イオ・ミン・ペイ(I.M. Pei)— ルーヴル・ピラミッドと滋賀 MIHO MUSEUM
はじめに
パリのルーヴル美術館。その中庭に立つと、石造りの宮殿にぐるりと囲まれた真ん中で、透明なガラスの四角錐が光を集めている。歴史そのもののような場所に、これほど現代的なものが据えられていて、それでもなぜか、古い建物と喧嘩をしていない。設計したのは、中国に生まれ、アメリカで大成した建築家、イオ・ミン・ペイ(貝聿銘)だ。
名前は知らなくても、あのピラミッドなら見たことがある——という人は多いだろう。ペイは生涯を通じて、三角形・円・ガラス・光という、ごく単純な幾何学だけを手に、世界じゅうの「歴史ある場所」へ現代を差し込み続けた。しかも古いものと衝突させるのではなく、透明な形で、そっと繋いでみせた。2019年、102歳でその生涯を閉じた。長く生きて、きれいに完結した仕事を、いま少したどってみる。

- 本名|貝聿銘(イオ・ミン・ペイ/Ieoh Ming Pei)
- 生没|1917年4月26日、中国・広州生/2019年5月16日、米ニューヨーク没・102歳
- 出自|蘇州の名家。庭園「獅子林」が一族ゆかり
- 学び|1935年に渡米、MITで建築(1940年卒)→ ハーバード大学院でヴァルター・グロピウスに師事
- 事務所|1955年に自身の事務所を設立(のちPei Cobb Freed & Partners)
- 受賞|1983年、プリツカー賞(中華圏出身として初)
- 様式|モダニズム。幾何学とガラス・石・光の操作

幾何学という一貫した文法
イオ・ミン・ペイの建築は、ひとことで言えば「単純な形の組み合わせ」でできている。奇抜なうねりも、複雑な装飾もない。三角形、円、正方形、四角錐。子どもが積み木で覚えるような形を、大理石とガラスと光で組み上げていく。難しいことをしていないように見えて、その純度がとても高い。
幾何学
ペイが手放さなかったのは、この幾何学だった。ワシントンの美術館では鋭角の三角形で難しい敷地を解き、パリでは四角錐、香港では連続する三角形と、作品ごとに形は変わる。それでも「単純な形を、純度高く積む」という文法は、生涯ぶれなかった。同時代には、形をわざと崩したり断片化させたりする脱構築主義の建築家たちがいたが、ペイはその流れには乗らない。整った形の側に、最後まで立ち続けた人だった。
この文法は、若い日に身につけたものだ。1935年にアメリカへ渡ったペイは、MITで建築を学び、ハーバードの大学院では、近代建築の巨匠ヴァルター・グロピウスに師事した。装飾を削ぎ落とし、機能と形の純度を突きつめるモダニズムの教えを、まっすぐに受け継いでいる。卒業後は不動産開発の会社で実務を積み、1955年に自分の事務所を構えた。図面の上の理想だけでなく、実際に街に建てる現実を知っていたことが、のちに大きな計画をまとめ上げる力になった。
光の操作
もう一つ、ペイの建築に欠かせないのが光だ。ガラスの屋根や天窓から自然光を落とし、白い壁や磨いた石にそれを反射させる。硬い幾何学が、光を受けた瞬間にやわらかく見えてくる。ルーヴルのピラミッドがガラスでできているのも、地下に光を届けるためだった。形は理屈で、光はその理屈をあたためる装置——そう考えると、ペイの建物はわかりやすい。
代表作をたどる
中国に生まれ、アメリカで大成し、世界と日本に石とガラスを残したペイの仕事を、時代を追って見ていく。名を広く知らしめたのは、1979年にボストンに完成したジョン・F・ケネディ大統領図書館だった。故ケネディ大統領の夫人ジャクリーンが、多くの候補のなかからペイを指名したことでも知られる。白い壁とガラスの塔が海辺に立つこの一棟が、ペイの評価を決定づけた。
ナショナル・ギャラリー東館
1978年、ワシントンD.C.に完成した美術館。与えられた敷地が変形した台形で、ふつうなら建てにくい。ペイはそれを、二つの三角形に大胆に割ることで解いた。ピンク色のテネシー産大理石でできた鋭い角が、いまも建物の顔になっている。難しい条件を、幾何学で正面から解いてみせた一棟だ。
ルーヴル・ピラミッド

1989年、パリ。フランソワ・ミッテラン大統領が進めた「グラン・ルーヴル」計画のもとで、ナポレオン中庭にガラスの四角錐が据えられた。当初は「歴史的な宮殿にガラスなど」と、猛烈な反対を浴びる。ところが完成してみると、地下に光が落ち、来館者の動線が整い、透明な入口はやがてパリの象徴になった。反対の声を、幾何学の純度が時間をかけて受容へ変えていった——ペイの仕事を語るとき、最もよく引かれる一棟である。
中国銀行タワー

1990年、香港。上へ伸びる竹の節をモチーフに、連続する三角形が積み上がる超高層ビルを建てた。開業時にはアジアで最も高い建物だった。切り替わる三角形の面が光を受けて、見る角度によって表情を変える。ここでも幾何学は変わらない。三角形という単純な形を、都市のスケールまで引き上げてみせた。父祖の地である中国に、モダニズムの塔を残した仕事でもある。
MIHO MUSEUM

そして日本にも、ペイの代表作がある。1997年、滋賀県・信楽の山の中に開いたMIHO MUSEUMだ。着想のもとは、中国の詩人・陶淵明が描いた理想郷の物語「桃花源記」——漁師が桃の花の林を抜け、暗いトンネルの先に別世界を見つける、あの桃源郷である。来館者は駐車場から、山を貫くトンネルを歩き、吊り橋を渡って、ようやく本館にたどり着く。この道のりそのものが桃源郷の再現になっている。しかも自然保護区の景観を守るため、建物の約8割が地下に埋められている。世界に幾何学を刻んだ人が、日本では山の奥に、光の落ちる桃源郷を用意した。
イスラム美術館

2008年、カタール・ドーハ。90歳前後のペイが手がけた晩年の主要作である。海に浮かぶ人工島の上に、淡い色の石を積んだ幾何学的なかたまりが立つ。イスラム建築を各地に訪ね歩いた末に、光と影が織りなす単純な立体へとたどり着いた。若い日から変わらない幾何学の文法が、最後の大作までまっすぐ貫かれている。
おわりに
イオ・ミン・ペイの建築は、どれも単純な形でできている。三角形、四角錐、円。積み木のような形を、大理石とガラスと光で高い純度まで磨き上げ、パリの宮殿にも、香港の空にも、滋賀の山にも据えた。歴史ある場所に現代を差し込むとき、ペイはそれを衝突ではなく、透明さで繋いだ。奇抜さで驚かせるのではなく、単純な形の純度で説得する。だからこそ、ルーヴルの反対の声さえ、時間をかけて受容へと変えてみせた。最初は異物に見えたものが、いつのまにか、その場所になくてはならない一部になっている。
1983年にプリツカー賞を受けたとき、ペイは賞金を、アジアから建築を学びに来る学生たちのための奨学基金にあてたという。中国に生まれ、アメリカで大成し、世界に石とガラスを残した人が、次の世代へ道を残した。その一つが、いまも滋賀の山中にある。トンネルを抜け、吊り橋を渡った先で、ガラスの屋根から光が落ちてくる。桃の花の林の向こうに開ける、あの桃源郷のように。
