G-0C41NE8DJB ソクラテスの弁明 (前 395 年頃) — 吟味なき生は生きるに値せず|亀吉の呟き
亀吉の書評

ソクラテスの弁明 (前 395 年頃) — 吟味なき生は生きるに値せず

ソクラテスの弁明 (前 395 年頃) — 吟味なき生は生きるに値せず
yoshiomi

紀元前 399 年、 アテネ。 ヘリアイア法廷に 501 人の陪審員が集まっている。 その前に、 70 歳の老人が立っている。 ソクラテスだ。

告発者は 3 人。 詩人メレトス、 民主派政治家アニュトス (皮なめし職人の出身、 アテネ民主制の重鎮)、 弁論家リュコン。 告発内容は 3 項目。 国家の認める神々を信じない。 新しいダイモニア (神的存在) を持ち込む。 若者を腐敗させる。 ギリシャ語で「弁論」 を意味する apologia は、 日本語の「謝罪」 ではなく、 法廷での申し開き・反論を指す言葉だ。 ソクラテスはこの法廷で、 三度の演説をすることになる。

プラトンは、 紀元前 395 年頃 — 師の処刑から数年後 — に、 三つの演説をまとめて一冊にする。 『ソクラテスの弁明』 (Ἀπολογία Σωκράτους) は、 プラトン唯一の演説形式の作品だ。 他の作品はすべて対話篇 — ソクラテスが誰かと議論を交わす形式 — で書かれているが、 本作だけは違う。 ソクラテス一人称の語りが、 三つの場面に区切られて並んでいる。

第 1 弁論 (17a-35d): 弁明本体、 告発への反駁、 自分の哲学活動の説明。第 2 弁論 (35e-38b): 有罪判決後の量刑提案。第 3 弁論 (38c-42a): 死刑判決後の別れの言葉。

評決は 280 対 221 で有罪 (差 30 票)。 量刑投票では 360 対 141 で死刑が確定する。 一度目の投票で「有罪」 と入れた人のうち、 二度目の投票で「死刑」 でなく軽い罰でいいと考えた人は 0 人ではなかった、 という勘定になる。 ソクラテス自身の量刑演説が、 一部の陪審員を死刑側に押し戻したのではないか、 とも読める。

プラトンが書き残したのは、 法廷の議事録ではない。 自分の言葉で死刑側の票を増やしてでも、 言うべきことを引っ込めなかった老人の姿だ。 助かる道はいくつもあった。 亡命を願い出ることも、 哲学をやめると誓うことも、 情に訴えることもできた。 ソクラテスはそのどれも選ばなかった。 なぜ選ばなかったのか — その理由を、 プラトンは三つの演説に書き留めた。

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§1 古い告発者と新しい告発者

第 1 弁論 17a の冒頭で、 ソクラテスはアテネ市民に語りかける。 久保勉訳で読めば、 「アテネ人諸君、 私の告発者たちが諸君にどんな印象を与えたか分からないが、 私自身も彼らのもっともらしさのあまり、 自分が誰だったか忘れそうになった」 という出だしになる。 告発者の修辞の上手さを認めつつ、 自分は修辞家ではない、 と最初に宣言する手の動きだ。

18a でソクラテスは、 告発者を二種類に分ける。 「古い告発者たち」 と「新しい告発者たち」。 新しい告発者は今日の法廷に立っているメレトス・アニュトス・リュコン。 古い告発者は、 そこに名前を挙げられない、 もっと長期にわたる集合的な噂だ。

古い告発の代表として、 ソクラテスはアリストパネスの喜劇『雲』 (前 423 上演) を挙げる。 この喜劇でソクラテスは、 天と地のことを詮索し、 弱い議論を強く見せかける詭弁家として戯画化される。 紀元前 423 年といえば、 ソクラテス 46 歳の頃。 そこから 24 年経って、 70 歳の老人が法廷に立っている。 喜劇の戯画が、 24 年かけて市民の頭の中で「ソクラテス像」 として定着している。

ソクラテスは新しい告発に答える前に、 古い告発に答える必要があると言う。 24 年前の喜劇から始まる、 名前のない噂の集合体に対して。 これは正攻法では反駁できない。 反駁の相手が特定できない。 ソクラテスができるのは、 自分の哲学活動の実態を、 自分の口で説明することだけだ。

§2 デルフォイの神託と、 21d の「無知の知」 の原典

第 1 弁論 20e-23b で、 ソクラテスは自分の哲学活動の起源を説明する。 友人のカイレフォンがデルフォイの神託を伺った。 「ソクラテスより賢い人はいるか」。 神託は「いない」 と答えた。

ソクラテスは戸惑う。 自分は賢くないと自覚している。 神託が嘘をつくはずがない。 だとすれば、 神託の意味を解読する必要がある。 ソクラテスは、 賢いと評判の人物を訪ね歩く。 政治家、 詩人、 職人。 全員と話して、 ある共通点に気づく。 訪ねた相手は皆、 自分の専門分野でないことについても「知っている」 と思い込んでいる。 ソクラテスはその思い込みを質問で揺さぶる。 相手は怒る。 ソクラテスは去る。

21d で、 ソクラテスは結論を口にする。 通俗には「無知の知」 として知られる一節だ。 ただし、 原典のテキストは、 通俗の標語より一段控えめに書かれている。 ギリシャ語で読めばこうだ。

> ἔοικα γοῦν τούτου γε σμικρῷ τινι αὐτῷ τούτῳ σοφώτερος εἶναι, ὅτι ἃ μὴ οἶδα οὐδὲ οἴομαι εἰδέναι.

久保勉訳で「自分は彼よりほんの少しだけ賢いように思える、 自分が知らないことを知っているとは思っていない、 という、 その点で」 と読む。

「無知の知」 と縮めると、 「自分が知らないことを知っている」 という意味になる。 だがこの形には、 小さな矛盾が残る。 本当に何も知らないのなら、 「自分は知らない」 ということ自体も、 知りようがないはずだからだ。

原典はそこを避ける。 「知っていると思っていない」 と書く。 主張がもう一段引っ込んでいる。 「知らないと知っている」 ではなく「知っていると思わない」。 後者の方が、 主張の重さが軽い。 控えめに書かれた控えめさを、 後世の標語化が強い主張に翻案している、 という観察を、 古典学者のヴラストスが指摘している。

ソクラテスが神託を解いて辿り着いた結論は、 自分は他人より 「ほんの少しだけ (σμικρῷ τινι)」 賢い、 というものだった。 この 「ほんの少し」 の控えめさは、 「無知の知」 という標語に縮められるとき、 まっさきに抜け落ちる。

この 「ほんの少し」 こそ、 ソクラテスが言いたかったことの核心だ。 彼は 「無知についての特別な知識を持っている」 と言いたかったのではない。 知らないことを、 知っているふりをしない — ただそれだけだ。 政治家も詩人も職人も、 知らないことを 「知っている」 と思い込んでいた。 ソクラテスだけが、 知らないことを知らないと認めていた。 賢さの差は、 知識の量ではなく、 その一点の正直さにあった。

そして、 この正直さが何を可能にするかが肝心だ。 知らないことを 「知っている」 と思い込んだ瞬間、 人はそれ以上問わなくなる。 答えが出たと思えば、 問いは閉じる。 知らないと認めているからこそ、 問い続けられる。 「無知の知」 は、 賢さの自慢ではなく、 問いを閉じないための入り口なのだ。 そしてこの 「問い続ける」 という構えが、 のちの 「吟味なき生は生きるに値せず」 (§4) に、 まっすぐ繋がっていく。

§3 ダイモニオン — 子供の頃からの声

31c-32a で、 ソクラテスはダイモニオンについて説明する。 「ダイモニオン」 は、 ギリシャ語 τὸ δαιμόνιον (to daimonion) をそのまま日本語に移した言葉だ。 何かの神の名前ではない。 「神がかった、 あるもの」 という、 ぼんやりした言い方になっている。 ソクラテスはこれを「ある種の声 (φωνή τις)」 と呼び、 子供の頃から自分に聞こえてきた、 と言う。

ソクラテスの語るダイモニオンには、 はっきりした特徴が三つある。

一つ。 この声は「やめろ」 としか言わない。 「こうしろ」 と背中を押すことは、 一度もない。 止めるだけの声だ。

二つ。 ソクラテスはこれを、 神そのものではなく、 神から届く「何か (θεῖόν τι)」 と呼ぶ。 神の声ではない。 神の側から来る、 名前のつかない合図だ。

三つ。 ソクラテスは、 自分が政治家にならなかった理由を、 この声に求める。 アテネの政治に関わろうとするたびに、 声が「やめろ」 と告げた、 と言う。

ダイモニオンが何だったかは、 訳語の選択の歴史のなかで揺れている。 キリスト教神学は「悪魔的なもの」 と訳す傾向があった。 ダイモンという語がデーモンの語源になったからだ。 19 世紀以降の研究は「良心」 と訳す傾向を持つ。 心理学は「内的直観」 と訳すことがある。 プラトン主義者は「神的な徴 (sign)」 と訳す。

プラトンの記述そのものは、 これらのどの訳語にも確定しない。 「声」「神からの何か」「子供の頃から」「やめろだけ」 という四つの特徴が並んでいるだけだ。 訳者と読者が、 自分の枠組みで埋めていく。 訳語の選択の幅は、 原典の控えめさの裏返しと読める。

§4 第 2 弁論と「吟味なき生は生きるに値せず」 (38a)

第 1 弁論の終わりに、 評決の投票が行われる。 280 対 221 で有罪。 アテネの裁判では、 有罪判決のあと、 量刑の演説が行われる。 検察側が刑罰を提案し、 被告側が対案を出す。 陪審員が二者択一で投票する。

告発者側 — 冒頭で名前の挙がった、 詩人メレトスたち — が、 刑として死刑を求める。 次は、 ソクラテスが対案を出す番だ。 ソクラテスは何を提案するか。 アテネ市内の食堂 — プリュタネイオン (市公費食堂) で公費で食事を取らせろ、 と提案する。 プリュタネイオンは、 オリンピック優勝者や英雄を市が讃える場所だ。 「罰として、 英雄として食事をさせろ」 という、 法廷を挑発する提案。

陪審員はざわついたと推測される。 弟子たちが介入し、 ソクラテスは罰金 30 ムナの提案に切り替える。 30 ムナは当時の労働者の数年分の年収に相当する金額だが、 死刑提案に対抗するには軽すぎる。

この第 2 弁論 — 量刑の演説 — の中で、 ソクラテスは一文を残す。 通俗には『弁明』 全体の象徴とされる文だ。 ただし、 原典では第 1 弁論の末尾ではなく、 ★ 第 2 弁論 38a に現れる。

> ὁ δὲ ἀνεξέταστος βίος οὐ βιωτὸς ἀνθρώπῳ.> 吟味されない生は、 人間にとって生きるに値しない。

久保勉訳で「省みられない人生は人間として生きる甲斐がない」 と読む。 三嶋輝夫・田中享英訳では「吟味のない人生は、 人間として生きるに値しない」。

この命題は、 抽象的な人生論として語られるのではない。 量刑の文脈で語られる。 陪審員のなかには、 ソクラテスに「亡命を提案しろ」 と暗黙に期待している者もいる。 アテネを離れて、 別の街で、 哲学活動をやめて静かに生きれば、 死刑は回避できる。 ソクラテスはその選択肢を拒絶する文脈で、 「吟味なき生は生きるに値せず」 と言う。 アテネを離れて哲学をやめて生きるくらいなら、 死を選ぶ、 と。

量刑の投票が行われる。 360 対 141 で死刑が確定する。

§5 第 3 弁論とダイモニオンの沈黙 (40a-c)

死刑判決が出たあと、 ソクラテスは三度目の演説を始める。 第 3 弁論。 38c-42a。

40a-c で、 ソクラテスはダイモニオンについて一つの観察を置く。 「今日の法廷で、 私の口を抑えるべき場面が無数にあったはずだ。 私が陪審員を怒らせるような発言を何度もした。 だが、 一度もダイモニオンは現れなかった。 沈黙していた」。

子供の頃から「やめろ」 だけを告げてきた声が、 法廷の一日のあいだ、 一度も「やめろ」 と言わなかった。 ソクラテスは、 この沈黙を、 今日起きたことが「悪ではない」 ことの証拠と読む。 何かが正しいことの積極的な啓示ではない。 何かが間違っていないことの、 消去法的な啓示だ。

いつもなら「やめろ」 と止めに入る声が、 この日は最後まで黙っていた。 ソクラテスは、 その沈黙をこう受け取る。 — 止める声がなかったのだから、 今日の自分の選択は、 間違ってはいなかったのだ、 と。

ダイモニオンは「死を選べ」 と勧めたわけではない。 ただ、 死へ向かう道を止めなかっただけだ。 その「止めなかった」 を、 ソクラテスは「これでいい」 に読み替える。 止めない、 が、 肯定に変わる。

§6 死後の二択

41a-42a で、 ソクラテスは死後の可能性を二つ並べる。

第一の可能性 — 死は完全な無で、 夢を見ない眠りのようなものだとすれば、 素晴らしい。 一晩中夢を見ずに眠った経験を、 誰もが持つ。 そういう眠りが永遠に続くなら、 むしろ歓迎すべき贈り物だ。

第二の可能性 — 死は別の場所への魂の移住だとすれば、 そこでホメロスやヘシオドスやオデュッセウスと対話できる。 アテネで対話していた相手を超えて、 過去のあらゆる賢者と話せる。 これも素晴らしい。

二択を並べて、 どちらも歓迎する論理を、 ソクラテスは組み立てる。 「死がどちらであっても」 という形で、 死そのものを脱問題化する。

論理の強引さは、 当時の読者にも見えていたはずだ。 死後がどちらか分からないという不確実性を、 「どちらでもいい」 という形で処理する。 不確実性を恐怖に変えずに、 不確実性のままで歓迎する。 これがソクラテスの第 3 弁論の手の動きだ。

ラスト 42a。

> ἀλλὰ γὰρ ἤδη ὥρα ἀπιέναι, ἐμοὶ μὲν ἀποθανουμένῳ, ὑμῖν δὲ βιωσομένοις. ὁπότεροι δὲ ἡμῶν ἔρχονται ἐπὶ ἄμεινον πρᾶγμα, ἄδηλον παντὶ πλὴν ἢ τῷ θεῷ.> もう時だ。 我々は別れる。 私は死ぬために、 諸君は生きるために。 だが、 我々のうちどちらがよりよい運命に向かうかは、 神以外には誰も知らない。

「神以外には誰も知らない」 という締めくくりが、 ソクラテスの控えめさの最後の現れだ。 死後の二択を並べて両方歓迎する、 という積極的な肯定の論理を組み立てた直後に、 「だが本当はどちらが良いか分からない」 と引く。 21d で「ほんの少しだけ賢い」 と書いた、 同じ控えめさが、 42a でも保たれている。

§7 1 ヶ月の遅延と、 『クリトン』『パイドン』 へ

死刑判決が出ても、 すぐには執行されなかった。 アテネからデロス島に毎年送られる聖船が、 デロス島祭の期間 (約 1 ヶ月) アテネに戻るまで、 死刑執行は延期される宗教的慣習があった。 ソクラテスの場合、 船が出発した直後に判決が出たため、 執行までの待機は 1 ヶ月続いた。

獄舎で待機する 1 ヶ月のあいだに、 ソクラテスは弟子たちと対話を続ける。 友人クリトンが脱獄を勧めにくる。 別の日に、 死の前日の対話として、 魂の不死について議論する。 プラトンはこれらを別作品 — 『クリトン』 と『パイドン』 — に書く。

『弁明』 が三つの演説で閉じるのは、 法廷の一日で物語が終わるからだ。 1 ヶ月後の処刑の場面も、 弟子たちとの対話も、 別の本に分かれる。 『弁明』 は、 「法廷で語られた言葉」 だけを記録する形式に徹している。

処刑はヘムロック (毒ニンジン) の服毒だ。 アクロポリス南東の獄舎で、 飲み終えると下半身から徐々に麻痺し、 心臓に達するまで意識は明瞭なまま、 と『パイドン』 にプラトンが書き残している。

§おわりに 対話篇を脇に置いた理由

プラトンが残した著作のほとんどは対話篇だ。 ソクラテスを中心に、 複数の人物が議論を交わす。 議論を通じて、 ソクラテスがいくつかの命題を引き出していく。 対話篇の形式そのものが、 ソクラテスの哲学方法 — 質問によって相手の思い込みを揺さぶる方法 — を、 形式として実装している。

『弁明』 だけが、 この形式の外側にある。 三つの演説。 ソクラテス一人称。 質疑応答はメレトスとの短いやりとりだけ。 プラトンは、 師の死の前の語りを、 対話篇の形式に流し込まなかった。

なぜか、 と問うのは観察として残しておく。 確定の答えはない。 一つの仮説として、 死の前の語りには対話の相手がいなかったから、 とは言える。 法廷では、 ソクラテスは陪審員に語りかける。 陪審員は応答しない。 投票で答える。 沈黙のなかで、 ソクラテスは三度演説する。 沈黙する相手に向けて語られた言葉は、 対話の形式に収まらない。

紀元前 395 年頃、 プラトンは 30 歳前後で、 師の死の数年後に、 沈黙の前の語りを書き残す。 ソクラテスは自分で書物を書き残さなかった。 全ては、 プラトン (とクセノフォン) の文字を経由して、 我々のところに届いている。

プラトンが書き残したのは、 「やめろ」 と告げる声が一日じゅう黙っていた、 その沈黙の前で、 ソクラテスが何を語ったか、 だ。 止める声のない場所で、 老人は三度しゃべった。 その言葉が、 ダイモニオンの沈黙と並んで、 いまも残っている。 70 歳の老人が、 280 対 221 で有罪、 360 対 141 で死刑、 という勘定の前で、 三度演説した一日の言葉だ。 「吟味なき生は生きるに値せず」 はこの一日のなかで、 量刑演説の文脈で語られた。 「神以外には誰も知らない」 はこの一日の最後に語られた。

二つの命題のあいだに、 ダイモニオンの沈黙がある。

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