G-0C41NE8DJB 隈研吾とは — 風景の中に建築を忍び込ませる|亀吉の呟き
亀吉の書評

隈研吾とは — 風景の中に建築を忍び込ませる

隈研吾
yoshiomi

はじめに

国立競技場の、木を並べた軒を写真で見たことがある人は多い。杉の細い材を縦の格子に組んで、建物の外周をぐるりと庇のように覆っている。2020年の東京オリンピックにあわせて建てられたこのスタジアムを設計したのが、隈研吾である。

隈研吾は、1954年に神奈川県横浜市で生まれた建築家だ。東京大学で建築を学び、木や石、和紙といった自然素材を使った建物で知られる。コンクリートや鉄で強く自己主張する建築ではなく、素材を場所になじませ、建物を風景のなかに退かせる。その考え方を、隈は負ける建築と呼んだ。

この人が建築家を志したのは、1964年の東京オリンピックだった。小学生だった隈研吾は、丹下健三が設計した国立代々木競技場に通う。五輪が終わったあとも、第一体育館のプールに足を運んだ。高い天井の窓から、光が水面に落ちてくる。その光景に心を奪われて、建築家になろうと決めた。それから56年後、同じ五輪の競技場を、今度は自分が木でつくることになる。

コンクリートで時代を刻んだ建築家たちのあとに、隈研吾は木と自然素材を選んだ。負ける建築とは、どういう建築なのか。隈の歩みと代表作から、その考え方をたどってみたい。

建築家隈研吾(くま・けんご)の肖像イラスト
  • 本名|隈研吾(くま・けんご)
  • 生没|1954年8月8日、神奈川県横浜市生(存命)
  • 出自|神奈川県横浜市港北区大倉山に育つ
  • 学び|1979年、東京大学大学院建築学専攻を修了
  • 事務所|1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立
  • 受賞|2010年、毎日芸術賞(根津美術館)ほか
  • 様式|「負ける建築」。木・自然素材で場所になじませる

隈研吾の一貫した文法

隈研吾は、はじめから木の建築家だったわけではない。1990年に事務所を構えた隈が東京で最初に注目されたのは、1991年に世田谷区へ建てたM2ビルだった。中央に古代ギリシャ神殿のような巨大な円柱を据えた、過剰なほど装飾的な建築である。ところがバブルがはじけると、この派手な建物は強い批判にさらされ、隈のもとに東京の仕事はほとんど来なくなった。それから10年あまり、隈は地方の小さな仕事を回ることになる。

その地方で、隈研吾は素材と職人に出会い直した。地元の木を組み、土地の職人の手を借りて建てる。大きな都市で目立とうとした建築とは、正反対の仕事だった。独学から出発した安藤忠雄や、正統のエリートの道を歩いた丹下健三とは違い、隈研吾は一度大きくつまずいてから自分の建築を見つけていく。この回り道のなかで、隈は「勝つ建築」から「負ける建築」へと向きを変えた。その転回のあとに残った、隈研吾の建築を支える柱を、いくつかに分けて見ていきたい。

負ける建築

隈研吾の建築の根にあるのが、これである。2004年に『負ける建築』という本を書いている。コンクリートや鉄で周りから際立ち、強く自分を主張する建築を「勝つ建築」と呼ぶなら、隈が目指したのはその逆だった。環境に溶け込み、場所に合わせ、目立たない建築。建物が風景に「負ける」ことを、隈はよいことだと考えた。

粒への分解

負けるために、隈研吾がくり返し用いる方法が、大きな塊を小さな粒に分けることだ。壁や屋根を一枚の面として立てるのではなく、木や石を細い格子やルーバーにして、無数の線の集まりにする。

那珂川町馬頭広重美術館の杉のルーバーも、国立競技場の木の軒庇も、同じ考えから来ている。塊を粒にほどくと、建物の輪郭がやわらぎ、光や風が通り抜けて、周りとの境目が薄くなっていく。

自然素材と場所

隈研吾が選ぶのは、木・石・和紙・土といった、その土地にある自然の素材だ。地方の仕事で職人と組むうちに、隈は素材そのものと、それが採れる場所に向き合うようになった。同じ設計でも、使う木や石は土地ごとに変える。建物を、その場所からしか生まれないものにしようとする。

丹下を継ぎ、逆を向く

隈研吾の原点には、丹下健三がいる。1964年、代々木競技場の光が、隈を建築家にした。丹下がコンクリートで大きな空間を架け、時代を記念碑に刻んだ人だとすれば、隈はそのあとの世代にあたる。

ただし、隈研吾は師の世代と同じ方向へは進まなかった。丹下が建築で時代を刻んで残そうとしたのに対し、隈は建築を風景になじませ、退かせようとした。コンクリートの記念碑に、木の格子で応える。受け継ぎながら、丹下とは逆の方へ向かう。それが、2020年の国立競技場だった。

代表作をたどる

地方の木の仕事から、隈研吾の建築は少しずつかたちを変えていった。素材を小さな単位に分けて、場所になじませる。その歩みを、時系列でたどる。

那珂川町馬頭広重美術館
那珂川町馬頭広重美術館の外観。地元産の杉ルーバーが庇と壁を覆う
那珂川町馬頭広重美術館。地元産の杉を細く割いたルーバーが全体を覆う。パブリックドメイン (CC0) / Wikimedia Commons
  • 竣工|2000年
  • 所在地|栃木県那須郡那珂川町

浮世絵師・歌川広重の作品を収めた美術館だ。屋根から壁まで、地元でとれる八溝杉を細い格子にして、建物全体を包んでいる。格子は「ルーバー」と呼ばれる。広重が描いた雨の細い線を、木の格子に移し替えたようにも見える。

大きな一枚の壁に見せるのではなく、細い木を無数に並べて、光と影が縞になって落ちてくる。大きな塊を小さな粒に分けるという、隈研吾のやり方が早い時期にはっきりと出た建物である。

根津美術館
根津美術館のエントランス。深い庇と竹の並ぶアプローチ
根津美術館のアプローチ。深い庇と竹が来館者を迎える。撮影: Wpcpey / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
  • 竣工|2009年
  • 所在地|東京都港区南青山

古美術のコレクションで知られる美術館を、隈研吾が建て替えた。大きな日本瓦の屋根を低くのばし、入口までの通り道に竹を並べている。表参道の街なかにありながら、門をくぐると庭の緑に包まれる。

建物そのものを主役にせず、庭と一体にして、訪れた人が自然に奥へ誘われていく。都会の真ん中に、街から一歩退いた静けさをつくった仕事だ。

国立競技場
国立競技場の外観。各層の庇に木を用いた「杜のスタジアム」
国立競技場。各層の軒庇に木を用いた「杜のスタジアム」。パブリックドメイン (CC0) / Wikimedia Commons
  • 竣工|2019年
  • 所在地|東京都(新宿区・渋谷区)

2020年の東京オリンピックのメインスタジアムだ。外周をぐるりと囲む軒庇に、杉などの木を縦の格子にして並べている。使われた木材は47都道府県から集められ、それぞれの方角に合わせて配置された。緑に囲まれたその姿から「杜のスタジアム」とも呼ばれる。

大きな競技場を、木の細い線の集まりで覆う。ここでも隈研吾は、巨大な建物を小さな粒に分けて、まわりの緑になじませようとした。1964年に光に心を奪われたあの五輪と、同じ東京の舞台に、隈は木の建築で応えたことになる。

おわりに

コンクリートで時代を刻む建築があり、打ち放しを削って光を通す建築がある。隈研吾が選んだのは、木と自然素材で建物を場所に還し、風景のなかへ退いていく建築だった。目立つことではなく、なじむこと。残すことではなく、負けること。

国立競技場の木の軒は、季節がめぐるたびに表情を変え、外苑の緑と溶け合っていく。強く自分を主張して立つのではなく、風景の一部になって、そこにあることをいつか忘れられていく。隈研吾が「負ける」と呼んだのは、そういう建築だった。目立つことをあきらめた分だけ、その建物は場所となじみ、長くその土地のものになっていく。

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こんにちは。亀吉です。 仕事の合間にブログを書いています。 このブログは、どこまでも個人的で恣意的な思想の表明です。思うままに・・・ 映画と本が好きです。その他音楽や登山など。
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