『国宝』 (後編) ―景色、 人間国宝になることの代償
前編では、 1964 年の冬から 1986 年頃までの、 喜久雄と俊介の出会いと別れを辿った。 半二郎の死、 喜久雄の襲名、 俊介の出奔、 春江の選択、 そして喜久雄の花井家退去——二人は別々の方向に落ちていく。
後編で辿るのは、 別々に落ちた二人が、 別々の経路で歌舞伎の世界に戻ったあとの時間だ。 そして、 喜久雄が三代目花井半二郎として、 やがて国家の称号を授かるまでの数十年。 ラストで喜久雄が舞う『鷺娘』 の紙吹雪が、 15 歳の冬の父の死の景色とどう重なっていたかを、 観察したい。
1. 俊介の歌舞伎界復帰——花井半弥として、 万菊の後ろ盾
ストリップ小屋でドサ回りをしていた俊介を、 ある人物が見出す。 老女形の小野川万菊 (田中泯)。 上方歌舞伎の長老で、 「血」 ではなく「芸」 の系譜を体現する人物として、 物語の中盤以降に重要な位置を占めるようになる。
万菊は俊介を引き受け、 歌舞伎界への復帰の道を作る。 俊介は「花井半弥」 という新しい名を得て、 舞台に立ち始める。 父・半二郎の名を継ぐことはなく、 別の名を与えられての復帰。 だが、 花井家の血を継ぐ俊介が、 万菊という別の系譜の後ろ盾で復帰したという事実は、 物語の構造の中で重い意味を持つ。
「血ではなく芸」 という万菊の系譜に、 俊介もまた連なっていく。 父・半二郎が「お前を選んだのは血ではなく芸だ」 と喜久雄に告げて死んだ意味が、 俊介が万菊に引き受けられる場面で、 別の形でもう一度立ち上がる。
横浜流星の演じる花井半弥は、 ストリップ小屋を回っていた時間を、 体の中に抱えたまま舞台に立つ。 動作はかつての花井家の俊介と同じではない。 落ちた時間が、 復帰した俊介の身体に堆積している。
2. 二つの家庭——春江と一豊、 藤駒と綾乃
俊介の復帰と並行して、 春江と俊介と一豊の家庭が、 静かに進んでいく。 春江は喜久雄のプロポーズを断り、 俊介を選んで結婚し、 息子を産み育てた女性だ。 高畑充希の演じる春江の表情には、 自分の選択を後悔しない静かさと、 喜久雄を遠くから気にかけ続ける視線が、 同時にある。
一方、 喜久雄は花井家を出たあとの時間を、 京都の芸妓・藤駒 (見上愛) と過ごす。 二人の間に綾乃 (瀧内公美) が生まれる。 ただし、 喜久雄が藤駒や綾乃と一緒に暮らす時間は、 安定した家庭の形を持たない。 喜久雄は舞台に戻り始め、 三代目花井半二郎の名跡を抱えたまま、 仕事の場所と家庭の場所のあいだを行き来する。
綾乃の幼少期について、 物語は多くを語らない。 ただ、 後に綾乃が「お父さんは悪魔と取引した」 という言葉を、 母 (藤駒) から聞かされた、 という台詞だけが残される。 切り捨てられた家族の側からの言葉として、 「悪魔と取引した」 という表現が物語の中に置かれる。 喜久雄が芸を選んだことが、 家族の側からは「悪魔との取引」 と見えていた、 という認識が、 綾乃の中に幼少期から沈殿している。
二つの家庭が、 並んで進んでいる。 春江と俊介と一豊の家庭。 喜久雄と藤駒と綾乃の、 形を持たない家庭。 どちらの家庭にも、 喜久雄は完全には属していない。
3. 俊介の病と死——糖尿病、 義足、 そして
復帰した俊介に、 病が訪れる。 糖尿病。 進行とともに合併症が体を侵していく。
俊介は左脚を切断する。 義足を装着して、 それでも舞台に立ち続ける。 歌舞伎の女形は、 体の動きの繊細さで成立する芸だ。 義足での舞台がどれほどの覚悟と訓練を要するか、 横浜流星の演技は、 動作の細部で観客に伝える。 一歩を踏み出すときの体の支え方、 着物の裾の捌き方の変化、 視線の位置——すべてが、 義足を身体の延長として組み込んだ俊介の所作になっていく。
舞台に立つ俊介の身体は、 義足の上に乗りながら、 着物の重みと女形の所作を同時に支える。 観客には義足が見えない。 だが、 観客の感覚の奥に、 俊介の身体が普通ではないものを抱えていることが伝わる構造になっている。 横浜流星の演技は、 義足という事実を観客に説明しない。 ただ、 動きの隅々に「以前とは違う身体で立っている」 という事実を、 沈黙のうちに刻み込む。
それでも、 病は止まらない。 右脚にも合併症が進む。 やがて俊介は命を落とす。
俊介の死は、 花井家の血の継承が、 喜久雄に集中することを意味する。 半二郎の血を継ぐ唯一の存在だった俊介が消えると、 三代目花井半二郎の名跡を継いだ喜久雄だけが、 花井家の系譜を背負って残る。
春江と一豊は、 父を失う。 春江はその後、 一豊と二人で生きていく。
4. 三代目花井半二郎、 人間国宝
俊介の死後の数十年が、 物語の中で大きな時間として流れる。 喜久雄は三代目花井半二郎として、 舞台を重ねていく。 落魄期に積もったものと、 復帰してからの時間が、 喜久雄の身体の中に層を作っていく。
そして、 やがて喜久雄は人間国宝——重要無形文化財保持者——に認定される。 国家が、 喜久雄の芸を、 保護されるべき文化財として認める。 1964 年の冬に父を雪の中で失った少年が、 50 年を経て、 国家の称号を授かる。
「人間国宝」 という言葉は、 通常、 祝福として扱われる。 だが本作は、 この称号を祝福として描かない。 喜久雄が辿り着いた人間国宝という位置は、 多くのものを失った代償の上に立っている。 父を失い、 半二郎を失い、 俊介を失い、 春江は別の人の妻になり、 彰子との家庭は壊れ、 藤駒・綾乃との家庭も形を持たないまま、 喜久雄はこの称号に到達する。
代償の到達点としての人間国宝、 という構造が、 物語の中盤から後半にかけて、 静かに準備される。 そして、 その到達点の意味が、 ラストの一場面で、 一気に立ち上がる。
5. 『鷺娘』 ——紙吹雪の中の「きれいやな」、 父の死の景色との重なり
ラスト近く、 喜久雄は『鷺娘』 を舞う。 雪の中の鷺の精を演じる、 長唄の演目。 場面の中で、 紙吹雪が舞い散る。 雪のように、 ゆっくりと、 喜久雄の周りに降りていく。
喜久雄は「きれいやな」 と、 涙ながらに呟く。
この一言が、 物語の重心を一気に締め直す。 「きれいやな」 と喜久雄が呟いたのは、 紙吹雪の景色だ。 そして、 その紙吹雪の景色は、 1964 年の冬、 15 歳の喜久雄が父・権五郎を失った雪の景色と、 視覚的に重なる。 父の死の夜の雪の上に広がる赤と、 ラストの『鷺娘』 の紙吹雪が舞う中に立つ喜久雄の白塗りの顔が、 同じ景色として観客の中で繋がる。
物語の前半で、 喜久雄はインタビューで語っていた。 「ずっと探しているものがありまして。 景色なんですけど」。 その「景色」 が、 50 年を経て、 ラストの『鷺娘』 の紙吹雪の中に現れる。 探し続けてきた景色は、 父の死の景色だった。 そして、 その景色に辿り着いたのは、 人間国宝として頂点に立った喜久雄だった。
ここに、 本作の最も鋭い倫理的な観察がある。 人間国宝という代償の到達点が、 喜久雄が探し続けていた景色——つまり父が死んだ夜の景色——と同じ景色だったということ。 国家の称号が、 失われた家族の景色と同じ場所に置かれている、 という構造的な回収が、 紙吹雪の中の一言「きれいやな」 で完成する。
白塗りの女形の顔のまま、 「きれいやな」 と呟く喜久雄の表情は、 単純な歓喜でも、 単純な悲しみでもない。 50 年探し続けた景色に、 ようやく到達したという疲労と、 その景色が結局は父の死の景色と同じだったという認識と、 それでも舞い続けるしかなかった自分への、 一種の諦念に近い受容が、 同居している。 第 98 回米国アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞ノミネートは、 この場面の喜久雄の顔の作りが、 単なる装飾ではなく、 物語の重みを支える媒介として機能していることへの評価とも読める。
後編おわりに. 綾乃の声——「忘れてへんよ、 綾乃」
物語の終盤、 喜久雄の取材現場に、 一人の若いカメラマンが来ている。 瀧内公美の演じる綾乃だ。 喜久雄と藤駒のあいだに生まれた、 喜久雄の娘である。
綾乃は撮影の手を止めて、 喜久雄に問いかける。 「藤駒という女性を、 覚えていますか」。
喜久雄は静かに答える。
「忘れてへんよ、 綾乃」。
藤駒の名前と、 そして「綾乃」 という、 直接呼びかける言葉。 喜久雄は綾乃が自分の娘であることを、 ずっと知っていた。 そして、 綾乃も、 自分が誰の娘かを知ったうえで、 父の前に立っている。 多くの言葉は交わされない。 ただ、 「忘れてへんよ」 という一言と、 「綾乃」 という名前の呼びかけが、 50 年の物語の終わりに置かれている。
喜久雄は人間国宝になった。 50 年前の冬の景色に、 紙吹雪の中で辿り着いた。 そして、 切り捨ててきた娘の名前を、 最後に呼んだ。 代償の到達点としての人間国宝が、 失われた景色と失われた娘の名前と、 同じ場所で交差する。
綾乃の側にも、 この瞬間の重みがある。 「悪魔と取引した」 父として母から教えられてきた相手が、 自分の名前を覚えていた。 「忘れてへんよ」 と告げた。 切り捨てられた側の綾乃にとって、 この一言が父の代償の最後の重さとして手元に届く。 二人のあいだに、 失われた時間を取り戻す動作は起きない。 ただ、 名前を呼んだ事実と、 名前を呼ばれた事実が、 互いの中に残る。
李相日と奥寺佐渡子の脚本は、 175 分という長尺の最後に、 この交差を置いた。 紙吹雪と、 父の雪と、 娘の名前。 三つが重なる場所に、 人間国宝という言葉の本当の重さがある。 50 年の物語の最後に喜久雄が立っていた景色は、 50 年前に父を失った夜の景色と、 同じ景色だった。
