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G-0C41NE8DJB 『若き詩人への手紙』リルケ — 問いを、生きる|亀吉の呟き
亀吉の書評

『若き詩人への手紙』リルケ — 問いを、生きる

『若き詩人への手紙』リルケ — 問いを、生きる
yoshiomi
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はじめに

進路や才能をめぐって「誰かに決めてほしい」と願う夜は、いつの年代のどこの国にも存在する。就職か、進学か、この道に才能があるのか、人と比べて遅れていないか。そういう問いは、たいてい即答をほしがる。答えさえ手に入れば、迷いから解放されると思えるからだ。ところが、本日紹介する1冊、ライナー・マリア・リルケの『若き詩人への手紙』は明確な答えを差し出さない。

これは、有名な詩人が若者の悩みに名回答を返した人生相談集ではない。むしろ逆で、リルケは相談されたその場で、まず答えを渡すことを断る。「誰も助言することはできない、誰にも」と書く。助言を求められた手紙のなかで、助言を拒む。その断りから始まる十通の手紙が、なぜ世代を越えて読み継がれてきたのか。

リルケの十通は、答えをほしがる相手に、あえて答えを渡さない。悩みの処方箋を期待して読むと、拍子抜けするだろう。すぐに使える一言は、どこにも書かれていない。けれどもリルケが向き合っていたのは、その場しのぎではなく、迷いの根のほうだった。即席の答えは、その場をしのがせても、根までは届かない。渡すべきなのは正解ではなく、迷いと一緒に立っていられる時間だ——リルケはそう考えていた。

批評を辞退した手紙

ことのはじまりは、詩人になるか軍人になるかで迷う十九歳の青年からの一通の手紙だった。名前をフランツ・クサーヴァー・カプスという。ウィーナー・ノイシュタットの陸軍士官学校の候補生で、自作の詩を同封して、これに価値があるか、詩人としてやっていけるか、と問うた。当時のリルケはまだ二十代の若い詩人だったが、この見知らぬ青年に、丁寧な返事を書く。

第一の手紙、パリ発、1903年の冬。リルケはまず、送られてきた詩を批評することを辞退する。良いとも悪いとも言わない。批評の言葉ほど、芸術作品から遠いところで鳴るものはない、と書く。そのかわりに、問いの向きを変える。外の誰かに「これは良い詩か」と尋ねるのをやめて、自分の内側へ降りていけ、と促すのだ。誰も見ていない奥のほうで、こう自分へ問え。書くことを禁じられたら、生きていけないのか。その問いに、全身で「書かねばならぬ」と答えられるのなら、その必然にそって生を組み立てよ。答えは外から与えられるものではない。根のように、自分の内側から育ってくるものなのだ。

相談に来た青年がほしかったのは、外からの評価だった。詩に値打ちがあるという保証、詩人になっていいという許可。リルケは、その保証を与えない。与えないことが、かえって一番深い励ましになる。なぜなら、外の評価に支えられた才能は、外の評価が消えたとたんに崩れてしまうからだ。自分の必然にそって立つ人だけが、批評にも沈黙にも耐えて、書き続けることができる。答えを手渡さないことで、リルケは青年を、答えのいらない場所まで連れていこうとする。

リルケが青年に重ねて説いたことの一つに、皮肉との付き合い方がある。若い書き手は、うまくいかないもどかしさを、皮肉でくるんで守ろうとしがちだ。世界を一段低く見て、笑ってみせれば、傷つかずにすむ。だがリルケは、皮肉を主人にするな、と諭す。皮肉はときどき、道具として使えばいい。けれど、心の一番深いところで真剣なものに向き合うときには、それを手放したほうがいい。批評の言葉も、皮肉の身ぶりも、どちらも外側から作品や自分を眺める姿勢だ。リルケが青年に望んだのは、外から眺めることをやめて、自分の内側へ深く降りていくことだった。答えを断るという最初の一手は、そのための入口だった。

問いそのものを生きよ

この本で一番知られた一節は、第四の手紙にある。ヴォルプスヴェーデという北ドイツの村から、1903年の夏に送られた手紙だ。リルケはそこで、心のなかの未解決のものすべてに対して、忍耐づよくあってほしい、と書く。そして、問いそのものを愛するように努めよ、という。閉ざされたままの部屋のように、異国のことばで書かれた一冊の本のように。答えを今すぐ探してはいけない。なぜなら、その答えは、今のきみにはまだ生きられないからだ。大切なのは、すべてを生きること。だから、いまは問いのほうを生きよ。そうすれば、いつか遠い日に、知らないうちに、答えのなかへ入りこんでいるだろう。

この一節は、短い一行だけ切り出されて出回ることが多い。前後を落として「問いを生きよ」とだけ読むと、まるで前を向かせる格言のように見える。だが、もとの向きは反対だ。これは「答えを急ぐな」という勧めであり、「今すぐ解決したいというその焦りを、いったん手放せ」という戒めに近い。答えを与えてくれる言葉ではなく、答えを待てる人間に変えてくれる言葉なのだ。焦りのなかでは、どんな答えも借りものにしかならない。問いを抱えたまま日々を生きるうちに、答えは外から届くものではない。その人の生のかたちとして、内側から育っていく。リルケが約束するのは、正解ではない。問いと一緒に暮らしていける、その持ちこたえの力のほうだ。

なぜ、答えを急いではいけないのか。若いうちに手に入れた答えは、その人がまだ生きていない未来から、無理に借りてきたものだからだ。十九歳の問いに、四十歳の答えを当てはめても、その答えを生きるだけの四十年ぶんの時間が、まだその人のなかにない。だから答えは、頭では理解できても、体では生きられない。宙に浮いたまま、迷いを覆い隠すだけになる。リルケが忍耐と呼んだのは、この時間差に耐えることだった。問いを抱えたまま日々を過ごし、少しずつ自分を作り変えていく。そうしてある日ふと、かつての問いが、もう問いではなくなっていることに気づく。答えを見つけたというより、答えのいる場所まで、その人自身が育っていたのだ。

孤独をこわがらない

十通の手紙を貫く主題の一つが、孤独である。リルケは孤独を、欠陥とも罰とも見なかった。むしろ孤独こそが、人が育っていくための条件だと考える。1903年の暮れの手紙では、孤独はそれ自体が一つの仕事であり、身分であり、生き方なのだ、というようなことを書いている。人は、広い孤独のなかでこそ、内側で時間をかけて熟していける。誰かにそばにいてもらって不安をまぎらわすのは、いっときの慰めにはなる。だが、それでは自分の未解決のものと向き合わずにすんでしまう。

不安や悲しみについても、リルケの見方は独特だ。それらを、追い払うべき敵とは考えない。悲しみとは、何か新しいものが自分のなかへ入ってきて、まだ名前を持たないまま奥で育っている、その気配なのだという。だから性急に元気になろうとせず、悲しみが内側で熟すのを、時間をかけて待てばいい。愛についても同じことが言える。リルケにとって愛とは、たがいの孤独を溶かし合って一つになることではなく、たがいの孤独を守り、育て合う、難しい仕事だった。二人であることが、二つの孤独を消してよい理由にはならない。

孤独をこわがる心の裏には、たいてい、比べる目がある。同じ年ごろの誰かが、もう認められている、先へ進んでいる。その比較が、一人でいる時間を、遅れの証拠のように感じさせる。リルケは、その比較の物差しごと外させようとする。人が育つ速さは、木が育つ速さのように、それぞれの内側の季節に従う。春を急がせても、実は早くはならない。だから、まだ答えの出ない自分を、遅れていると責めなくていい。孤独のなかで、誰にも見えないところで進んでいる成熟がある。それを信じて待てる人だけが、他人の速さに振りまわされずにいられる。孤独は、そのための場所なのだ。

片側だけの手紙

この本のかたちには、一つ変わったところがある。往復書簡でありながら、片側しか残っていないのだ。青年カプスがリルケへ送った手紙、つまり問いのほうは、この本には収められていない。残っているのは、リルケの返信、十通だけ。だから読者は、消えてしまった問いを想像で補いながら、答えのようで答えでない言葉のほうだけを読んでいくことになる。

このかたちが、そのまま本の性格になっている。これは答えの書ではなく、応答の書なのだ。問いに正解を返すかわりに、問いに向き合う姿勢そのものを差し出す。青年の問いが見えないぶん、読者は自分の問いをそこへ重ねて読むことができる。進路のことでも、才能のことでも、人と比べる不安のことでも、手紙の余白は、それを持ちこんだ人のかたちに合わせて開いてくれる。百年前の青年に宛てて書かれた言葉が、今の読者の問いにも応えるように読めるのは、答えではなく応答だったからだ。答えは特定の相手にしか合わないが、応答は、問いを持つ人の誰にでも届く。

読者が想像で補うのは、青年の問いだけではない。青年のその後の人生も、手紙のなかには書かれていない。リルケは目の前の一人へ宛てて書いているのに、その言葉はいつのまにか、宛先の枠を越えていく。特定の誰かへの返事が、名前を持たない多くの人への応答に変わる。書簡集というかたちは、普通私的なものだ。他人あての手紙をのぞき見るような、後ろめたさがつきまとう。だがこの本には、それがほとんどない。問いの主が消え、答えだけが残っているために、そこに書かれた言葉は、最初から読者一人ひとりへ宛てられていたようにも読めてくる。

いま読まれている理由

なぜ今、この古い書簡集をひらくのか。検索すればどんなことにも即答が返り、SNSには他人の正解があふれている。進路も、生き方も、うまくやるための方法が、いくらでも並べられて売られている。それでも、答えを探してさまよう時間の本当の苦しさは、答えがないことにあるのではない。答えをもらっても、それを自分では生きられない、というところにある。借りてきた答えは、自分の迷いのかたちには合わない。合わない答えを握りしめて、かえって身動きが取れなくなる。

リルケの手紙は、その逆の方向から届く。すぐに使える正解を渡すかわりに、問いを持ちこたえる時間を、読む人に返してくれる。焦らなくていい、答えは待っていい、孤独はこわがらなくていい。手紙はそう語りかけてくる。それは即効の慰めではないから、読んですぐに迷いが晴れるわけではない。だが、迷ったままでいることが許されると、人の呼吸は少しゆるむ。この本が古びないのは、便利さで人を急かすこの時代に、急がなくていいと言い続ける数少ない声だからだ。

即答があふれる時代に足りないのは、情報よりも、待つ力のほうだ。分からないことは、その場で調べれば、答えらしきものがすぐ返ってくる。返ってくる速さに慣れるほど、答えの出ない状態そのものに耐えられなくなる。進路が決まらない、才能があるのか分からない、この関係がどこへ向かうのか見えない。そういう宙づりの時間を、失敗や停滞のように感じて、早く終わらせたくなる。リルケの手紙は、その宙づりを、成熟の途中として引き受け直させてくれる。答えが出ないのは、まだ育っている最中だからだ。この読み替えができると、迷いはもう敵ではなくなる。

おわりに

カプスはその後、迷いを抱えたまま軍人の道を選んだ。十五年ものあいだ士官を務め、リルケの手紙は、結局、彼の進路を一つに決めることはなかった。決めさせないことこそが、この手紙の一貫した姿勢だったのだから。リルケが世を去って三年後、1929年に、カプスは古い手紙を集めて一冊に編み、世に送り出す。ライナー・マリア・リルケは1875年に生まれ、1926年に世を去った詩人で、彼自身、最後まで迷いを知らない賢者だったわけではない。だからこの本は、完成した人の教えではなく、迷う者から迷う者への応答として読める。

手紙を編んだのは、答えを求めたカプスのほうだった。若い日に受け取った十通を、彼は長いあいだ手放さずにいた。そして年を重ねてから、これを自分ひとりのものにしておくには惜しい、と考える。私信を世に出すのは、ためらいのいる決断だったはずだ。それでも彼は、自分の進路をまっすぐには導かなかったその手紙が、同じように迷う誰かの支えになると信じた。答えを与えられなかったという経験そのものを、次の世代へ手渡そうとしたのだ。導かれなかった青年が、導かない手紙を、これから迷う人のために残す。この受け渡しのかたちが、本の主題をそのままなぞっている。

答えを渡さなかった十通は、こうして本になり、見知らぬ読者のもとへ届いていった。第一の手紙が1903年、最後の手紙が1908年。数年の沈黙をはさんで交わされたその往復は、問いを解いてしまわないまま閉じる。答えのほしい夜にこの本をひらいた人は、やはり答えをもらえない。もらえないのに、なぜか少し息がしやすくなる。問いを抱えたまま立っていていい、と誰かに許された気がするからだ。答えをもらえなかったはずなのに、手のなかには何かが残っている。正解というより、正解がなくても歩いていける、というかすかな確信のようなものだ。問いは消えずに残るが、問いにおびえる気持ちのほうは、少しだけ小さくなっている。その小ささを持って、人はまた、自分の問いのなかへ帰っていく。夜は、まだ明けていないかもしれない。それでも、我々は少しずつ近づいている。夜が明けるまで問いと一緒にいられる自分自身に。

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こんにちは。亀吉です。 仕事の合間にブログを書いています。 このブログは、どこまでも個人的で恣意的な思想の表明です。思うままに・・・ 映画と本が好きです。その他音楽や登山など。
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