何かが現れた瞬間に過ぎ去り、 別のものが取って代わる」。

セネカ (紀元前 4-紀元後 65) が『生の短さについて』 で過去・現在・未来 の三分割を立てて、 過去を確保せよと書いたのに対して、 アウレリウスは時間を現在の一瞬に圧縮する。 過去も未来も、 失うことができない (持っていないものは失えない)。 持っているのは現在だけだ、 と。

第 4 巻 43 の「流れる川」 のイメージは、 ストア派より前の哲学者ヘラクレイトス (紀元前 5 世紀) の「万物は流転する (パンタ・レイ)」 と通じる。 アウレリウスはストア派の哲人皇帝として、 自分より 500 年早いヘラクレイトスの命題を、 戦場の天幕で書き直している。 同じ川の比喩が、 5 世紀の隔たりを越えて反復される。

「現在の一瞬」 を訓練の対象にすると、 未来への不安と過去への悔恨が、 訓練の外側に出る。 残るのは、 今、 自分が何を判断し、 何をするか、 だけだ。 ストア派の倫理の中心は、 ここに置かれる。

§5 View from Above — 第 7 巻 48

第 7 巻 48 で、 アウレリウスは別の訓練を書く。 ピエール・アドが「上方からの眺望 (View from Above)」 として注目した一節だ。

> 君の魂を上空に飛ばし、 人間の営みを見下ろせ。 結婚、 戦争、 葬式、 取引、 子供、 病、 旅 — すべてが宇宙の小さな点として見える。

戦場の天幕にいる皇帝が、 自分の魂を上空に飛ばす。 上空から、 戦争を見下ろす。 自分が今指揮している戦争を、 上空から見ると、 宇宙の小さな点になる。 第 12 巻 24 でも近い動詞が並ぶ。 「現在の瞬間を、 永遠と無限の前に置け」。

スケールを変える訓練だ。 自分の悩み、 戦争の損失、 政治の駆け引きを、 永遠と無限のスケールで見直す。 見直したとき、 「絶対に許せない」「絶対に放棄できない」 と思っていたことが、 別の重さに見える。 重さが変われば、 動詞も変わる。 怒りを保留する余地が、 上空からの眺望のなかに生まれる。

ストア派の宇宙論 (logos = 理性によって秩序づけられた宇宙) と接続する訓練でもある。 宇宙全体が理性的に動いている、 という前提に立てば、 個別の出来事も宇宙全体の動きの一部として位置付け直せる。 位置付け直したとき、 一つひとつの出来事は、 さっきまでより小さく見える。

§6 第 7 巻 14 — 「外部が傷つけない、 君の判断が傷つける」

第 7 巻 14 で、 アウレリウスは別の動詞を書く。

> 外部から君を傷つけることは何もない。 君を傷つけるのは、 君自身の判断 (hypolepsis) だ。

ストア派の中心命題のひとつだ。 同じ命題を、 エピクテトスは『要録』 第 5 章で書いている。 「我々を悩ますのは事柄そのものではなく、 事柄についての我々の判断だ」。 アウレリウスは、 100 年早いエピクテトスの命題を、 自分の言葉で書き直す。

「判断 (hypolepsis)」 は、 ストア派の専門用語だ。 「思いなし」「想定」「仮定」 と訳される。 外部の出来事に対して、 我々が即座にする評価。 「これは私に対する侮辱だ」「これは私の損失だ」「これは耐えられない事態だ」。 これらは出来事そのものではなく、 出来事に対する判断だ。

判断は変えられる。 「これは侮辱だ」 という判断を「これは侮辱ではない」 と書き換えることはできる。 書き換えれば、 侮辱されたという事実そのものが消える、 とストア派は教える。 (★ 第 4 巻 3 末尾の「『私はもう自分が傷ついたという判断を捨てた。 そうすれば傷つけられたという事実そのものが消える』」 という、 自分への引用の形式の一節がここに対応する。)

ストア派の倫理は「禁欲」 ではない、 と現代の研究者がしばしば指摘する。 ストア派が治療しようとするのは欲望そのものではなく、 欲望の根にある誤った判断だ。 「これは絶対に手に入れねばならない」 という判断を「これは手に入っても入らなくてもよい」 に書き換える。 書き換えた結果として、 欲望が薄れる。 薄れた欲望は、 振り回す力を失う。 これがストア派のアパテイア (情念に振り回されない状態) の意味だ。

禁欲主義者は欲望そのものを否定する。 ストア派は判断を書き換える。 二つは同じに見えて、 違う。 アウレリウスは皇帝として妻子を持ち、 戦争を指揮し、 大疫病に対応した。 禁欲の聖人ではない。 現役の皇帝が、 戦場で自分の判断を書き換える訓練を続けていた。

§7 公刊意図なし、 1400 年の隔たり

アウレリウスは、 180 年 3 月 17 日に死ぬ。 場所はウィンドボナ (現ウィーン) もしくはシルミウム (現セルビア)、 確定していない。 マルコマンニ戦争の前線だ。 享年 58。

死後、 帝位は息子のコンモドゥス (在位 180-192) が継ぐ。 コンモドゥスは父の哲学教育を継承できなかった。 後世「狂帝」「剣闘士皇帝」 として悪名を残す。 五賢帝の時代に確立されていた「養子継承」 の慣習を、 アウレリウスが「実子継承」 に戻した結果として、 帝国の安定が崩れた、 という歴史的評価がある。

『自省録』 の写本がどこでどう発見されたかは、 確定的な記録が残らない。 ビザンツ帝国の写本伝統のなかで残り、 14 世紀の完全写本 (ヴァチカン図書館所蔵) が現在の底本になっている。 1559 年、 ハイデルベルクのクシュランダーが初版を印刷する。 アウレリウスが書いた時点から、 印刷本になるまで、 約 1400 年。 印刷本になってからも、 ヨーロッパで広く読まれるようになるまでにさらに時間がかかった。 現代の読者の手に届くまでに、 写本伝承と初版印刷と訳書の連鎖が積み重なっている。

公刊を意図しなかった本の伝承の途中で、 何度も失われかけた可能性はある。 戦地の天幕で書かれた断章を、 死後の誰かが束ねた。 束ねた人の名前は分からない。 第 1 巻 (自伝的謝辞集) を冒頭に置いた編集者の判断も、 アウレリウス本人のものではない可能性が高い。 12 巻の順序が著者の執筆順かどうかも、 確定できない。

ただ、 本は残った。 「お前は」 で自分に呼びかけた皇帝の動詞が、 2000 年後の読者の朝に届く。 届く構造が、 本の中身と無関係に、 本の外側に別の形で残っている。

§8 コンモドゥスと、 哲学教育の限界

『自省録』 で「他者の過ちに腹を立てるな」 と書いた相手のなかに、 アウレリウスが息子コンモドゥスを念頭に置いていた可能性はある。 確定的な証拠はないが、 ストア派の哲人皇帝が、 ストア派の教育を施した息子に、 哲学を継承させられなかった、 という歴史的事実は残る。

アドの観察として、 「ストア派の哲人皇帝も、 息子の教育には失敗した」 という指摘がある。 哲学教育が万能ではない、 という事実を、 アウレリウスの本人の生涯が証言している。 『自省録』 の動詞は、 父から息子に渡されなかった。 渡されなかった動詞が、 1400 年経って印刷され、 2000 年経って現代の読者に渡る。

訓練の動詞は、 渡す相手を選べない。 渡したい相手に渡らないことがある。 渡したくない相手に — 想像もしなかった時代の、 知らない言語の読者に — 渡ることもある。 アウレリウスが息子に伝えたかった動詞を、 2000 年遅れて読んでいるのが現代の我々だ、 という構造が、 この本の伝承の根にある。

§おわりに 2000 年前の天幕の書きつけと、 現代の朝

第 2 巻 1 をもう一度、 戦場の天幕の声として聞き直す。

> 朝、 目覚めたら、 自分に言い聞かせよ — 今日は、 厄介な人、 恩知らずな人、 不遜な人、 信用できない人、 妬む人、 非社交的な人に会うことになる。

170 年代のドナウ川流域、 アウレリウスがこれを書きつけた朝、 彼が会うことになっていた「厄介な人」 は誰だったか、 確定できない。 ローマ皇帝として、 戦場の天幕で、 部下の将軍、 部族の使者、 補給の役人、 ローマからの伝令、 そして自分の家族 (戦地に同行していた家族もいた)、 誰にでも会いうる。

「厄介な人」 を予告する朝の動詞は、 現代の読者にも届く。 2000 年経っても、 朝起きて、 仕事や家族や近所の誰かに会うことを予告する動詞は、 構造として同じだ。 予告して、 動揺の余地を狭めて、 怒りを保留する。 訓練の動詞は、 時代を超えて反復できる。

公刊を意図しなかった本が、 2000 年残っている。 著者は自分に書いていた。 読者は、 著者が書いた相手 (= 著者自身) と、 2000 年遅れて並んで立っている。 「お前は」 と呼びかけられているのは、 アウレリウスであり、 同時に、 朝起きてこの本を開く現代の読者だ。 二人称の動詞は、 主語を空けたまま、 読み手の方を待っている。

第 4 巻 3 の動詞が、 もう一度耳に残る。

> 君は、 いつでも、 自分自身の魂に引きこもることができる。

戦場の天幕で書きつけられたこの一文は、 戦場でも何でもない現代の朝にも、 同じように働く。 「自分の魂に引きこもれ」 という指示は、 前線で皇帝が自分に言い聞かせたのと同じ手順で、 朝起きた読者にもなぞれる。 訓練の動詞は、 書かれた場所を問わず、 読み手が同じ動作を試みた瞬間に動き出す。

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