武士道は、外国人に向けて英語で書かれた——新渡戸稲造『武士道』を読む
五千円札に、新渡戸稲造の顔があった。そう記憶している人は少なくない。けれど、その人が何を書いたのかと問われると、言葉に詰まる。『武士道』という本の名前だけは、なんとなく耳に残っている。刀。忠義。切腹。背筋の伸びる、少し古い言葉が並ぶ——そんな印象を持ったまま、開かずにいる本でもある。
実際に開くと、最初の数ページで、その印象が一度ほどける。この本は、日本人に向けて書かれていない。英語で、外国人に向けて書かれている。原題は “Bushido: The Soul of Japan”。新渡戸が、療養のため滞在していたアメリカ・カリフォルニアの地で、英語で書き上げた一冊だった。刊行は一八九九年から一九〇〇年ごろ、アメリカでのこと。日本語版は、ずっとあとになってから訳されている。
つまり『武士道』は、日本人が自分たちの内輪で読むための道徳の教科書ではなかった。外国人に「これがわたしたちの道徳の土台です」と差し出すために書かれた、説明の書だった。この成り立ちが、本の性格をすべて決めている。読み始める前に、まずそこを押さえておきたい。
「宗教がないのに、どうやって道徳を教えるのか」
きっかけは、一つの問いだったと、新渡戸は序文で振り返っている。
ベルギーの法学者ド・ラヴレーの家に滞在していたとき、話が宗教のことに及んだ。日本の学校には宗教教育がない、と新渡戸が言うと、相手は驚いて問い返した。「宗教がないとおっしゃるのか。では、あなたがたは、どうやって子どもに道徳を教えるのか」。
新渡戸は、すぐに答えられなかった。
もう一つ、家の中にも問いがあった。妻のメアリーはアメリカ人で、日本人である夫の考え方や習慣について、「どうして日本人はこう考えるのか」と繰り返したずねた。当たり前すぎて、自分では一度も言葉にしたことのなかったことを、外から問われる。問われてはじめて、自分が何の上に立っているのかを、探さなければならなくなる。
新渡戸は、自分の中を探した。教会も、聖書も、日曜学校もない。それでも自分は、嘘をつくな、恥ずかしいことをするな、と幼い頃から繰り返し教えられてきた。その教えはどこから来たのか。たどっていくと、武士の家に伝わってきた道徳——武士道に行き着いた。学校が教えなくても、それは家の空気として、しつけの言葉として、すでに自分の中に入っていた。
だから『武士道』という本は、最初から翻訳の作業だった。日本人にとって空気のように当たり前で、誰も改めて言葉にしなかったものを、外国語で、外の人に分かるように訳す。新渡戸は、自分自身を一度、外から眺めることになった。本書が全十七章をかけて武士道を「道徳の体系」として組み立てているのも、外の人に通じる形に整理しようとした結果だろう。源流をたどり、徳を一つずつ立て、最後にその行方を問う。その構成自体が、説明のための設計になっている。
おもしろいのは、この本がしばらくのあいだ、日本語では読めなかったことだ。日本人の魂について書かれた本が、まず英語で世に出て、日本の読者がそれを手にするのは、翻訳が出てからになる。自分たちのことを、いったん外国語を経由して受け取り直す。そういう順序で、この本は日本に帰ってきた。
この「外から眺める」という姿勢は、新渡戸という人をよく表している。盛岡に生まれ、札幌農学校で学んだ。同期には、のちに無教会キリスト教を唱える内村鑑三がいる。新渡戸自身も、キリスト教の一派であるクエーカーの会員になった。「われ太平洋の橋とならん」——日本と欧米のあいだの橋になりたい、という有名な言葉を残し、教育者として第一高等学校の校長や東京女子大学の初代学長を務め、後年には国際連盟の事務次長にもなった。日本の内側にいながら、いつも外の視線を自分に重ねていた人だった。『武士道』は、その橋の上で書かれた本だと言っていい。
義と、恥を知るということ
本書は、武士道を支える徳を一つずつ章立てて説明していく。義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義。ここでそのすべてを並べ直しても、目録の写しにしかならない。代わりに、今の自分たちにも手触りの残るところ——義と、名誉から入りたい。
本書には、切腹や仇討ちを論じる章も、刀を武士の魂と呼ぶ章もある。女性のあり方を説く章は、今の目で読むと古さが際立つ。すぐにはうなずけないところも多い。だからこそ、時代を超えて手触りの残る徳に絞って読みたい。
義について、新渡戸は印象的な言い方をしている。義とは、打算を離れて、なすべきことを、ためらわずに決断する力だ、と。損か得かではなく、筋が通っているかどうかで決める。新渡戸はこれを武士道の骨格と呼んでいる。骨がなければ、どれだけ才能や学問があっても、人として立っていられない、と。義は、ほかのすべての徳を支える背骨にあたる。
義が決断の力なら、勇は、その決断を行いに移す力だと、新渡戸は続ける。正しいと分かっていることを、恐れずに行う。分かっていても動けないなら、それはまだ徳になっていない。義と勇は、判断と行動として、対になっている。
この「筋を通す」という感覚は、制度としての武士がいなくなった今も、どこかに残っている。約束を守る。見ていないところでも手を抜かない。得にならなくても、おかしいと思ったことには、おかしいと言う。うまく言葉にできないまま、私たちはそういうものを、どこかで「まっとうさ」と呼んでいる。新渡戸の言う義は、その「まっとうさ」のいちばん古い名前のようなものだ。
義の隣には、誠がある。武士に二言はない、という言葉がある。一度口にしたことは、証文がなくても守る。嘘をつかないということが、ここでは礼儀以前の、人としての土台に据えられている。義が行いの筋なら、誠は言葉の筋だ。二つは、同じ一本の線の上にある。
そして名誉。新渡戸はこれを、恥を知る心として説明する。恥ずかしいことをするな、という叱り方は、武家の子育ての中心にあった。人に笑われるぞ、面目を失うぞ、という言葉が、子どもの行動を内側から律していく。
恥という感情は、現代ではあまり評判がよくない。人の目を気にしすぎる、息苦しい、と。確かにそういう面はある。けれど新渡戸が見ていたのは、もう少し奥のことだ。恥を知るとは、自分の中に「こうありたい自分」の像を持ち、そこから外れたときに痛みを感じる、ということでもある。外からの罰ではなく、自分の中の基準で、自分を裁く。その基準を持っているかどうか。新渡戸が名誉と呼んだのは、そこだった。
たとえば、誰も見ていないのに、列に割り込まずにいるような場面。罰があるからではなく、割り込む自分が嫌だから、しない。そういう小さな引き返しの中に、新渡戸の言う名誉のかけらは、今も残っている。世間に向けた大げさな名誉ではなく、自分に対する小さな約束として。人の目に映る自分を気にすることと、自分の中の像に恥じないことは、紙一重で隣り合っている。新渡戸の書き方は、その境目のぎりぎりを歩いている。
強さと結んだ、やさしさ——仁
武士道というと、強さや厳しさの話に偏りがちになる。けれど新渡戸が一番ていねいに書いているのは、むしろ仁——他者への思いやりのほうだ。
仁とは、人の上に立つ者がそなえるべき、惻隠の心。弱い者、敗れた者、苦しんでいる者を見て、そのままにしておけない心の動きを言う。新渡戸は、本当の強さと本当のやさしさは、別々のものではないと考えていた。刀を持つ者が、その力をふるわずにいられること。勝てる相手に、あえて手を下さずにいられること。力を持っているからこそ、それを抑える側に意味が出る。新渡戸は、武士に学問が求められたのも、つまるところこの心を鈍らせないためだったと見ている。知識のための知識ではなく、人を思う心を曇らせないための学び。仁は、武士道の中で、知よりも高いところにあった。
強い者がやさしくあるのは、たやすくない。力を持てば、人はそれを使いたくなる。だからこそ、使わずにいられる強さを、新渡戸は徳のいちばん高いところに数えた。仁を欠いた強さは、ただの暴力に落ちる。勇気は、仁と結ばれてはじめて徳になり、仁から切り離されると残虐に変わる。だから武士道は、勇気のとなりに、必ず仁を据えた——新渡戸は、そう描いた。
礼儀についても、新渡戸は同じ筋で語る。礼とは、形式やマナーの話ではなく、相手を思いやる心が、形になって外に出たものだ、と。相手の悲しみを軽くするために、自分の喜びをひかえる。相手が気を遣わずにすむように、先回りして振る舞う。仁が心の中の動きなら、礼はそれが外に現れた姿だ。新渡戸の武士道では、強さ・やさしさ・ふるまいが、一本の線でつながっている。
「描いた」と書いたのには、理由がある。
これは、武士の実像なのか
『武士道』は、刊行されるとすぐに広く読まれ、いくつもの言語に訳された。一方で、日本の学者たちからは、早くから批判も向けられている。
歴史学者の津田左右吉や、日本研究で知られたチェンバレン、哲学者の井上哲次郎らは、新渡戸の描いた武士道は、実際の武士の歴史とはかなり違う、と指摘した。江戸時代までの武士は、もっと殺伐とした、現実的で打算的な面も多く持っていた。新渡戸は、その軍事的で荒々しい側面をそぎ落とし、西洋の騎士道やキリスト教の美徳に重なるように、武士道を磨き上げて見せている、と。津田にいたっては、史実を無視した、キリスト教徒の都合のいい解釈だ、とまで言っている。
もう一つ、今の目で読むと立ち止まる徳がある。忠義——主君への忠誠だ。新渡戸は、西洋の個人主義と対比しながら、自分より大きなものに尽くす心として忠義を描いた。けれどこの徳は、のちに国家への忠誠と結びつけられ、人を戦争へ動かす言葉としても使われていく。美しく描かれたものが、別の手に渡って、別の使われ方をする。理想化された自画像は、描いた本人の意図を離れて、ひとり歩きすることもある。
この批判は、おそらく当たっている。『武士道』は、江戸の武士の実像を記録した本ではない。明治の国際人である新渡戸が、外からの問いに答えるために、自分の中の道徳を、いちばん美しい形に整えて、外国語で差し出した本だ。言ってみれば、理想化された自画像であり、翻訳である。
新渡戸が武士道をそこまで美しく描いたのには、個人の好みを超えた事情もあった。当時の日本は、西洋から見れば、まだ対等な「文明国」として扱われていなかった。日本にも、宗教に頼らずに人を律してきた、確かな道徳の伝統がある——それを世界に示すことには、ひとりの著者の思い入れを超えた切実さがあった。美化の裏側には、認められたいという、少し痛々しい願いも透けている。
ただ、だからといって「価値がない」と切り捨てるのは、少し早い気がする。
人が自分のことを誰かに説明しようとするとき、それがありのままの記録になることは、まずない。どこを語り、どこを語らずにおくか。その取捨選択そのものに、その人が何を大事にしたかったかが、かえってはっきりと映る。新渡戸が、武士道から荒々しさをそぎ落とし、義と仁と名誉を中心に据えたこと。それは史実としては偏りでも、新渡戸という人間が、日本人の道徳のどこを誇りに思い、世界に向けて残したかったのか、という問いには、まっすぐ答えている。
実像とのずれは、欠点であると同時に、この本の正体でもある。記録として読めば、誤りが多い。けれど、一人の人間が自分の根を外国語で語ろうとした、その手つきの記録として読めば、これほど正直な本も少ない。どちらの読み方をするかで、同じ一冊が、まるで違う重さを持つ。
おわりに——散ったあとに残る香り
本の終わり近くで、新渡戸は一つの問いを立てている。武士道は、これからも生き続けるのか、と。
彼の答えは、半分は否定だった。明文化された規範として、武士という階級の掟として見るなら、武士道は近代化とともに消えていく。制度としては、もう終わった、と。けれど新渡戸は、もう半分をこう結ぶ。その精神——義や名誉や誠といったものは、桜の花が散ったあとにも、しばらく漂っている香りのように、日本人の中に残るだろう、と。
香りは、形を持たない。どこにあると指させない。咲いている花を見せることはできても、散ったあとの香りは、ただそこにいる人が、ふと気づくものだ。新渡戸が武士道に見ていたものは、最後にこの比喩に行き着く。制度ではなく、香り。証明できるものではなく、気づくもの。本を一冊書いて道徳を体系づけた人が、最後の最後に、体系ではなく香りという、いちばん頼りないものに賭けて筆を置いた。そのことが、長く残る。
百年以上前に、一人の日本人が、外国語で、外の人に向けて自分を説明しようとした。その手つきには、ぎこちなさも、美化も、無理もある。それでも、自分は何を大事にして生きてきたのかを、いったん立ち止まって言葉にしようとした人の体温が、ページのあいだに残っている。義とは何か、恥とは何か、やさしさとは何か——その問いは、刀を差さなくなった私たちのところにも、まだ届く。新渡戸は、それにすっきりした答えを出していない。定義で縛れば縛るほど、武士道はやせ細る。それを知っていた人が、最後に選んだのは、散ったあとの桜の香りという言葉だった。咲いている花ではなく、散ったあとの。美しく整えられた自画像の、最後のその一語だけは、美化のしようがなかった。
