【こども大学】ミース・ファン・デル・ローエってどんな人?
建築界において、「少ないことは豊かなこと(Less is more)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?これは、ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe)の哲学を象徴するフレーズであり、彼のシンプルで機能的なデザインを体現しています。
ミースは20世紀を代表する建築家の一人であり、モダニズム建築の巨匠として知られています。彼の作品は、シンプルでありながらも美しく、機能的でありながらも洗練されたデザインが特徴です。この記事では、ミース・ファン・デル・ローエの人間性、時代背景、建築物の特徴、そして彼の代表的な建築物について詳しく探っていきます。
はじめに
ミース・ファン・デル・ローエの人間性
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、1886年にドイツのアーヘンで生まれました。彼の父親は石工であり、幼少期からミースは建築と石工の技術に触れて育ちました。ミースの初期のキャリアは、ベルリンでの建築事務所での見習いから始まりました。彼はその後、建築設計の道を歩むことになりますが、そのキャリアの中で、多くの影響を受けた重要な人物との出会いがありました。
その中の一人がペーター・ベーレンスです。
ミースは、1907年リール邸を手掛けた後、1908年から1912年まで、ドイツの著名な建築家ピーター・ベーレンスの事務所で働きました。ベーレンスは、当時のドイツで最も影響力のある建築家の一人であり、後にミース、ル・コルビュジエ、そしてヴァルター・グロピウスを含む多くの有名な建築家を輩出しました。ベーレンスの事務所では、ミースは設計プロセスや工業デザインの重要性について学びました。また、ベーレンスの影響により、ミースは素材の本質を活かしたデザインの概念を理解し始めました。
ペーター・ベーレンス
またミースは、人間性において非常に実直でありながらも、独自のビジョンを持った人物でした。彼の作品には、シンプルさと機能性を追求する強い意志が感じられます。また、教育者としても優れた手腕を発揮し、多くの学生に影響を与えました。彼は、バウハウスの最後のディレクターを務め、その後アメリカに移住してからはシカゴのイリノイ工科大学(IIT)で建築学部を指導しました。彼の教育理念は、学生に対して実践的な技術と創造的な自由を与えるものでした。
時代背景
ミース・ファン・デル・ローエが活動した20世紀初頭から中期にかけては、建築の世界において大きな変革の時代でした。第一次世界大戦後、ヨーロッパでは多くの建築家が新しいスタイルと技術を模索していました。古典的な装飾を廃し、機能性とシンプルさを重視するモダニズムが台頭し始めました。ミースは、このモダニズムの中心に立ち、その理念を具現化した建築物を次々と発表していきました。
バウハウス運動も、この時期に大きな影響を与えました。バウハウスは、芸術と工芸を統合し、新しいデザインの方向性を示す試みでした。ミースはバウハウスのディレクターとして、その精神を継承し、さらに発展させました。ナチス政権の台頭によりバウハウスは閉鎖されましたが、ミースはその後アメリカに移住し、シカゴで新たな建築教育の場を築きました。
ミース・ファン・デル・ローエの建築物の特徴と代表作
ミース・ファン・デル・ローエの建築物の特徴
ミースの建築は、そのシンプルさと機能性、そして素材の本質を活かしたデザインで知られています。彼の建築物の特徴をいくつか挙げてみましょう。
ミニマリズム
ミースの建築は、装飾を極力排除し、シンプルで直線的なデザインが特徴です。これは、「少ないことは豊かなこと(Less is more)」という彼の哲学に基づいています。例えば、彼の設計したバルセロナ・パビリオンは、シンプルな形状と明確なラインが特徴で、余計な装飾が一切ないデザインです。
バルセロナ・パビリオン
オープンプラン
ミースは、内部空間の自由なレイアウトを重視しました。これにより、内部空間が広々とし、光と空気の流れが自由になりました。彼の設計したファンズワース邸では、ガラスと鋼鉄を用いて、内部空間が外部とシームレスに繋がるデザインが実現されています。
ファンズワース邸
素材の本質を活かす
ミースは、使用する素材の本来の特性を尊重し、それをデザインに反映させました。例えば、鋼鉄やガラスといった素材を用いることで、建物の構造が視覚的に明確になり、素材の美しさが際立ちます。シーグラムビルは、鋼鉄とガラスを多用したデザインが特徴です。
シーグラムビル
ユニバーサルスペース
ミースの建築には、特定の用途に限定されない「ユニバーサルスペース」の概念が導入されています。これは、空間が柔軟に使用できるように設計されていることを意味します。例えば、ニューヨークのクラウンホールは、内部空間が一つの大きなホールとなっており、多目的に利用できます。
代表的な建築物
バルセロナ・パビリオン
既に紹介しましたが1929年に開催されたバルセロナ国際博覧会のドイツ館として設計されたバルセロナ・パビリオンは、ミースの最も有名な作品の一つです。この建物は、シンプルで洗練されたデザインが特徴で、直線的な形状と広いガラス面が印象的です。パビリオン内部には、大理石やオニキスといった高級素材が使用されており、空間に豪華さと美しさをもたらしています。
ファンズワース邸
ファンズワース邸は、1945年から1951年にかけてイリノイ州プラノに建設されました。この邸宅は、ミースの「少ないことは豊かなこと」という哲学を具現化したものです。ガラスと鋼鉄で構成されたシンプルなデザインは、内部空間と自然環境が一体となるように設計されています。大きなガラス窓からは、周囲の美しい風景が見渡せ、自然光がたっぷりと差し込む空間が広がります。
シーグラムビル
1958年にニューヨークに完成したシーグラムビルは、ミースの高層ビルデザインの傑作とされています。このビルは、鋼鉄とガラスを多用したモダンなデザインが特徴で、オフィスビルの新しいスタンダードを確立しました。建物の外観は、シンプルで直線的なラインが強調されており、ミースのミニマリズムの精神が反映されています。また、ビルの前には広場が設けられており、都市空間に開放感をもたらしています。
おわりに
ミース・ファン・デル・ローエは、20世紀の建築界において、シンプルで機能的、そして美しいデザインを追求した偉大な建築家です。彼の「少ないことは豊かなこと」という理念は、建築だけでなく、デザイン全般においても重要な指針となっています。ミースの建築物は、そのシンプルさと素材の美しさ、そして空間の柔軟性が特徴であり、多くの人々に感動とインスピレーションを与えています。
彼の代表的な作品であるバルセロナ・パビリオン、ファンズワース邸、シーグラムビルなどは、いずれも彼の哲学を体現した傑作です。これらの建築物を通じて、ミース・ファン・デル・ローエの偉大さを感じることができるでしょう。彼の作品は、現代の建築やデザインに多大な影響を与え続けており、その精神は今なお受け継がれています。