「筆者コラム」風の歌を聴け、という作品
1. 村上春樹
村上春樹。日本で最も有名な作家のひとりである。
その独特な作風とストーリーテリングで国際的にも高い評価を受けている。毎年のようにノ-ベル文学賞の候補にも名前を連ねている。
彼の作品は、ポストモダン的な要素、リアリズムと幻想の交錯、そして独特の「村上ワールド」と呼ばれる雰囲気が特徴である。そしてそれと同時に好みが大きく分かれる作家でもある。
1949年、京都に生まれた村上春樹は、早稲田大学を卒業後、ジャズ喫茶を経営しながら作家としての道を歩み始めた。彼は大のジャズ好きで知られ、作品の中にも多くのジャズミュージックが登場する。関係ないが私は彼の「アフターダーク」という作品の影響で、カーティスフラーが大好きなった。Five Spot After Darkは私が好きな作品の一つだ。
話を戻すと彼の作品は多くの場合、都市生活者の孤独や疎外感を描く一方で、日常に潜む異世界への入り口や、自己探求の旅をテーマにしていることが多い。そして彼の作品に登場する多くの主人公たちは「やれやれ、なんでこんなことになってしまったんだろう」と嘆くのである。
彼の処女作「風の歌を聴け」は、1979年に発表され、その斬新な文体と物語の進行が大きな話題を呼んだことで知られている。そして彼はこの作品で第22回群像新人文学賞を受賞した。
この作品は、「1973年のピンボール」や「羊をめぐる冒険」を含む「羊三部作」の第一作目としても知られている。「風の歌を聴け」は、村上春樹の文壇デビュー作であり、後に彼が築く作風の原型とも言える作品である。
私はこの作品が村上春樹の作品の中で最も好きだ。何の自慢にもならないが多分20回以上は読んでいる気がする。何の自慢にもならない。
上記にも書いたが、この作品は今の村上作品にみられる作風の「原石」を確認できる作品だと思っている。村上春樹は時に小説を書くことを「楽器を演奏するような感覚で書いている」とどこかのインタビュー記事などで発言しているが、まさにそんな感じなのだ。村上春樹の小説の一説を借りれば「パスタをゆでる間に読むような小説」なのかもしれない。
2. 「風の歌を聴け」のあらすじ
「風の歌を聴け」の物語は、主人公である「僕」が夏休みを過ごす過程で展開されていく。物語の舞台は、1970年代の日本で、主人公が過ごす退屈でありながらも不思議な夏が描かれる。
主人公は、大学生としての生活から一時的に離れ、故郷に戻ってくる。そこで彼は、バー「J’s Bar」のマスターや、友人である「鼠」(ねずみ)と再会を果たす。「鼠」は、名前のない町で孤独に過ごす青年で、主人公と彼との友情が物語の重要な要素となっている。
余談だが鼠の乗っている車は黒のフィアット600で、彼の父親はひどく金持ちだった。彼が乗っている車は今後の物語に関係ないが、彼が裕福な家の出身だということは後々の物語の展開に大きく影響してくることになる。
物語のもう一つの中心的な人物は、「僕」が出会う謎めいた女性だ。彼女との出会いは、物語全体に一種の幻想的な雰囲気を与えている。彼女との関係は、具体的に描かれることは少ないものの、物語の中で「僕」にとって、そして「鼠」にとっても特別な意味を持っている。ちなみに彼女の左手には小指がない。
「風の歌を聴け」は、具体的な事件や劇的な展開は少ないものの、淡々とした日常の中に潜む不安や孤独、そして若者特有のアイデンティティ探しが描かれている。物語全体が、ある種の詩的な雰囲気に包まれており、村上春樹のデビュー作として、後の作品に通じるテーマやスタイルがいたるところに垣間見える。
3. 感想
具体的な考察などは他レビューサイトに譲る。
ここではあくまで、雰囲気を伝えるための感想を記載。
もし村上春樹のほか作品を知らず、この作品を手に取れば、その独特な文体と物語の進行に、驚き、テンポよくページがめくられていくかもしれない。もしくは、その文体に嫌悪感を抱き、積み本の一角に身を置くことになるかもしれない。
繰り返すが、村上春樹の作品とは多くの読者にとってそういうものなのである。それは彼の処女作である「風の歌を聴け」とて例外ではない。もちろんだが処女作から彼の作品は村上春樹が書いた作品なのである。
何故多くの読者がこの作品を手に取るのか?それは、やはり村上春樹という名前に対する興味と期待だと感じる。
既に周知の事実がだが村上春樹の文体は、短いセンテンスとリズム感のある文章が特徴で、読者に対して独特のリズムとテンポを提供する。このリズム感は、物語全体に漂う無常感や、日常の中に潜む不思議さを強調しており、多くの読者がその点に魅了される。
一方で、物語の進行が淡々としているため、一部の読者からは「何も起こらない」と感じられることもある。しかし、この「何も起こらない」こと自体が、村上春樹の作品の特徴であり、日常の中にある微細な変化や心の動きを描くことで、現実と非現実の狭間にある独特の感覚を生み出している。言い換えれば「何も起こらない」彼らの日常を、村上春樹の文章が非常に不思議な物語へと昇華させているのである。と言えるかもしれない。
また、登場人物たちのキャラクターも非常に興味深い。「僕」や「鼠」のキャラクターは、村上春樹作品に共通する「少し浮世離れした若者」の典型であり、多くの読者が彼らの孤独感やアイデンティティ探しに共感を抱くことになる。特に、「鼠」というキャラクターは、後の作品「1973年のピンボール」や「羊をめぐる冒険」にも登場し、村上春樹の世界観をより深く理解するための鍵となる存在になる。
一方で、後の作品と比較すると、村上春樹の作風がまだ発展途上であることを指摘する声もある。文体やストーリーテリングにおいて、まだ成熟していない部分が見受けられると感じる読者もいるようだ。処女作なのだから当然といえば当然である。しかしながら、それを補ってあまりあるほど、この作品は各センテンス1つ1つに村上春樹らしさが詰まっている。彼の独特の言い回しがてんこ盛りになっている。そういう意味で私は村上春樹の中でこの作品が最も好きである。作者本人は不完全な作品としてあまり心よく思っていないようだが。
4. まとめ
「風の歌を聴け」は、村上春樹の作家としての出発点であり、彼の世界観やテーマ、スタイルが垣間見える貴重な作品だ。物語の中で描かれる日常と非日常の交錯や、登場人物たちの孤独感、そして独特の文体は、多くの読者にとってやはり魅力的である。
また、別角度からの意見としては、この作品を通じて、村上春樹が描く「若者の孤独」や「現実と幻想の狭間にある世界観」に触れることができる作品である。そのため、彼の他の作品を読む前に一度手に取ってみる価値があるのは間違いない。
「風の歌を聴け」彼の処女作であり、村上春樹作品群の中で最もさわやかな作品の一つである。きっと読後にはあなたの前にも「風」が吹き抜けることになるだろう。その小さなささやきに耳を澄ましてほしい。