G-0C41NE8DJB 『五輪書』宮本武蔵 — 六十余度勝った男が、最後に手放したもの|亀吉の呟き
亀吉の書評

『五輪書』宮本武蔵 — 六十余度勝った男が、最後に手放したもの

『五輪書』宮本武蔵 — 六十余度勝った男が、最後に手放したもの
yoshiomi
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はじめに

宮本武蔵、と聞いて思い浮かぶのは、たぶん二つだ。左右の手に刀を持つ二刀流の構えと、巌流島で佐々木小次郎を倒した決闘。剣豪の代名詞のような名前で、その強さの逸話のほうが、本人の書いた本よりもずっと有名になった。

だから『五輪書』を開くとき、多くの人は無意識に「必勝法」を期待している。あれだけ勝った男が書いたのだから、剣で勝つための秘訣が、奥義が、そこに並んでいるはずだ、と。

ところが、読み進めるとどこかで肩透かしを食らう。たしかに太刀の持ちようや勝負の呼吸は書いてある。けれど五巻の最後、「空の巻」までたどり着くと、宮本武蔵はふっと手を放してしまう。何にもとらわれない境地のことを、ほんの数ページで書いて、筆を置く。六十余度勝って一度も負けなかった男が、最後に書き残したのは、もっと勝つための技術ではなかった。

その正体を、ゆっくり見ていきたい。

1. 六十余度負けなかった男——宮本武蔵という人

宮本武蔵は、一五八四年に播磨——いまの兵庫県で生まれた、とされる。父の新免無二は十手や剣を使う武芸者で、幼い頃からその空気のなかで育った。

本人が『五輪書』の地の巻に書いていることが、いちばん確かな手がかりになる。十三歳で初めて決闘をして、新当流の有馬喜兵衛という相手に勝った。十六歳で但馬の強者に勝ち、それから二十代の終わりまで、六十回あまりの勝負をして、一度も負けなかった——宮本はそう自分で記している。

ここで一度、立ち止まっておきたい。六十余度というのは、生死を分ける真剣の勝負である。一度負ければ、そこで終わる。その世界で一度も負けなかったというのは、運や勢いだけで説明のつく数ではない。京都の名門・吉岡一門との一連の戦いも、この時期のことだ。吉岡清十郎、伝七郎と続けて戦い、最後は一門の総がかりを相手にしたと伝わる。相手が名のある流派であればあるほど、勝負の重みは増していく。

慶長十七年(一六一二年)、舟島での佐々木小次郎との決闘は、その勝負のなかでも飛び抜けて有名になった。ただ、小次郎が遅れて来たとか、宮本がわざと刻限に遅れたとか、櫂を削った長い木刀を使ったとか——よく語られる細部の多くは、後の時代に足された脚色で、どこまでが本当かははっきりしない。勝ったという事実だけが、確かに残っている。

逆に言えば、宮本自身が書き残したのは、もっと素っ気ない。何歳で誰に勝った、という事実だけだ。派手な物語は他人がふくらませ、本人は数を淡々と記した。その差そのものが、『五輪書』を読むときの構えを決めてくれる。書いた人は、自分を伝説にしようとはしていない。

宮本が自分の流派を「二天一流」と名づけたのは、よく知られた二刀——大小二本の刀を、両手に分けて使う構えからきている。ふつう、刀は両手で一本を握る。その当たり前を一度外して、片手で一本ずつ持つ。馬の上でも、囲まれても、片手さえ空いていれば応じられる。剣の世界の「常識」をいったん疑ってかかる癖は、のちの『五輪書』全体に流れているものだ。

剣のほかにも、宮本は水墨画を描き、工芸や連歌、茶にも手を伸ばした。「正面達磨図」「鵜図」といった絵がいまも残っている。一つの技に閉じこもる人ではなかった。関ヶ原から大坂の陣へと、戦国の最後の火が消えていく時代を生きて、諸国を巡り、養子の伊織を育てた。

晩年、五十七歳のとき、宮本武蔵は肥後熊本藩主・細川忠利に客分として招かれる。三百石をあてがわれ、城跡に屋敷をもらった。戦いの日々はもう遠く、絵を描き、茶に親しむ、静かな時間がそこにあった。そして一六四三年の秋、六十歳の宮本は、熊本の近くにある霊巌洞という洞窟に籠る。『五輪書』を書きはじめるためだ。剣を振るう人生のいちばん終わりに、その人生で掴んだものを言葉にしようとした。

書きはじめた動機は、自分の名を後の世に残すためではなかったらしい。年を取り、体の衰えを感じながら、これまでの人生で掴んだものを、同じ道をこれから歩く者へ渡しておこうとした。だから『五輪書』には自慢話がほとんどない。淡々と、太刀の手順と心がまえだけが続いていく。剣を一生かけて掘り下げた男が、その穴の底から見えたものを、できるだけ正確に書き写そうとしている。

2. なぜ五つの輪なのか——地・水・火・風・空

『五輪書』という題は、仏教の「五輪」、つまり地・水・火・風・空という五つの要素から来ている。世界はこの五つでできている、という古い考え方だ。石でできた五輪塔を、お寺や墓地で見かけることがある。下から四角・丸・三角・半月・宝珠と積み上がる、あの五つである。宮本武蔵はそれを借りて、自分の兵法を五つの巻に分けた。

おもしろいのは、この五つが、ただの分類ではなく、順番に積み上がっていくところだ。地で全体を見渡し、水で体の動かし方を学び、火で実際の勝負を考え、風で他人のやり方を見て、最後の空で、すべてを越えていく。下から登っていく階段のように、五巻は並んでいる。

それぞれの巻に、要素の性質がちゃんと響いている。地はどっしりとした土台、水は形を変える柔らかさ、火は燃え立つ勢い、風は世間に吹くいろいろな流儀、空はそのすべてが澄んだ先。題のつけ方そのものに、宮本の見立てが入っている。

階段だから、途中を飛ばせない。水の体づかいが身についていないのに火の駆け引きだけ覚えても、土台のない家のように崩れる。風で他人の流派を見比べる目が育たないまま空を口にすれば、それはただの「わかったつもり」にしかならない。下の段を一つずつ踏まないと、上の段の景色は見えない。

つまり『五輪書』は、剣の技を箇条書きにした便覧ではない。一つの道を、どう登っていくかを書いた本だ。だから「必勝法だけ知りたい」という読み方をすると、その階段を登りきった先にある、いちばん大事なものを、まるごと見落とすことになる。

3. 地と水——全体を見ることと太刀の持ちよう

地の巻で、宮本武蔵はおもしろい比喩を使う。兵法を学ぶことを、大工の仕事にたとえるのだ。

棟梁は、家全体の設計を頭に入れたうえで、木の癖を見抜く。まっすぐな木は人目につく表に、節のある木は見えない場所に、と適した材を適した場所へ回す。道具は研いで手入れを欠かさない。配下の大工それぞれの腕を見て、仕事を割り振る。兵法も同じで、全体を見渡す目と、細部を手入れする手の、両方がいる——宮本はそう言う。剣を特別な秘術として神棚に上げるのではなく、職人が道具を使いこなすことと地続きのものとして語る。この目の高さが、『五輪書』の温度を決めている。難しい言葉で煙に巻かない。手を動かす人の言い方をする。

水の巻に入ると、話はぐっと具体的になる。心の持ちよう、太刀の握り方、構えの種類、足の運び。題が「水」なのには理由がある。水は入れものに従って形を変える。四角い器では四角く、丸い器では丸くなる。剣を構える心も、決まった一つの形に固めるのではなく、相手や場に応じて変わっていけ——宮本はそう説く。

構えにしても、宮本はいくつかの形を挙げながら、どれか一つを最上とは言わない。上段、中段、下段、左右の脇——五つの構えを並べて、状況でどれにでもなれることのほうを重く見る。握り方も、力みすぎず緩めすぎず、生きた手で持て、と言う。固く握りしめた手も、ふやけて力のない手も、どちらも刀を生かせない。足の運びにも宮本はうるさくて、爪先で立ったり踵に体重を残したりする歩き方を嫌い、ふだん道を歩くときと同じ自然な足で動け、と説く。特別な歩法をわざわざ作らない。

太刀には太刀の通る道がある、とも書く。その筋に沿って振れば、たいして力を入れなくても刀はひとりでに走る。筋に逆らえば、いくら力んでも途中で止まってしまう。力で押し切るのではなく、刀そのものの理にこちらが乗る。これも、水が低いほうへ素直に流れていくのと、どこか似ている。

水の巻には「常の心」という言葉が出てくる。戦いのときだけ特別な精神状態をつくるのではなく、ふだんの心のままで戦い、戦いのときの心のままでふだんを生きる。日常と非常を分けない。これは剣の話のようでいて、もっと広いところに届く言葉だ。机に向かうときも、人と向き合うときも、心がぐらぐら形を変えていては、本当のところは見えてこない。

4. 火と風——勝負の理と他流を断つこと

火の巻は、いよいよ実際の勝負を扱う。ここで宮本武蔵が繰り返すのは、一対一の斬り合いも、軍勢と軍勢の戦も、根っこの理は同じだ、ということだ。一人を相手にする呼吸を本当に掴めば、それは千人を相手にする呼吸へそのまま広がる。人数が変わっても、勝負の芯は変わらない。

「先(せん)」という考えが軸になる。相手より先にこちらから動いて主導権を取るのか、相手に動かせておいてその上を行くのか、あるいは相手と同時に出ながら崩すのか。宮本は「先」をいくつかに分けて説く。先手とは、ただ早く動くことではない。相手の気持ちがどちらに傾いているかを読み、その傾きの上に乗ることだ。

それから「拍子」。あらゆる物事にはリズムがあって、合う拍子と合わない拍子がある。相手の拍子にわざと乗らず、外し、崩れたところを討つ。場の取り方も説く。日を背にして立ち、足場の良いところを選び、利き手の側に余裕を残す。当たり前のようでいて、勝負の前に勝ちの目を一つでも多く集めておく、その積み重ねを宮本は軽んじない。火という題のとおり、勢いと変化の巻だ。読んでいると、これは剣の間合いの話でありながら、人と人がぶつかるあらゆる場面の話でもある、と思えてくる。

風の巻は、毛色が変わる。ここで宮本は、ほかの流派を一つひとつ取り上げて批判していく。長い刀ばかりを頼む流派、速さばかりを誇る流派、構えの数を競う流派、強く打つことばかりを言う流派。それぞれが一つの長所に寄りかかって、そこから動けなくなっている、と宮本は見る。長い刀は狭い場所で振れない。速さを追えば打ちに力が乗らない。一つの得意に頼った瞬間、その裏側が弱点になる。

人を腐すために書いているのではない。他人のやり方を鏡にして、自分の二天一流がどこに立っているかを、逆の側から照らし出すためだ。「風」とは、世間に吹いているいろいろなやり方のことでもある。それを一度くぐり抜けて、何が自分のもので何がそうでないかを分けなければ、最後の巻には進めない。

5. 空——何にも頼らないということ

そして空の巻。五巻のなかで、これがいちばん短い。いちばん大事なことを、宮本武蔵はいちばん短く書いた。

空とは何か。宮本の言い方では、よく見え、よく分かるようになって、迷いの雲がすっかり晴れたところに、本当の空がある。地・水・火・風と積み上げてきた技と心が、ぴたりと身について、もう「こう構えよう」「こう動こう」と頭で考えなくてよくなる。考えなくても、体がひとりでに理にかなって動いている。そのとき、それまで寄りかかっていた型や手順が、すっと要らなくなる。

ここを「悟り」とか「禅の境地」とか、神秘的な言葉で飾りたくなる。けれど宮本が書いているのは、もっと地味で、もっと厳しいことだ。空は、天から降ってくる啓示ではない。何千回も振って、何十度も勝負して、技を体に叩き込んだ果てに、ようやく余分が落ちて立ちあらわれる。鍛錬のいちばん上の段にだけ、空はある。

宮本はわざわざ釘を刺している。迷いや偏りを抱えたまま「何もわからない、それが空だ」と言うのは、本当の空ではない、と。武士が兵法の道を確かに身につけ、ほかの武芸にも広く触れ、心の曇りが少しもなくなったところで、はじめて本当の空が見えてくる。からっぽだから何でもない、のではない。満ちきって余分がなくなったから、からっぽに見える。空っぽに見えて、中身は詰まっている。

だから空の巻が短いのは、書くことが少ないからではない。そこまで来れば、言葉で足すものがもう無い、ということなのだろう。六十余度勝った男が、最後にたどり着いたのは、もっと鋭い技ではなく、何にも頼らずに立てる場所だった。勝つための道具を一つずつ手に入れてきた本が、最後に、その道具すべてから自由になることを書いて閉じる。

おわりに

霊巌洞で『五輪書』を書き終えた宮本武蔵は、その数日後、もう一つ短い文章を残している。『独行道』という、二十一か条の覚え書きだ。綴られているのは剣の技ではなく、世の道との向き合い方や、暮らしの心得だ。世の道に背かない。身に楽しみを求めない。なにごとにも頼る心を持たない。仏神は尊んでも、頼みにはしない。物を惜しまない。そんな短い条が、二十一、淡々と並ぶ。一六四五年、宮本はそのまま熊本で亡くなった。

並べてみると、『独行道』は空の巻と、どこかで通じている。「頼る心を持たない」「頼みにはしない」——勝つための技を究めた男が、最後に書いたのは、何かに寄りかからずに立つことの、別の言い方だった。剣の本と暮らしの覚え書きが、同じ一点を指している。

勝つことだけを考えて生きてきたように見える男が、最後の年に書いたのは、勝ち方の集大成であると同時に、勝ち方からの降り方でもあった。地・水・火・風と登ってきて、空でふっと荷を下ろす。残された水墨画——墨一色のそっけない達磨の絵に、その降り方が重なる。墨で引いた線は少なく、紙の白がたっぷり残っている。描き込まないことで、かえって芯が立っている。

『五輪書』に必勝法を探しに来た人が肩透かしを食らうのは、おそらく、本のほうが正確だからだろう。一つの道を本当に究めた人は、究めた先で「もっと勝つ技術」を握りしめてはいない。何にも頼らずに立てるようになって、握っていたものを、ひとつずつ開いていく。その開いていく手のひらを、六十歳の宮本武蔵は、洞窟の暗がりでだけ書き残せた。五巻でいちばん薄い「空の巻」が、その道のいちばん高い段に、いちばん最後に置かれている。究めるとは何かを足しつづけることだと思っていると、いちばん薄い巻が頂上に置かれていることが、不思議に見える。宮本武蔵が書き残したのは、究めた先では、むしろ手放すものがある、ということだった。

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